青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

コスパでは語れぬ未来

2019年11月05日 17時00分00秒 | 水郡線

(快走!E130@玉川村~野上原間)

上菅谷から常陸太田方面の支線を分けた水郡南線、常陸大宮を過ぎた後は、久慈川の流域に跨る低い丘陵地を超えて行きます。セイタカアワダチソウの生い茂る築堤を行く西金行きの329D。所定では郡山行きの列車ですが、青葉+紅葉の4連で運転されていました。子供にスマホを持たせ、「どこトレ」で走行位置を確認しながらながらロケハンしつつ水郡線の列車を追っていたのですが、最新型の車両だけに国鉄型気動車とは駅を出てからのダッシュ力も駅間の走行性能も雲泥の差で、かなりのスピード感があります。非電化ローカルなんて並走する国道で追い抜けば何発もやれるだろ!と飯山線感覚(笑)でいると面食らいます。

里のお宮を横目に奥久慈へ急ぐ329D。水郡線に初めて乗ったのは、確か家族旅行で袋田の滝を見に行った小学生の頃だったか。たぶんあの時も水戸の駅を9時くらいに出るディーゼルカーに乗って行った覚えがあるんですけど、当時の時刻表を調べてみると9:04に水戸を出る郡山行き329Dという列車があった。列番もずーっと変わってないんだな。ちなみに当時の329Dは水戸9:04→常陸大子10:32→郡山12:49というダイヤでしたが、現在の329Dは水戸9:23→常陸大子10:39→郡山12:33。途中2~3本の交換待ちに大子での5分程度の運転停車と条件はそう変わらないので、大幅にスピードアップしたのはやはり車両の性能が圧倒的に良化したからと思われます。

329Dを追って、現状の水郡南線の終着駅である西金の駅までやって来ました。駅前には西金~常陸大子間の水郡線代行バスが待っていて、臨時に配置されたらしいJRの職員さんたちが到着した乗客を順次誘導していました。4両編成の列車に対しバス3台が待機していましたが、様子をうかがっていると袋田の滝方面への行き方を尋ねるハイカーが目立ちましたね。やはり大子町の観光の一番の呼び物は袋田の滝であることを考えると、運休が長期化するようであれば袋田駅までは列車を入れて欲しいかなと。西金~大子間のバス輸送だと、観光シーズンは滝入口の交差点から延びるR118の渋滞に引っかかって機能しなさそうだし、何よりバス代行を袋田~大子間に縮めればバス代行の定時性が確保しやすいはず・・・ですが。

JR東日本の災害による長期運休路線と言えば、平成22年の岩泉線の土砂崩落による長期運休から始まって、平成23年の東日本大震災による東北沿岸部の各路線の被災、同年の福島豪雨での只見線の被災が記憶に新しいところですが、残念ながら、今回の水郡線のような自然災害(地震、津波、水害、土砂災害)による長期運休は平成後期から全国的に珍しいものではなくなってしまいました。熊本地震でやられた豊肥本線であるとか、西日本豪雨でやられた中国地方の各路線とか、高波にやられた北海道の日高本線とか、日本中の至る所で線路が寸断されています。復旧を遂げた路線もあれば、復旧までの長い道程の途上にある路線や、また日高本線のようにほぼ廃止の決まった路線もあったりとその後は様々。道路は国や地方自治体が直してくれるからいいけど、鉄道はねえ。国鉄のままだったら良かったのに、とは口が裂けても言えませんが。

道路に比べ、地方の鉄道路線を復旧させるのになかなか腰が重くなるのは、いろんな意見を募っても結局「費用対効果」というところに話が収斂してしまうからなのでしょう。いわゆる「コスパ」の話をされたら、斜陽の一途を辿る地方ローカル線はぐうの音も出ません。そうなる事態に備えて鉄道会社同士で災害協力金のようなものを積み立てておけないのかな、と思ったりもしますが、まあそうなったらそうなったで、今度は利用者の運賃にハネっ返ってくるからまとめるのも難しいんだろうな。「国土強靭化計画」も結構ですが、その中に地方ローカル線は入っているのかどうなのか。今度じっくり勉強してみようかなとも思ったりします。コスパでは語れぬ未来もあるはずです。

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常陸路の鮮色彩

2019年11月04日 17時00分00秒 | 水郡線

(常陸路秋景色@後台~下菅谷間)

水郡線は、名前の通りに水戸~郡山を結ぶ(正確には郡山の手前の安積永盛まで)本線と、上菅谷から常陸太田までの10km程度の支線を合わせた総計150kmの路線です。茨城県と福島県、北関東と南東北、久慈川水系と阿武隈川水系を結ぶ長大なローカル線ですが、水戸近郊の区間は運転本数も多く、通勤通学客の姿も目立ちます。那珂インターを降りてから向かった線路をまたぐ高架橋から眺めてみると、残り柿とススキの向こうに後台の駅が見えました。

水郡線の主力気動車であるキハE130系。JR東日本の中では新世代の気動車って感じがする。国鉄時代はキハ28・58やキハ40系列がゴロゴロしていた水郡線ですが、当時は上野から急行奥久慈なんて列車も走っていましたねえ。水戸までは急行ときわに併結されていたので、奥久慈併結の急行ときわは交直流電車の457系ではなくキハ28・58で運転されていたのを思い出します。日中の柏とか松戸あたりを古ぼけた気動車急行が爆走していたのが懐かしいな。急行奥久慈が廃止された後は、そのまま奥久慈編成はつくば万博の「エキスポライナー」に投入されていましたね。取手の先で直流と交流が切り替わる常磐線の特性もあって、デュアル走行の出来る交直流電車が万博輸送には極端に不足していたのですが、気動車だったら関係ないからね。

水郡線はJR化以降一時期キハ110系列で置き換えられていた記憶があるのですが、早々にこのE130系列が投入され、キハ110系列は東北の他の路線へ転出して行きました。水戸~常陸太田間は朝夕それなりのラッシュがあるので、2ドア車では客を捌きにくいというのがあったのかもしれません。かつての八高線や相模線のような首都圏の非電化路線に使われていたキハ30・35系は、通勤型気動車と言われて通勤通学需要に応えていましたが、JRになってからはこのジャンルのニーズにフィットした気動車というものの新造はありませんでしたのでね。キハE130系列はまさしくキハ30・35系列のような3ドアロングシートの通勤型DCの系譜を継ぐ存在ですが、こちらは通勤輸送も観光輸送もこなせるようセミクロスシートの車両も用意されています。

何といってもキハ130系列の特徴は、JR東日本にしては珍しい(?)このド派手な塗り分けでしょうか。ブラックフェイスに配した前面の黄色のラインは、視認性を高める警戒色なのかな。側面もグリーンの太いラインにドアは黄色、そして戸袋にブルーのフィルムを配した側面のカラーリングは、どっちかと言えばJR九州の車両なんじゃねーかと錯覚しそうになる。水郡線には側面がグリーンの車両とレッドの車両があるのですけど、それぞれが奥久慈の新緑と紅葉を表しているのだそうだ。朝の光を浴びて秋の常陸路を駆けるキハE130系。真面目に撮影するのは初めてですが、ちなみに子供が地上から、オトーサンが高架橋の上から撮影しています(笑)。

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奥久慈御見舞行

2019年11月03日 17時30分00秒 | 水郡線

(季節は過ぎる足早に@奥久慈のリンゴ)

9月に富山に行った後、10月は・・・まっこと天気が悪かった。ただ天気が悪いだけじゃなく、東日本に大規模な災害をもたらした台風と大雨の襲来という余計なオプション付き。10月の報道はほぼこれ一色だったと言っても過言ではありませんでしたが、そんな10月から時は流れて早くも11月。ようやく天気も落ち着いたかなという三連休の初日に、茨城県は奥久慈を訪ねて来ました。一応「今年の秋の紅葉は水郡線と箱根登山鉄道でも」なんてざっくりと考えていたのに、今シーズンの紅葉を待たずしてその2路線が被災してしまうとは思わなかった。別に方針撤回でも良かったんだけど、どうにも気持ちの整理が付かないので、いわゆる被災地支援?みたいな感覚も兼ねての訪問となりました。どうせ支援するならボランティアくらいやれよと言われそうですが・・・あちこちと撮影しながら、子供と一緒にこの地域の名物である「奥久慈リンゴ」をリンゴ狩りして来たんだけど、リンゴ園も久慈川のそばにあったので、駐車場の一部が陥没したりと大変だったらしい。それでもリンゴ園の人たちは水害以降観光客の足がぱったり止まったことを危惧していたので、若干のお役に立てたのが救いであった。

各種SNSでは、水郡線も一部区間を除いて11月1日(前日やんか)から運行を再開したというし、川沿いの被害が甚大だった地区以外は産業も観光もほぼ通常通りという話を聞いての訪問でしたが、いざ現地に行ってみると水害の爪痕はそこかしこにあって、その有様を生々しく確認することが出来ました。道の脇の空き地には水没して使えなくなったであろう災害ゴミが山のように積まれていて、それでも捨てきれない泥にまみれたゴミを焼く煙があちこちから立ち上っているような、そんな状況でありました。災害復旧対応のために、頻繁に大型ダンプが行き交う国道118号。被災地である事は知りながら観光目的で訪れた我々ですが、大子駅前の福祉会館はボランティアの受付センターになっていて、食事場所を探していた我々親子にはちょっと後ろめたいものがありましたね。

袋田と常陸大子の間の鉄橋(第六久慈川橋梁)が落橋しているため、水戸から来た列車が折り返している西金の駅。訪れた日の前日からようやく常陸大宮~西金間の運転が再開されて、水郡線沿線最大の町である常陸大子へはここからの代行バスになります。大子町内の南端である西金の駅は列車の交換設備こそありませんが、ここから線路に敷くバラスト用の砕石を積み出すための貨物列車が発着しており、上下両方向の出発信号機が設けられています。現状は袋田駅に折り返し設備がなく西金止まりになっているようですが、運休長期化なら袋田駅へ設備を設置しての休止区間の縮小も検討の余地がありそうです。

「チビロク」ことDD16が牽引する事で人気のある「西金工臨」。財源であるバラストを載せて走るはずのホキ車も、水害以降は運休のまま。西金までの運転再開に伴ってバラスト出荷の条件は整っているように思いますが、来週あたりからこちらも再開になるのかな。休みが長引いているせいか、心なしかホッパ部分がうっすらと錆び付いているような気がしましたね。

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