青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

弥生/桜木 卯月/勝沼ぶどう郷

2021年12月26日 17時00分00秒 | カレンダー

(弥生・ある春の日に@天竜浜名湖鉄道・桜木駅)

ある春の日に、ふらりと訪れた天竜浜名湖鉄道。元々の国鉄二俣線を1986年に3セク転換してから、早くも35年の月日が流れた鉄道。今年は天竜二俣駅が「エヴァンゲリオン」の映画のモチーフになったなんてトピックスがありましたが、普段はそこまで耳目を集めるわけでもない、失礼ながら地味な路線かなと。それでも、私はこの沿線の風景や、歴史を感じる駅舎や設備なんかが結構好きで、折に触れて訪れております。掛川から三つ目の駅・桜木。国の登録有形文化財にも登録された、昭和初期の開業当時からの木造駅舎。芝桜咲く駅に、静岡らしい暖かな空気が流れていました。

(卯月・夕映えに桜舞う@中央東線・塩山~勝沼ぶどう郷)

春は桜。桜の時期はどこで撮ろうか、一日ごとに気もそぞろとなってしまう季節ですが、今年は桜前線の進みが異常に早かった。特に今までは4月になってからのはずだった甲信越が3月から咲き始めるという異常値を叩き出し、また暖かいものだから一気に咲いて一気に散るという撮り鉄泣かせの春。あっちもこっちも一気に咲いてしまって、どこへ行こうか迷ったのだけど、結局定番の勝沼の甚六桜に。朝は曇っていた甲府盆地、昼からは見事な晴れ間が広がり、夕方まで一日麗らかな春の日を楽しんだ。特急がE353系に統一されて少しバリエーションが少なくなった甲州路、アクセントを付けるのは竜王へのタンカートレイン。夕暮れに輝く甚六桜がハラハラと散る中を。

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睦月/秦野 如月/西台

2021年12月25日 17時00分00秒 | カレンダー

(今年はどんな年でした?@小田急ロマンスカーミュージアム)

11月に訪問した四国の話をつらつらと書き連ねていたら、あっという間に年末になってしまった。年末と言えば恒例のカレンダー企画、去年のこの企画で「来年は今年以上にさらに行動の範囲は狭まる可能性が考えられるので、そもそもこうやって12ヶ月の歳時記を綴る事が出来るのだろうか」なんて言っていたのだけど、何とかかんとかこの一年コロナにも罹らず、ワクチンも打ちという事でそこそこの活動は出来たのかなあと言う気がする。しかしながら、コロナ禍に陥って早や2年、度重なる緊急事態宣言と生活様式の変化によって、公共交通機関と観光サービス業の打撃がいよいよのっぴきならない様相を呈して来ました。行動制限→需要減退→利用者減→巨額損失→減便ダイヤ→設備投資抑制という分かりやすいシュリンク。今後感染状況が改善されたところで、需要って戻るんですか?という「そもそも論」によって将来の見通しが開けない状況に陥った公共交通の明日はどっちだ。

(睦月・秦野夕照@小田急電鉄 渋沢~秦野間)

先日、デビューから僅か18年、2022年3月での定期運用終了が発表された小田急ロマンスカーVSE。年末に鉄道ファンへ大きな衝撃を与えたニュースでした。1編成35億円を費やした平成小田急のフラッグシップも、ダブルスキン構造のボディの老朽化、連接台車とアクティブサスペンションという特殊な構造に保守費用が掛かり過ぎる事により廃車という事で、ようは「経費節減」という大義名分あっての緊縮財政的な側面が否めない引退理由。加えて来年の3月改正では需要減退によるロマンスカーの大規模減便が予想されており、VSEが余剰になるのでしょうね。今後平日の日中などは、ほとんどMとEの6連・4連で動く特急ばかりになるのでは?と想定されるのですが・・・1月に秦野の富士山バックで撮った時は、こんな事になるとはさすがに思わなかったVSE。引退まで狂騒曲が続きそうですねえ。一応地元路線という事でそれなりのカットを残してはいるんだけど、Vに代替車両の構想もナシと来ては暫くは展望車がGの2編成だけ。減便と併せ、いずれにしろロマンスカー冬の時代突入という事になりそうです。

(如月・闇に輝く鉄仮面@都営三田線 志村検車場)

今年の冬の感染拡大期は、趣味として鉄道を楽しむ事なんかとんでもないみたいな時期でしたが、とにかく「人と会わねば感染(うつ)るまい」というのを徹底していたような。真夜中に家を出て、誰もいない早朝4時の都営志村車庫なんぞを撮影しに行った事もある。缶コーヒーで手を温めながらクソ寒い中を撮影し、街が起き出す前にそそくさと家に帰った。全く人と接しない撮り鉄、今思えばそこまでしてなぜ・・・という被写体でもあったのだけど、何だか妙に思い出に残るカットになりました。

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旅立ちの 伊予の松山 蒼い時。

2021年12月24日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(暮れなずむ港@高浜港)

僅かな滞在時間だった興居島への船旅。フェリーで高浜の港へ戻る頃には、既に太陽は瀬戸内の海の向こうに消え、残照が空を照らしていました。前日は雲多めだった高浜の夕暮れですが、この日は雲も少なく、薄紅色に染まる空と海が港を包んでいます。島から本土へ戻る人、そして島へ帰る人が交錯する港の風景。かつては柑橘類の生産と漁業で栄え、最大で7,000人程度が居住していた興居島ですが、現在の住民は1,000人程度と最盛期の7分の1。フェリーから降りて来る小学生の姿。島の人口減少に伴う生徒数の減少もあり、教育振興の一環として、島の学校へ四国本土から通っている小学生もいるそうです。

高浜駅から駅前通りに繋がるスロープ。何時まで開いているのやら、高浜駅の売店。コンビニエントなもののあまり見当たらないしもた屋然とした雑貨店。棚はスカスカ、タバコと僅かな嗜好品、週刊実話や近代麻雀などのオヤジ向け雑誌と、何故だか大量の野菜や花卉の種苗が棚に並べられている。クリーニング取次は分かるけど、このデジタル全盛時代にDPEという文字が見られるとは思わなかった・・・

高浜の夕暮れ、興居島から戻って来た乗客が、帰りの電車を待っている。ホームに滑り込むオレンジの鮮やかな3000系、二日間に亘って付き合って来たけれど、そろそろ空港へ向かわないと飛行機に乗り遅れてしまう時間。いい色に空が焼けているので、名残惜しいような立ち去りがたいような気持ちもあったけれど、とりあえず現実へ戻る作業を始めなければなりませんね。

ことでん少しと、主に伊予鉄をのんびり回った秋の四国二日間。コロナ禍の中で、少し感染状況も落ち着きを見せていたこともあり、久し振りの遠征らしい遠征をした気がする。旅をゆっくりと綴るうちに季節は早くも年末になってしまったけど、年明け以降は新型株の状況に一喜一憂する事になる状況になるのでしょうね。ブルーモーメントの高浜駅から旅の最終列車へ。市駅から空港行きのバスに乗り込むと、雨が降り出して松山の街が滲んで見えました。

P.S この松山からの帰りに、何と9年ぶりに飛行機に乗りました(笑)。

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潮風や 凪の船旅 興居島へ。

2021年12月20日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(島へ帰ろう@高浜駅)

郡中線を乗り潰し、ひとまず伊予鉄全線を完乗したのが16時前。19時過ぎの飛行機で松山から帰る予定なので、市駅に戻って松山市街をブラブラするかなあ・・・なんて気持ちもあったのだけど、郡中線からそのまま高浜線に乗り換え、終点の高浜駅まで再びやって来ました。西日の当たるホームから、電車を降りた学生が目指すのは高浜の船着き場。島の子が家路に就く風景、瀬戸内の暮らしがそのまま匂い立つような停車場の雰囲気を感じながらスナップ。

飛行機の時間まで、高浜港から対岸の興居島(ごごしま)へフェリーで行って帰ってくるくらいの時間は余っていました。前日は梅津寺の駅のホームで瀬戸内の夕暮れを拝みましたが、今日は船の上から瀬戸内海をサンセットクルージング。高浜港から興居島の泊(とまり)へは僅か10分足らずの船旅ですが、こういうプチ船旅が気軽に味わえるのも瀬戸内のいいところ。そして、何より旅先で船に乗るという非日常な感じがグッとくる。

高浜~泊航路に就航しているのは汽船「しとらす」。株式会社ごごしまという会社が船籍を持つ船です。一応民間の会社らしい。瀬戸内海には離島を結ぶ海運会社がたくさんありますが、どこも離島の人口減少や燃料高騰などであまり業績は芳しくないようです。離島の交通路が途絶えたら死活問題ですから、なんとか運営出来るように行政も補助金を出しながら何とか航路を維持しているのだろうと思います。船舶も零細海運会社が持つにはそんなに楽な金額のものではない、というのは聞いたことがありますからねえ・・・

汽船「しとらす」は、小さいながら甲板の上に乗用車も積み込めるカーフェリー。旅先の渡船というと富山新港で乗って以来ですが、自転車とバイクしか乗せらんなかった県営渡船に比べると随分本格的な船旅だ。デッキのオープンエアーから見渡す瀬戸内の海。ちょうど夕陽が西に傾き始めるお誂え向きの時間。特に出港の合図もなくタラップが巻き上げられると、船は四十島瀬戸と呼ばれる海峡に出て、穏やかな凪の海を島へ向かいます。

白波を蹴立てて小さな海峡を行くフェリー。みるみる近付いてくる興居島、小富士と言われる興居島の主峰に夕日が沈むささやかな船旅。瀬戸は日暮れての世界だ。基本的には鉄道を愛でている私の旅ではあるけれど、そんな中で、上手に船をスパイスとして絡めると、情緒的な気分がまたひとしお盛り上がって来るような気がする。

興居島、泊港周辺。フェリーが折り返して行くまでの僅かな時間、港の周辺をフラフラと散歩しただけだったのだけど、ひっそりとした路地の先には瓦屋根の立派な家屋が並んでいたりして・・・それでも、何となく島ってのは余所者を寄せ付けないような独特の雰囲気がそこはかとなく感じられる。人っ子一人いない路地の奥を興味本位だけで歩くのも気が引けるので、路地の無人販売所に売っていた青く小さな末生りのミカンを買って港に戻る事にする。この青ミカン、帰京後に焼酎のソーダ割りをする時に絞り入れると、酸味と柑橘系の爽やかな香りが立って美味かった事を申し添えておきます。

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緩やかに 午後の日射しの 差す駅で。

2021年12月18日 17時00分00秒 | 伊予鉄道

(味が染みた100年駅舎の壁@松前駅)

郡中線、市駅に戻りながらどこかで途中下車してみようという事で、線内でも一番歴史のある駅舎が残っているという松前(まさき)駅へ。松前だと「まつまえ」と読んでしまいそうですが、ここは「まさき」。前を「さき」と読む地名は国内にもいくつかありますが、ここ伊予郡松前町もその一つ。さりげなく難読ですよねえ。道後平野の西端に当たる松前町は、重信川の河口に港を持ち、古くから漁業で栄えた町です。

この駅舎がいつからここに建っているのか。ハッキリした事は分かりませんが、渋焦げ色の板塀に、南予鉄道時代からの鉄路の歴史を見る。駅舎の前に並べられた自転車やバイクが少し目障りのように思えるけれど、なに、この駅と郡中線がしっかりと地元住民の足として使われている事に他ならない何よりの証拠。駅舎は大きめの本屋と離れの宿舎?で構成されており、立派な瓦葺き。アルファベットで「MASAKI」と書かれた看板が車寄せに付けられていて、広々とした待合室のエントランスで乗客を待っています。

自動販売機で缶コーヒーを買い、コンクリートの土間が打たれた広い待合室で暫し松前駅の雰囲気に浸る。晩秋の午後、傾き始めた長い日差しが射し込んで来た。郡中線も日中は15分ごとの運転で、少し待っていればすぐ電車がやって来るのはありがたい。さほど無聊な時間を過ごす事もなく、電車を絡めたカットを撮る事に苦労はしない。

古レールできれいに組まれたホームの上屋。構内踏切で結ばれた2面2線のホーム。郡中港行きの電車が止まるホームの右側がかつての貨物側線で、以前は松前駅からも貨物輸送の取り扱いがあったと聞きます。松前の漁港から揚がった瀬戸内の海産物や農産品が、ここから松山の市街や郡中の街に運ばれていたのでしょう。漁師町だから、行商のおばちゃんも、トロ箱担いで松山や道後へ魚を売り歩いていたのかも。

ミカン色の電車が、午後の日射しと青空に素晴らしいコントラストを結んでくれます。パノラミックウインドウの大きな窓が、燦々と太陽を浴びて輝いている。古めかしい駅の雰囲気と電車に夢中になってカメラを向けていると、踏切を渡って来た中学生から「お疲れしゃーっす!」と突然声が掛かって、なんだか少し気恥ずかしかった松前の午後。みんなには分からんかもしれないけど、いつもの電車が走るとりとめもない普段の風景ってのが最高なんよ。

木造の窓の桟から眺めるホーム。「STATION MASTER」の看板の付いた駅長室に、いかにも古くからの主幹駅と言う風格もあり。郡中港で折り返した電車が、遅い午後の優しい空気の中を、ゆっくりとスプリングポイントを渡って松前駅に戻って来ました。郡中線で訪問出来たのはこの松前駅だけだったけど、なかなか雰囲気のいい駅でしたね。

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