青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

UPLアラカルト

2019年11月18日 22時00分00秒 | 東武鉄道

(青空のUrban Park Line@七里~岩槻間)

あっという間に8111Fの撮影が終わり、まあとりあえずやる事はなくなってしまったのだけど、とてもいい天気の中でこれでサヨナラするのもちとさみしい。ので、アーバンパークラインの電車をもうちょっと撮影して行くことにします。スカイツリーラインこと伊勢崎線スジは撮影することありますけど、傍流の野田線はなかなか撮影する機会はありませんのでね。そもそも野田線は大宮から春日部・野田・柏を経由して船橋へ至る62.7kmの路線ですけど、これは東上線の池袋~小川町間に匹敵する長さ。これだけの長大な路線の割に長いことテコ入れが行われなかったのは、やはり都心に向かわず、首都圏から30km程度の衛星都市を外郭的に回る線形のためなのでしょう。

そんな野田線の近年のテコ入れと言えば、「アーバンパークライン」という路線愛称の付与と60000系の導入でしょうか。東武の通勤車も10000を超えてから20000、30000、50000、60000と来て現在は日比谷線直通の70000系まで製造されてますけど、80000系はどうなりますか。まあ伊勢崎・東上の本線筋には50000系、日光線ローカルには70000系の投入によって日比谷線直通の役目を追い出された20000系改造の20400型の投入など、ある程度新車やら改造車による体質改善が進んでいますので、ここでひと段落なのでしょうか。

野田線内では、だいぶ勢力を減らしたとはいえどもまだまだ更新された8000系が元気に頑張っています。武蔵野の面影残す屋敷森を行く新8000系のインフレナンバー81110F。東武の新車は順番で言えば次は80000系になりますが、80000系をデビューさせるには、あまりにも多く作られた8000系の更新車に「インフレナンバー」と呼ばれる万単位の附番がなされているので、8000系のインフレ一族が引退するまでは投入しづらいかもしれない。それとも、80000系をすっ飛ばして次の東武の通勤車は90000系になるのだろうか。

あ、そうそう。野田線のテコ入れの話で触れそびれましたが、最近野田線って急行運転なんてやってるんですよね。現状大宮~春日部の間だけ(途中停車駅・岩槻)のなんちゃって急行運転ですけど、来年3月からは急行運転の範囲が大幅に広がり、停車駅は大宮・岩槻・春日部~運河間は各駅停車となりますが、そっから先は再び急行運転になって流山おおたかの森・柏・高柳・新鎌ケ谷・船橋となるそうです。柏~船橋間って単線区間も多くてとにかく時間かかってたイメージがあるんだけど、この区間を急行運転で最大11分縮めるというのだからエポックメイキングなことこの上ない。

LED切れ切れになってしまったが、10030系更新車の急行柏行き。8000と60000に挟まれた感じになってはいますけど、野田線の10030系って車体上部の黄緑と腰に巻いたブルーのラインの取り合わせに、すっきりした梨地仕上げのビード板が端正でかっこいいですよね。

 

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偉大なる 東武の色彩 いつまでも

2019年11月17日 09時00分00秒 | 東武鉄道

(ある晴れの日に@東武アーバンパークライン大宮駅)

相変わらず貧乏性なのか、平日の晴れ空を見ると「もったいねえなあ、働いている場合じゃねえよなあ」という気分になってしまうのは撮り鉄の性(笑)。6月に撮影した東武8000系8111F、前回は6月という時期が悪かったか雨だったので、どっかで晴れカットを撮影してみたいなと思ってはいたところ、ひょんなことからこの秋にまた臨時列車として運行するという話。ようやく最近は天気も安定して来ましたんで、再び撮影に行ってみました。湘南新宿ラインを降り、乗客の多いコンコースを抜けて降り立った大宮駅ホーム。新8000系の向こうに何より目立つ「やきとりセンター280円!」が、「フン、アーバンパークラインっていうのかい?ぜいたくな名前だねえ。所詮お前は東武野田線だ、いいかい、東武野田線だよ!」という湯婆婆の気持ちにさせてくれるのであった。

今回の臨時列車の行路は、大宮から春日部を通って東武動物公園までの片道のみ。なんでも東武動物公園駅で行われる「宮代トウブコフェスティバル(詳細不明w)」に合わせての運行なのだとか。大宮から東武動物公園までというとそんなに距離がある訳でもないし、風光明媚な場所を走る訳でもないし・・・と一瞬躊躇したんだけど、どっかに撮るとこくらいあんべ!と事前にGoogleマップで調べてアタリをつけてみる。だいたいのロケハンはGoogleマップで分かるから楽なもんだ。大宮から春日部の間は基本的に埼玉南部の住宅街を走る野田線ですが、目星をつけたのは七里~岩槻間に広がる見沼代用水の田園地帯。その辺りなら多少開けていて構図が組みやすいのではないかという算段である。同じ電車に乗ってたいかにも8111F狙いっぽい若い子と一緒に、大宮から5つ目の七里駅で下車。

ぽけぽけと駅から15分くらい歩いて件の田園地帯に出てみたのだが、案の定既にめぼしいポイントにはクルマで乗り付けた東武鉄がひしめいている。うーん。遅かったか。現着は通過45分前くらいだったのだけど、8111Fは相変わらず人気だよなあと改めて思いますねえ。別に集団に入ってしまえば撮れないこともなさそうだったのだけど、まだ時間もあるので気楽に撮れる場所を探してみることに。目当てにしていた田園地帯のもう少し先、国道16号の東大宮バイパスをくぐって、用水路を渡る小さな橋に向かって線路が小上がっていく辺りで座を構えてみます。通過して行ったのは野田線の最新型車両60000系。デビュー時は「野田線にウン十年ぶりに新型車両が!」「東武本社は野田線のことを忘れてたと思ってた!」と様々な方面からの驚嘆の声が上がりましたが、新車の投入ペースが速いようでもう過半数がこの形式になっているようです。

座を構えて30分程度、お目当ての8111F送り込み。太陽の動きをヤキモキしながら気にしていたのだけど、通過までに正面まで日が回りきらなかったのは残念。あんまり東武のネタの細かいことは知りませんが、たぶん北春日部の車庫から出てきて、春日部から大宮に送り込まれ、大宮→春日部→トブコの本運転の後は回送で北春日部という行路になると思われる。定期列車の合間を縫っての臨時運行なので、1面2線の大宮駅での留置時間もごく僅か。送り込まれた後は大宮からあっという間に折り返してくるので、撮影出来るのは往復一回ずつ(しかもあまり場所も動けない)のチャンスしかない。ひょっとしたらイベントに合わせて何かカンでも付けてくるんじゃないか?みたいなマニアのうわさ話も現場であったんですけど、いつも通りの素っ気ない「回送」の赤幕で通過して行きました。

送り込みから折り返しまでに新しいアングルを探そうと思ったんですが、一緒に撮影していた同業の方にアテを聞いたら「今から動いても正直時間なさそうですよね」という答え。なので、立ち位置を100mほどずらした場所で同じようなアングルを組まざるを得なかった。ケーブルやら架線柱やらもっとやりようはあったと思うのだが、先客の構図とかの兼ね合いで立ち位置決めるのに時間もなくて(20分弱でしたかね)あんまり細かいところまで気が回らなかったなあ・・・ちなみに最初は背後にある国道16号の陸橋上から撮影しようと思っていたのだが、この直前に大宮行きの列車が通過しており、あちらに座を構えていたらおそらく被っていたのではないかと思われる。なんだかんだとありましたが、それでもセイジクリーム一色の色味に身を包んだ昭和の東武の偉大なるマンネリ(当時は)こと東武鉄道8000系の姿を令和の御代に拝めることは、ありがたや東武博物館!という感想以外にない(本編成は東武博物館の所有する動態保存の車両という位置づけ)。

改めて考えてみる東武8111Fの動態保存の意義。例えば小田急が9000系とか5200系を6連の1編成保存してたり、京急が旧1000系の6連を保存してたりするとしますよね。そんで、こうしてなんかのイベントだけでも年に数回走らせてくれるとかあったら、天気もクソもなく絶対通っちゃうと思うんだけど、そんなマニアの夢のようなことをしているのが東武という会社なんだよなあ。この動態保存については東武博物館の館長である方の尽力が非常に大きいと聞きますが、小田急ももう少し博物館(ミュージアム)の建設が早ければ、生方良雄御大でも館長に担いで5000系の4連1本くらいは保存出来たかもしれないねえ・・・とあらぬ世界線に妄想を広げてみたりするのでありました。

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実り赤く染まる奥久慈

2019年11月10日 18時30分00秒 | 水郡線

(奥久慈の秋の味覚@奥久慈リンゴ園)

水郡線の列車は、大子近辺でも日中だと2時間程度空いてしまう。撮影を効率よく行うには、朝早くに来るか本数の多い水戸口を狙うしかなさそうだが、とりあえず今回は奥久慈の応援を含めてということで子供が「やってみたい」といったリンゴ狩りに来てみました。訪れたのは国道沿いの「奥久慈リンゴ園」。リンゴの名産地と言うと、信州だとか青森だとかそっち方面を思い浮かべてしまいますけど、この時期の奥久慈は、あちこちが赤い実をつけたリンゴの木で彩られます。〇〇狩りと言われると、マツタケ狩りだのブドウ狩りだのイチゴ狩りだのはそれなりにお値段も高いイメージがあるのですが、リンゴ狩りは大人400円小人300円とリーズナブルなレジャーなのでありました。

紅いリンゴに唇寄せて。この時期に楽しめるのは陽光、シナノゴールド、秋映あたりで、ふじは若干時期が早いという事でした。子供と一緒に脚立を持ってリンゴ園の中をウロウロ。お目当ての木があったら、オトーサンが脚立を立てて子供が登って好みのリンゴをもいでくるという算段。調子に乗ってあれもこれもともいでいると、もいだ分はその場で食うかお持ち帰りにしなくてはならないので慎重さが必要である。そういう意味で、現地でパクパク食べれてしまうブドウ狩りやイチゴ狩りが高いのはそれなりの理由があるんだなあと。木々の間をめぐりつつ、色々な品種を見繕いながら5~6個もぎもぎ。あんまりもぎもぎ言ってると「もぎ!もぎ!もぎえいごろう!(楽天)」というコールが仙台の方から聞こえてきそうだ。あるいは工藤が出てきて「ピッチャー・モイデロ!」のコールが入るか。

畑の片隅に置かれた休憩所で一服しながら、もいだリンゴをナイフで剥いて食べる。さすがにもぎたてのリンゴは新鮮でパキパキしていて、噛むと甘酸っぱい果汁がほどよく喉を通過して行く。貧乏根性が働いて、一通りの品種を食べ比べてみたのだが、個人的には「シナノゴールド」という品種が一番美味かった。まあこの辺りは好みということになろうか。売店に売ってたリンゴジュースとアップルパイもオヤツ代わりにいただいたのだが、搾りたての生リンゴジュースの味も良かったけど特筆すべきはアップルパイ。中のリンゴのシャリっとした歯触りとほどよい甘さで非常に美味であった。これはリンゴ狩りしないでも買えるみたいなんで、時間ない人はお持ち帰りのお土産にしてもいいと思うよ。

美味しいリンゴとアップルパイでお腹いっぱいになった我々親子、家族用のお土産りんごを小脇に抱え、久慈川沿いの撮影地へ急ぎます。すっかり秋の日は西に傾き、山の端に僅かに色付く紅葉を照らしていました。季節は11月の半ばともなれば、元々日の当たる時間が短いこともあるのだけど、山塊に挟まれた路線なので余計に日照が厳しい。時刻は午後4時とそこまで遅くはないけれども、既に翳りの中の川沿いの桟道を、水戸行きの列車が疾風のように走り抜けて行った。明るいうちに撮影出来る列車はここまでだろうか・・・

今回は現地到着が遅かったから撮れ高少なかったかなあ。効率よくカットを稼ぐにはやっぱり朝から来てなきゃダメね。
まあ今回は子供もいたし、ガラにもなく観光とかもしてしまったのである程度仕方ないのかもしれないけど。

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その姿、言葉もなくて

2019年11月08日 17時00分00秒 | 水郡線

(第六久慈川橋梁@国土地理院地図より)

今回の台風19号による久慈川流域の水害によって破壊された久慈川第六橋梁は、袋田の駅を出て大子方面へ200mほどの場所にあります。その無残な惨状はテレビのニュースなどで既に目にしているところではあるのですけど、改めて自分の目でもその現場を見てみたくて訪れてみました。下小川から大子にかけての久慈川は東の阿武隈山地と西の八溝山地に挟まれた隘路をくねるように久慈川が流れ、奥久慈渓谷を形成しています。その分、水によって橋に架かるエネルギーも相当に大きくなったことは想像に難くありません。

橋の脇にある県道の高台から、久慈川と破壊されてしまった鉄道橋の凄惨な現場を眺める。あまりの有り様にしばし言葉を失う。テレビで見て知ってはいたけれど、何というかリアルに勝るものはないなという事実を改めて。隣にいる子供もさすがにびっくりして「やっばあ~!!」と言ったまんまでいる。袋田駅側の土台から引きちぎられるように崩された橋のガーター部分が、水に押し流されてはるか向こう100mくらい下流の橋に引っかかるようにして止まっていた。おそらく5~6個は立っていたと思われる石積みの橋脚は無残にもボキリと折れ、これも破壊し尽くされて川の中のあちこちに散らばっているような状態でした。

根元の部分からせん断された大子側の橋脚。石積みで巻き立てられた橋脚は、中身を大きめの砂利石で埋めている古風な作りのもの。おそらく昭和初期の開業当時からのものであったろうと推測されますが、建設されて以降90年余、これほどまでの洪水はなかったのでしょう。石積みの橋脚の上に乗っていたガーター桁は水の中に落とされ、くの字に折れ曲がって無残な姿をさらしています。この辺りは久慈川の護岸も崩されてしまったようで、土嚢を積んでの仮復旧と併せて堤防の補修が始まっていました。

線路の袋田側はすでにレールが外されて鉄板が引かれており、河川工事用の取り付け道路になるようです。久慈川第六橋梁は川の流れに蛇行した部分にかかっており、おそらく川の流路の外側で流れを強く受け止めていた袋田側の土台が破壊され、それに引きずられるようにガーター橋と橋脚が川に流されていったように見えます。現在のところ、この久慈川第六橋梁の復旧の見通しは立っていないようですが、これはただ壊れた橋を架け替えるだけではなく、周辺の護岸工事を含め久慈川における治水の在り方をもう一度ゼロベースで見直して、もう二度とこのような災害が起こらないように、河川改修と併せた復旧へのグランドデザインを作り上げる必要があるのだとか。

となると、県の認可や建設省の認可、そしてJRの復旧費用に対する予算付けなど、復旧に向けての段取りがどこまで迅速に出来るか。要するに「ヒト・モノ・カネ」をどこまで投入できるかということなのですが、梶山静六センセでもお元気だったらばドカーンと国の予算が付いたのかしら。常陸太田の奥にある竜神大吊橋は「観光の目玉に!」と静六センセが一生懸命だったみたいだけど、こっちの橋のほうも、あちらの方から何とか一つ後押しを願えないものなのだろうか。そんな浮世離れした話でもしなければやってられないほどの目の前の状況でありました。ようやく今週になって落ちた橋梁部分の撤去が開始されたようですが・・・うーん、どう早く見積もっても1年くらいはかかるのだろうか。

とにかく、月並みですが早い復旧を祈るばかりです。

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故郷を 忘れじ鮭の 背白く

2019年11月06日 17時00分00秒 | 水郡線

(水害の爪痕@下小川橋)

西金に着いた329Dの折り返しである324Dを撮影しに、西金~下小川間にある第一久慈川橋梁までやって来ました。鉄道の線路と並行して、R118から下小川の盛金集落に続く橋があるのですが、水害から半月を経てなお欄干に絡みつく大量の流木が被害の大きさを物語っています。よく見ると、橋のガーター部分にも流木が突き刺さっており、川の周囲の状況から見ても最大時はこの橋が水没するくらいの水が来たのではないかという事が想像出来ます。橋の下には集落への水道管が通っていたみたいですが、川の増水で破壊されてしまったようで、橋の歩道部分に剥き出しの仮の送水管がくくりつけられていました。

子供と二人で三脚を並べる上小川橋から、第一久慈川橋梁の橋脚を眺める。すっかりと水量が落ち着き、見た目にはいつもの清流を取り戻した久慈川。水郡線は、旧山方町の中心部であった山方宿の辺りから、久慈川との逢瀬を重ねながら常陸大子ヘ遡って行きます。久慈川はその源を福島栃木茨城県界に位置する八溝山に発する川ですが、源流部は八溝山の北麓を流れた後に南に向かっており、水郡線は常陸大子から先、福島県内に入っても磐城棚倉付近までは久慈川流域を走ります。この第一久慈川橋梁から、最後の橋梁である近津~中豊間まで久慈川に架かる橋は11ヶ所。水郡線の旅は、久慈川の流れを辿る旅でもあります。

見た目にはいつもの清流を取り戻しているように見えても、川岸は増水でなぎ倒された植生が覆っており、半月前の水の勢いの激しさを思い起こさせるには十分な状態でした。橋の周辺を少し歩いてみたのですが、この画像の左端にある橋のたもとのよろず屋さんの辺りまではどうやら水に浸かった様子。道の脇にはかき上げられた泥が乾いて埃っぽく、川岸の民家は避難してしまったのか空き家になっていたり、家族総出で窓ガラスを外して家の中の泥を履き出しているお宅があったり・・・そのお宅の前を、使えなくなった家財道具を運び出す軽トラが通って行くような状態で、まだまだ普段の暮らしを取り戻すには、時間が掛かりそうな様子でした。

何となく撮り鉄なんかやってるのも憚られるような気分で、神妙に列車の通過を待つことに。復旧工事に向かうダンプが通るたびに、ブルブルと橋が揺れる。西金折り返しの324Dは、そんな私たち親子の気分などよそに、青葉と紅葉のカラフルないで立ちで第一久慈川橋梁を渡って行きます。背後の山の紅葉はさすがにまだまだ、界隈で聞いたところによると、今年は10月になっても暖かい日が続いたことから、山の色付きも2週間程度は遅いとの由。本当であれば、水郡線随一のロケーションを誇る第四久慈川橋梁のたもとに陣取って、錦屏風に彩られた鷹ノ巣山の紅葉と弓なりにカーブしてくる橋を渡る水郡線の列車を撮りたかった。来年の秋は撮らせてくれるかな。それまでに何とか、復旧の道筋が付いていると良いのですが。

三脚を畳んでいると、子供が大声で「お父さん!あれ!」と叫んだ。ふと川を見ると、背中の色の抜けたようなサケの集団が川の浅瀬をゆるゆると遡上して行くのが見えた。サケは生まれた川の匂いを覚えていて、産卵の頃になるとその故郷の川に戻って来るという習性はつとに知られるところですが、洪水が起こった後などは苔や水草などの流失で川の匂いが変わる事もあるらしく、さすがのサケも戻る川を間違えてしまうこともあるのだとか。そんな中、サケは未曽有の洪水にも負けずに川の匂いをかぎ分けて、大海原から故郷の久慈川に戻って来ました。体を白く傷だらけにしながら、水害で傷付いた故郷に戻って来たその姿。何とも言い表せないような強さがあって、柄にもなく感動してしまったのでありました。

故郷を 忘れじ鮭の 背(せな)白く。自然は時に人を傷つけ、時に人より逞しい。

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