青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

「コンパクトシティ」の意味を考える。

2023年11月18日 10時00分00秒 | 宇都宮ライトレール

(家族のちょっとしたお出かけに@平石電停)

宇都宮駅東口からの繁華街と住宅街の家並みが切れ、ぽっと田園地帯に出たところにあるのが平石電停。ここは、宇都宮ライトレールで唯一の2面4線の設備を持ち、将来的には急行運転と同時に緩急接続が予定されている電停になります。宇都宮駅行きを待つ家族連れの姿。宇都宮ライトレールの急行運転ってどういう考え方でやるのか気になるのだけども、急行だと宇都宮駅東口~平石を無停車でそこから先は各駅停車になるパターンかなあ。普通電車は宇都宮駅東口~平石の区間運転にして、平石で緩急接続すればそれなりに遠近分離にはなりそう。LRT車両の急行運転っていうと日本では福井鉄道がやってますけども、あちらは労働環境と賃金条件の厳しさによって運転士の流出が続いていて、この10月改正から急行運転のダイヤを組めなくなってしまったと聞きました。福井も一回行ったっきり随分とご無沙汰ですけど、最近はどうだろうかなあ。北陸新幹線が敦賀開業する前に一度訪問しときたいとこですが。

平石電停の南側には、宇都宮ライトレールの本社と、新4号国道に沿った位置に車庫があります。いかにも近代的な工場のような見た目の真新しい本社です。「芳賀・宇都宮LRT」なんですね。自治体の格式としては県都・宇都宮の方が圧倒的に上じゃないかな、と思うのだけど。日本人割とそういうことを気にしますが、あえて格上の方が名前だけは一歩引いた形にして花を持たせる、なんてえのもよくある話だったり。宇都宮ライトレールの開業に際して、運転士の教育や運行体制などの基礎作りは、宇都宮市側からリクルートをされた広島電鉄の元常務の方が担っているそうで、そのため信号設備の導入や、運転士教育などは広電の応援を受けている部分が多いのだとか。運転士については未経験の人物の新規募集もしておりましたが、もちろんそれだけでは充足できるものでもなく、東武からの出向や他県からの転職組などもいるようです。全国でバスや鉄道の運転士不足が叫ばれていますけど、やはり待遇面ってのはありますよね・・・人間が生きて行くためにはお金が必要だし。ひょっとしたら、福鉄とかからも転職組が来たりしているのかも。

鬼怒通りからの立体交差を抜けて、平石電停に滑り込むLRT。大きな窓に映り込む秋空に、公共交通受難の時代の未来を思う。富山市と同様、「ネットワーク型コンパクトシティ」を標榜してLRTの建設にまい進した宇都宮市と芳賀町。ネットワーク型のコンパクトシティってなんぞや?ということなのだけど、要は行政や商工業や集落、観光地のそれぞれを集約化しコンパクトにまとめ、その間を公共交通が繋いで移動手段を担保する都市構想ということ。「コンパクト」なんて言うと「一極集中」と勘違いしてしまいそうなのだけど、ようは少子高齢化を見据えた人口減の時代、①だらだらと色々な要素で散漫に市街地を広げずに、②用途別地域を集約してコロニー化し、③そのコロニー間をつなぐネットワーク手段として公共交通が存在する、みたいなイメージで考えていただけるとわかりやすいかもしれない。そうなると、商業としての宇都宮東口地区、工業団地としての清原・高根沢地区、新興住宅街のゆいの杜地区を結ぶ宇都宮ライトレールは、富山よりもはっきりした形で初めて日本に生まれた真のコンパクトシティのためのLRTと言えるかもしれません。

広く栃木県内で考えると、観光地としての日光・那須、商業都市としての宇都宮、工業都市としての真岡や鹿沼がありますけど、かつての実績を考えるととりあえず日光軌道線の復活とかありませんかねえ?馬返までの日光ライトレール。観光地としての知名度は世界レベルだし、行楽シーズンの観光需要は尋常ではないし・・・いろは坂の下に交通結節点を設けてバスとの接続、ハイシーズンはマイカー乗り入れの一部規制とか・・・沿線人口がある訳ではないので、シーズンオフの収益が叩き出せるかと言うのはあるのでしょうが。

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既に「ブーム」ではないLRT。

2023年11月16日 22時00分00秒 | 宇都宮ライトレール

(商売繁盛、開業ブーム?@宇都宮駅東口電停)

開業してから一ヶ月半、そろそろ開業ブームも落ち着いて・・・?なんて思って訪れた秋の宇都宮行ではありますが、土曜日の午前中で12分間隔の列車を待つ宇都宮駅東口電停の乗客たち。思った以上の数の乗客は、我々みたいな記念乗車の物見遊山のマニア多めかと思いきや、普通に部活のジャージ姿の中学生やお使い姿のエコバッグのご婦人方も混じっており、早くも宇都宮の街の重要な交通インフラとなっているようです。開業直後は発着する電車の乗降に手間取り、現金客が捌けなくて大混乱に陥ったそうで、ホームには混雑対策であろう常駐の係員さんが配置されて、乗降客の整理を行っていました。

到着する列車から乗客を降ろし、一度扉を閉めて運転士氏が車内巡回とエンド交換。改めて開扉を行って乗客を迎え入れるスタイルの乗降整理。おそらく、開業当時はこの乗り降りの整理がごっちゃごちゃで、降車客と我先に乗り込む客で車内が混乱してしまったのだろうな。乗降分離と整列乗車大事。宇都宮ライトレールの車両、当然ながら超低床型の車両なので、ホームと車内の段差はほぼなく、年配者多めの乗客に優しい交通手段が提供されているのだな、と。

宇都宮駅東口から出発したライトレールは、鬼怒通りを東へ。通りの右左には新しいマンションや店舗・商業ビルも目立ち、改めて再開発された地区なのだなあという雰囲気。西側の旧市街に比べ、ライトレールの開業によって、不動産価値なんかも相当に上昇したのではないか?と。新幹線停車駅から直結する交通機関の沿線でもあり、新幹線通勤が可能な会社ならば、東京からの通勤圏と見做すことが出来なくもない。宇都宮へ向かう東京発の最終新幹線は22:44発で、宇都宮到着が23:38。ライトレールは新幹線の始発と終発に合わせて運転されており、最終の宇都宮駅東口発は23:46の平石行き。鬼怒川右岸の居住者であれば、十分に利用可能なダイヤである。

宇都宮ライトレールの沿線概要をさらっと。まずは宇都宮駅周辺地区。駅東口電停からはしばらく鬼怒通りの併用軌道を進み、平石駅の手前で併用軌道を立体交差で離れ、専用軌道で田園地帯を抜けて鬼怒川橋梁を渡って行きます。宇都宮大学陽東キャンパス電停の南側には映画館やスーパー銭湯を併設する「ベルモール」という大きなショッピングモールがあって、大学の学生とお買い物客の利用が目立ちましたね。車庫のある平石あたりまでが宇都宮駅から続く商業・住宅地区と言う感じで、ひとまずはこの区間の短距離利用が多いのかなと。

あ、そうそう。この区間で驚いたのは、峰電停の手前で4号国道をLRTがオーバークロスする事ね。最初っから道路と一緒に立体交差で国道との交差点をクリアすることが前提で建設されているのが新設のLRTらしい。今までの路面電車だったら、ここは信号待ちで結構時間を取られるシチュエーションだと思うのだが。新型のLRTは国道の上の立体交差をスイーっと上り下りして越えて行くのだが、宇都宮ライトレールの車両は、建設計画の中でこのような「都市に現れる人工的な急勾配」みたいなものを越えられるような出力の車両設計を求められたのだとか。こういうのも、これからの新設LRT車両には大事なスペックになるのだろうねえ。ちなみにこのような「併用軌道の立体交差」と言うのはこれまであったのかなあ。私の乏しい路面電車経験では記憶にないのだが・・・

 

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光よ届け、希望の轍。

2023年11月12日 22時00分00秒 | 宇都宮ライトレール

(久しぶりの二人会@JR上野東京ライン車内)

小学生までは結構月イチくらいでやっていた長男の息子との日帰り電車旅。ご多分に漏れず、中学に入ってからは部活だ友達付き合いだ塾だと休みの日でも忙しく、暫く休日だけの親子の関係もご無沙汰でいた。そんな10月のある日曜日、金曜日で中間試験も終わり、翌日の塾も夜の7時からだということで「テストも終わったし、久し振りにどこかへ行きたい。なんかいいとこないの?」なんて言い出した。夜7時から塾となると、夕飯の時間も考えて帰宅は夕方6時がリミット。そうなると大したところには行けないでなあ・・・とも思ったのだけど、「早く起きれるか?」と聞いたらそこは部活の朝練で鍛えている頼もしさ、どうとでもなるという。「あんまり朝早くから出掛けてって塾の途中で寝ないでよ!?」なんていう嫁さんのクギ差しを華麗に交わしつつ、朝6時半に家を出発。朝の上野東京ライン・快速ラビットの人になるのであった。膝を詰めてのボックスシートで、時刻表を繰りながら到着時刻を調べる息子。上野東京ラインの時刻が探せず、「乗り換え案内の方が簡単だよ」とポケットからスマホを出した。Z世代のさらに向こう側、当然ながらのデジタルネイティブである。

横浜の駅から2時間半、宇都宮の街にやって来た親子二人。最近、東武電車が好みなので北関東方面に行く機会は前より増えたのだけど、日光方面ばかりに行ってしまって宇都宮に来るのはだいぶ久し振りになる。宇都宮は休日お出かけパスのさらに向こう側(適用は自治医大まで)なので、乗り越し運賃を330円払って改札を出る。駅を跨ぐ東西通路から眺めれば、手前のホームに止まっているのは、宇都宮から先の黒磯方面や日光線で使われているE131系。このゾーン、東北本線筋はE231の補助編成の5両で運転されていたのだけど、日光線と運用をまとめてE131へ置き換えを行ったことで5両→3両と2両分の減車。合理化により、日光線の朝ラッシュなどは減便と相まって乗り切れない乗客が出たりしており、すこぶる不評なのだとか。コロナ明けの乗客が戻り切らないことと、そもそもの少子高齢化の進行により輸送需要の先細りが否定出来ない現在の人口動向。どちらも鉄道会社の新規投資に抑制的にならざるを得ない要因ですけど、何とも世知辛い話ではある。

だいたいにおいて、コロナ禍、災害による鉄路の寸断、少子高齢化、過疎化、乗客減、燃料費高騰、乗務員不足、減便、値上げ・・・と鉄道に対してよろしくないニュースが多すぎるこのご時世。どのみち国は道路にはふんだんに予算を付ける割には鉄道に及び腰だし、まあそれは「国鉄」と言う結局は債務のカタマリみたいな終わり方をしたものに対する徹底的な忌避感なのかもしれませんが・・・(国鉄に関しては一応独立採算制であったことは申し添えておきますが)。そんな未来に対してどうしても希望を持ちづらい「鉄道」と言う産業に、おそらく近年では稀に見る明るい話題がこの宇都宮の街から発信されたのは今年の8月のこと。鉄道に興味のない一般の方でもテレビのニュースでも見たと思うのですが、宇都宮市とお隣の芳賀町を結ぶ「宇都宮ライトレール(LRT=Light rail transit ・愛称:宇都宮ライトライン)」の開業です。例えて言うなら鉄道業界と言う砂塵渦巻く荒野に咲いた白いユリのような希望の轍も、8月の開業から一ヶ月半。そろそろ開業フィーバーも一段落したかな?と言うことで訪れた今回の二人会。息子と新規開業のLRT路線で遊んで来ようという趣向。

LRTの出発点は、宇都宮駅東口電停より。宇都宮の街っていうのは、JR駅から少し西側に離れた東武宇都宮駅との間に繁華街があるイメージがある。当然駅ビルなんかも駅の西側(東武側)に向いて建っていて、そもそも、駅の東側って何があった?と言われると何も思い出せない。もう20年前くらいのオーダーになるけど、あれは確か宇都宮競馬に年末の大一番であるとちぎ大賞典を見に行った大晦日の話。クルマで行ったら大雪に降られちゃいましてね。クルマが全く動かせなくなって、捨てて帰る訳にもいかないから大学時代の友人とか先輩とか電車でみんな帰って貰って、自分ともう一人の後輩だけが宇都宮駅の東口にあったビジネスホテルに泊ったんだよなあ・・・ということが思い出。あん時の宇都宮駅東口、特に何もなかった気がするのだけど、ウン十年ぶりの宇都宮駅東口は小ぎれいな駅前広場が作られており、新しい商業施設と病院、そしてJRの線路と並行する形でLRTの乗り場が整備されていました。

宇都宮ライトラインが結ぶのは、宇都宮駅東口から、鬼怒川を渡って芳賀町の芳賀・高根沢工業団地までの14.6km。起終点を合わせて停留所は19ヶ所。終点まで約45分で450円は、いわゆる路面電車の規模としてはそれなりに大きい。これより小さい規模の路面電車なんていくらだってありますからねえ。基本的には現金か車内のカードリーダーにICカードを読み込ませての運賃収受方式。私たちが行った際はまだ一日乗車券が発売されていませんでしたけど、現在は一日1,000円のフリー乗車券が発売されています。ただ、残念ながら宇都宮駅東口電停の定期券売り場でAM9:00~19:00までの発売と微妙に使い勝手が悪い。朝早めから乗りたい私のような人種が使えないのだが、フリー乗車券の出番は通勤時間が終わってから、と言うことなのだろうか。一日券はICタイプではなく紙券らしいので、全国の地方私鉄なんかだと運転士に常時携帯させて希望者には手売り対応してますけど、わざわざ運転士に金券と現金(釣銭用)を持たせるのは非効率って考え方なんですかね。

少し色付いた広場の街路樹を横目に、宇都宮ライトラインの車両がゆっくりとカーブを曲がって入線してくる。黄色と黒の斬新なデザイン。このカラーリングとデザインを最初見た時に、「なんか家庭用の高圧洗浄機みたいだな」って思った記憶がある(笑)。ケルヒャー感がすごい。宇都宮ライトレールの車両HU300形は、もちろんケルヒャー製ではなく新潟トランシス製造で、全部で17編成が開業時に準備されました。それにしても、何から何まで新しい宇都宮ライトレール。本邦において、既存路線の転換ではなくこのような完全に新しい形で路面電車が開業するのは、1948年(昭和23年)の加越能鉄道高岡市内線(現在の万葉線)にまで遡らねばならないというのだから、このLRTの敷設がどれだけ日本国内の鉄道の歴史においてエポックメイキングであるかが分かろうというものだ。「なんだか近未来的!すげえね!」と最近ぶっきらぼうになって愛想の悪くなってきた息子も興奮を隠さない、宇都宮ライトレールの旅が始まります。

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木曽三川の風に吹かれて。

2023年11月09日 17時00分00秒 | 養老鉄道

(夜のホームに一人@美濃山崎駅)

一応は養老鉄道のフリー乗車券を購入したものの、揖斐に行って帰ってくるくらいでまだ半分も権利行使をしていなかったこの日。夕方の入浴を海津温泉(しょっぱくてよく温まります)で済ませた後、ちょっと一往復電車に揺られてみることにしました。やって来たのはパークアンドライドが出来る美濃山崎の駅。駐車場にクルマを置いて、灯りも乏しい静かな集落の端にある暗がりのホームに立つと、揖斐川を渡って来た秋の夜風がスゥーっとレールの上を吹き抜けて行きます。

美濃山崎駅の夜。この辺りは駅間距離が長いので、けっこう交換シーンのある駅です。桑名方面行はモ601を先頭にするトップナンバー編成。モ601を始めとする近鉄(養老)600系シリーズは、元々は本線筋で使われていたラッシュ時の増結車を支線用の編成に小さくまとめて転用改造したグループで、何を隠そう(隠してないけど)近畿車両にて昭和39年製造の1600系に遡るのだそうな。現在の養老鉄道、元近鉄の500系・600系グループと東急からやって来た7700系のグループに分かれてはおりますが、近鉄組も東急組もともに昭和38~41年製造ときっちり昭和40年(1965年)前後の車両でまとまっており、平均車齢は60年程度。おそらく同じ東急7000系列を使用している弘南鉄道と並んで、路面電車を除けば日本一平均車齢の高い鉄道路線なんじゃないかなあ・・・さすが養老・・・(四国の「ことでん」とかもいい勝負してますかね)。

夜の養老線。美濃山崎から乗った桑名行きの電車には誰も乗っていなくて・・・うん、夜の地方ローカル私鉄なんてこんなもんか感は確かにあるけど、養老線はこの大垣経済圏と桑名経済圏に向かう流動から外れた旧南濃町の部分が非常に厳しいのです。これは前回乗った時も同じでしたね。この旧南濃町の辺りって、大垣も遠い、桑名も遠いという感じの農村地帯ですが、この辺りの人は木曽三川を渡って海津市を通り抜け、愛西市とか稲沢市の西側のあたりの経済圏と関わってるんじゃないかと思うのですよね。鉄道の敷設されてる方向が人の流れに合ってない。ここらへんの不幸な感じ、なんとなく長電の屋代線沿線の雰囲気に近い。屋代線も、沿線住民が千曲川渡って長野市街に出る流動に路線が合わなくなってしまった不幸があるのでねえ。そんなこんなを考えながら、一駅一駅人のいないホームを辿って行く。

角型の尾灯が余計にクラシカルな印象を受ける桑名行きの近鉄電車は、濃い臙脂の入ったシンプルな近鉄マルーン。この色は「ひのとり」に採用されて一躍脚光を浴びましたが、普段使いでは地味な感じでむしろやや野暮ったさすら感じる色ではあります。夜の下野代の駅での交換待ち。大垣行きの到着を待つ静かな駅に、近鉄車の奏でる静かな機械音だけが聞こえる空間に、思わずホームに出て体を伸ばしたりする。地方私鉄の存続のためにお客さんは乗っていて欲しいけど、かといって地方私鉄に求めているのはこういう時間を愛でる事だったりする訳で、とかく鉄道ファンは色々と注文がうるさいものだ。

秋の一日を楽しんだ養老鉄道の旅。近郊電車然とした揖斐~大垣~美濃高田、長閑な田園地帯に山並み迫る養老~駒野、ゆったりと天井川をくぐりながら揖斐川沿いの街を下って行く駒野~桑名。揖斐から桑名まで57.5kmは、決してカメラマンが押し寄せるような絶景が続いている訳でもなく、耳目を集める車両が揃っている訳でもありませんが、いつ行っても落ち着いた趣のある地方ローカル私鉄の雰囲気を楽しめる、乗りごたえのある路線だと思います。

ホームに続く通路に沿って咲く彼岸花と、近鉄マルーンがその色を競っていた美濃山崎の夜です。

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南濃、街並み、営み。

2023年11月07日 17時00分00秒 | 養老鉄道

(水神様の社の前を@大外羽~友江間)

西日薄く迫る大垣の街外れ、田園地帯の鎮守の森を横目に走る東急7700。「水神社」と言う名前の神社がこの辺りにはそこかしこにあって、まっこと稲作に大切なのは水と言うことになりましょうか。方々を旅していると、どこの田園地帯にもまっ平らな稲穂の波の中にポッコリと木々に包まれたお社様があって、作物の豊かな実りが祈念されているのだけど、この地方だとまずはという万物をつかさどる「水」への思いが先に来るようだ。もちろん、農業において「降る時に降り、照る時は照る」ことは非常に大事なファクターなのだけど、それ以上に生活の基盤が水から守られていること=治水への思いが強いのではないか。

宵闇に紛れる鎮守の森。こちらは石津駅隣の杉生神社。こんな雰囲気の、失礼を承知で言えば日本中どこにでもあるような神社でも創建800年を超えるという由緒を持つという。参道の中を養老線の線路が横切っている。この手の「参道&鳥居&お社」という組み合わせは、夏の出雲でもさんざっぱらやってしまったのでアングル的には食傷気味かもしれません(笑)。ですが、この長年続けているローカル私鉄を巡る旅の中で、やはり集落の人の暮らしと営みを支えるのは、糧としての農であり、漁であり、食であり、そして祈りであると思うのですよね。

秋の祭礼を控えて、提灯の下がる参道を抜けて行く近鉄電車。
集落の明かり灯る頃、夕餉の匂いとともに。

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