(歴史の道、あふさかやまの道@逢坂関跡)
大谷駅から浜大津まで。いわゆる「逢坂越え」の道には、京の都から東国や北陸道へ出て行く際の関所である「逢坂の関」があったことで、古くからの歴史や文学に名前を残しています。百人一首に読まれた蝉丸和尚の「これやこの いくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき」の句でしょう。意味としては、「これが、知る人も知らない人も分かれて行く、有名な逢坂の関なのだなあ」という見たままの感想なので、何かの掛詞が織り込まれていたり何かの暗喩があったりということはなかったりする。蝉丸和尚と言えば、百人一首の絵札を使った遊びである「坊主めくり」では最凶最悪のカードと言われており、引いた瞬間にビリ確定とか、引いた瞬間トップ目に持ってるカード全部あげなきゃいけないとか色々とローカルルールがありましたよね。我が家だとどうだったかな?引いた瞬間ゲーム終了で、その時点での持ち札数のトップが勝者になるルールだったと思う。なんで蝉丸がそんな特別キャラ扱いされるのかってーと、蝉丸って百人一首で出て来る坊主の中で唯一帽子をかぶってて、パッと見で坊主に見えないから・・・という理由だったような。
京津線の逢坂山越えのトピックス、逢坂山隧道東側にあるほぼ直角の超絶急カーブ。電車は極端にスピードを落として、車輪をレールに擦り付けながら慎重に慎重にカーブを曲がって行きます。特にイン側にあたる浜大津方面行きのレールの半径のキツさは恐ろしい。実際の鉄道線ではあるのですが、その見た目のスケール感はNゲージに近いですよね。ここを単車以外が通ることが無謀に近いと思えるほどの急カーブで、よく見ると京津線の電車の台車が車体からはみ出しているのが分かります。京津線は全線が軌道法に基づいて建設されているので、こういう急カーブなど通常の鉄道線では計画外になりそうな規格のものも随所に取り入れられているようです。そのため車両限界的には相当厳しいものがあって、800形1両の全長は16.5mなんですが、これ以上車体が長く出来ないんでしょうね。本当は京都市内を地下鉄で走るならもっと大型の車両を入れたいんでしょうけども。
上栄町~大谷にかけての登り坂を。国道1号線に沿ってブラブラと下って行く。逢坂山トンネルを境に浜大津まで下り坂なので、歩きの身には楽だ。上空を大きく跨ぐ二本のアーチは名神高速道路の上下線。大津トンネルと蝉丸トンネルの間になる。このアーチをくぐって逢坂山の急カーブに向かう電車を待っていたのだが、逢坂山の山影に早くも隠れ始めた光線でまだらになってしまった。気にしない(気にしろよ)。
逢坂山の峠道、この辺りが文字通り「逢坂」という名前の集落になる。滋賀県大津市逢坂一丁目、ということだが、東海道と京津線にへばりつくようにしてウナギの寝床のような家々が並んでいる古い家並みが特徴的だ。逢坂山の坂道を下って行く京阪800形。峠のサミットの大谷駅が標高160m、びわ湖浜大津の駅が標高90m程度だから2.5kmで70mを降りて行く事になる。平均したら30‰弱の勾配になるのだからそれなりの連続勾配だ。地下鉄・登山電車・路面電車のトリプルハイブリッド、それが京阪京津線の魅力である。
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