青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

弥生・藤の牛島/卯月・桐生球場前

2023年12月23日 10時00分00秒 | カレンダー

(弥生・春雨の大落古利根川@藤の牛島~春日部間)

桜三月散歩道。三月は花の季節。初旬は梅で、下旬は桜。この時期は、天気はともかく花に合わせて動きまくっていた。晴天に恵まれた桜の三岐鉄道、宇賀川の桜も良かったけど、今回はあえて東武野田線・藤の牛島の桜を。満開の桜咲く大落古利根川のプロムナード。駅の近くで買った謎のお好み焼き屋のお好み焼きを齧りながら眺めた桜並木。8000系が元気に活躍する姿を映しておきたくて・・・なんて思いもあって撮影しに行ったのだけど、半年後に南栗橋で眠っていた8111Fが11年ぶりに本線に復帰するとは思わなんだ。ちょっとタイミングが合わなくて撮りに行けてないんだけど、今一番関東でアツい案件は東武野田線だと思う。来年の大落古利根川、8111Fと満開の桜を狙ってものすごい数のカメラが並びそうで、今から戦々恐々である。

昔は、入学式の時期が桜、そして青葉がゴールデンウィークの時期というような感じもありましたが、もう4月の半ばで桐生球場前の桜は青々とした若葉を繁らせていました。ここ、今年の桜候補に挙げていた桜並木だったんですけど、日程と時間と開花時期が合わず・・・そうそう、4月の半ばに、4年ぶりくらいに上毛電気鉄道のイベントが再開されたんですよね。コロナ明けからはどこの鉄道会社も参加人数絞って高額な撮影会とか、そういう「収益性」を前面に出し過ぎたイベントばかりになってしまったけど、上毛のイベントは、以前のようにいつもの大胡車庫を使った開けっぴろげな無料イベントのまま。変わったことと言えば、これも恒例のデハ101の乗車体験イベント列車がなくなって、西桐生と中央前橋の駅で午前と午後に「車内展示会」として企画されたことでしょうか。さすがに御年95歳、貸し切り以外で大勢の乗客を乗せて走るにはリスクが高いのだろうか。乗れれば乗りたかったけど、仕方がないので午前→午後の場所移動時の走行シーンの一コマ。若葉の下を古豪駆け行く、いつまでも、エバーグリーンな輝きを。

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睦月・夜間瀬/如月・東吾野

2023年12月21日 17時00分00秒 | カレンダー

(走れ!僕らのヒーロー@夜間瀬~上条間)

おまっとさんでした、ということであっという間に2023年も12月となりまして、来年のカレンダーを作りながら今年を振り返って行こうという恒例の企画。こないだの土曜日あたりは半袖でもいいくらいの暑さで、とても年末なんて感じもしなかったのですが、それから二日三日であっという間に最高気温が10℃以下。あまりにも寒暖差が激しすぎて嫌になる。日本は夏と冬しかない「二季」の国になったなんて言われますけども、その二季が一週間の中で行ったり来たりするのはさすがに異常だと思う。私の写真のモットーは、なるべく風土と季節を上手に取り込みながら、見た人に「あ、ここ行ってみたいな」と思ってもらえるような・・・フワっと言うなれば「旅心をそそる」ような写真なのですが、このままでは季節もへったくれもない写真ばかりを量産することになってしまうかもしれない。閑話休題。そんな2023年の始まりは、正月明けの三連休で長野に行った際のひとコマ。どんど焼きが行われていた夜間瀬のお社、雪野原で遊ぶ子供達の声援を受けて、ゆけむりが行く。

二月。たまの平日の休みを使って出掛ける秩父行脚。両パンデキの鉱石列車を愛でるのが目的ながら、その行き帰りで乗車する西武秩父線が結構楽しみだったりする。撮影を終え、飲みたい酒をひと缶買って、適当なツマミを咥えながらまったりとガラガラのボックスシートに足を投げ出し、暗がりの正丸峠を越えて行く。東吾野の交換待ち、ほろ酔い気分の体をキリっと引き締める奥武蔵の冬の夜風、西武秩父行きのラビューが山間の小駅を駆け抜けて行きます。

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野岩の魅力と聖地化と。

2023年12月19日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(野岩国境を往く@中三依温泉~上三依塩原温泉口間)

会津西街道の山里に日暮れの訪れは早く、既に藍を流したような夕暮れが迫っていました。鬼怒川の上流に当たる男鹿川の源流部の河原に三脚を立て、列車の登場を待つ。寒いのと、クマでも出てきたらたまらないので、通過までは安全を期して車内にて待つことに。列車が湯西川温泉の駅を出た頃合い、時計を見計らって外へ出る。男鹿川を斜め一直線に渡って行くリバティ会津。車内の明かりに河原のススキが光る。

新藤原駅の静かな夜に、野岩鉄道・61102Fを眺める。東武6050系、首都圏と会津のリレーランナーとして、平成時代を駆け抜けた会津快速の最後の末裔であります。野岩鉄道サイドも、この車両の今後の活用方法を模索する中で、クラウドファンディングを募って現在休車になっている61101Fの復活を目論んでいると聞きました。正直、野岩鉄道で改めて自前の車両を導入するような資金の捻出はなかなか厳しいところですし、東武にも適当な2両編成の後継車両は今のところ見当たらないんですよね。20400系は4連だし、舘林の工場では10000系列の2連改造を一生懸命行っていますけども、そこらへんはまず舘林以北の路線に残っている800系を淘汰することが優先になっているようなので・・・

そういう意味で、野岩鉄道における6050系の運用体制は暫くのうちは確保されるのかなと。年末年始には元6050系の改造車であるスカイツリートレイン634を東武から借り受け通常運用に投入するそうで、社長さんのSNSでのプロモーションも積極的なんですよね。今後は東武で全廃された6050系の聖地化を図るのであれば、それも生き残り方の一つなのかなとも。

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法衣、三依の帰依。

2023年12月17日 11時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(歴史の碑、秋に眠る@中三依温泉駅前)

既に初冬の雰囲気のある、冷たい風の中三依温泉駅前。人跡未踏の山岳地帯を往く野岩鉄道の駅の中では比較的集落の中にある駅なんですが、駅前のロータリーの片隅に、ひっそりと植え込みに覆われた石碑がありました。「野岩鉄道会津鬼怒川線開通記念碑 昭和六十一年十月九日 中三依駅祝賀行事実行委員会」とある。当時は「温泉」はついてなくて、中三依温泉駅は中三依駅、お隣の上三依塩原温泉口駅は下野上三依駅という名前でした。野岩鉄道開通当時の時刻表を見ると、新藤原始発はなく、新栃木発や下今市で分割された東武電車がそのまま野岩鉄道まで乗り入れてくるダイヤだったようです。そして、中三依折り返しが一日3本。この辺りまでは沿線住民の乗車需要が高かったということなのだろうか。ただこんな石碑を残すくらいだから、当時の中三依に暮らす人々にとって、鉄道の開通がどれほど待ち焦がれていたものだったかというのは想像に難くない。祝賀行事をおこなうくらいの慶事は、今から37年前の、秋の日のこと。

中三依温泉駅は、集落を見下ろす築堤の上に島式のホーム1面2線の設備。野岩鉄道の中間駅の中で、交換設備があるのはここと川治温泉・上三依塩原温泉口の3ヶ所だけなので、線内では比較的交換シーンの多い駅です。駅舎は小さなプレハブ小屋のような造りになっていて、既に長い間シャッターが閉じられていますが、ここに昔は出札窓口でもあったのだろうか。それとも、余りに小さすぎるから自動券売機の設備のみがあったのだろうか。おそらくもう今後一切開くことはないのだろうけど・・・中三依の集落には未だに郵便局や交番、小学校と中学校(日光市立中三依小・中学校)があって、会津西街道の栃木側では最後の集落らしい集落でもある。駅の近くには、行政が観光振興のために掘削した温泉(中三依温泉男鹿の湯)とキャンプ場があるのだが、泉温が低いため通年営業しておらず、冬場になると営業をやめてしまうのがネック。以前、子供と南会津の旅に出かけた時に立ち寄ったことがあって、優しく清澄な湯であったのを覚えている。

色鮮やかな紅葉を横目に、中三依温泉駅に滑り込む6050系。かつては、6時台から20時台まで上下で毎時1本の本数は確保されていて、それなりに沿線の通学や移動の需要などもあったのだろう。今は特急リバティを含めて6時台から20時台までの有効本数は10本。日中では2時間程度列車のスジが開くタイミングもあったりして、沿線を乗り撮りして回るのはなかなかしんどいものがある。周辺には「クマ出没注意」の看板がたくさん置かれていたのだが、日本の山里は最近人よりクマの方が住みやすくなってしまった感じもあって。現在の中三依温泉駅の利用客数は日に10人~20人程度というデータがあるが、コロナの前の話だから、今ではどんなものなのだか。

地名の由来にもなった三依山への稜線を眺める中三依温泉の駅前。カラマツ林の向こう、標高の高い場所では既に葉が落ちていて冬山の気配があった。駅前には宝蔵院という大きなお寺さんがあって、そこの大銀杏も見事なものだ。中三依、上三依の「ミヨリ」という地名、会津西街道沿いにはもっと北の方に上三寄(かみみより)という場所もあったりして、この辺り特有の地名の特徴な気がします。上三寄は、現在の会津鉄道の芦ノ牧温泉駅周辺の地名なんですが、そう言えば、国鉄時代は同駅の駅名も「上三寄」でしたね。地名の由来は、「三つの川の寄り合わさるところ=三依・三寄(ミヨリ)」ということなのだそうです。

駅前で徒然なる時間を過ごしていると、お寺の扉ががらりと開いて法要を終えた一家が出て来た。お務めを終えたお坊さんに丁寧に礼を言って駅前の道を帰って行く三世代の家族の背中と、見送る六地蔵。そして野岩鉄道の列車。会津西街道の小さな小さな集落に続く山里の暮らし。家族の未来に、三依の未来が続いていますように。

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陰と陽。

2023年12月15日 23時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(山影に沈む@川治温泉~川治湯元間)

午前中に撮影した川治湯元駅手前の第一鬼怒川橋梁。川治ダムの展望台から望む大俯瞰の構図。三年前の秋に訪れた際、素晴らしい紅葉の大パノラマを手中に収めたとてもいい思い出があり期待をしていた場所。しかしながら、秋の日は釣瓶落としとも言いますが、午後のそんな遅い時間ではないものの早くも山影に沈みかけていた。日の短い時期の山間部での撮影、晴れていた方が当然紅葉は映えるのでありますが、そうなるとどうしても本当に狙った光線で撮れる時間は短くなる。割と撮影の際は色々な場所で手数を出して行きたいタイプなので、こういうシチュエーションはいっそのこと曇ってしまった方が楽。

いっそのこと、な川治ダム俯瞰。山の端から差す光線は紅葉の山々には届かず、僅かに橋の天板を照らすのみ。陰と陽のコントラストが違い過ぎるという撮影には極めて難儀する構図となりましたが、列車の通過時間は近付いていていまさら撮影場所を変えるわけにもいかない。どうするかなとない頭を一捻りしてこんな構図。どうせ紅葉の山並みが写らないのであれば、いっそそこは山影に沈めてしまおう。めったに使わない400mmの望遠レンズを三脚に取り付け、スポットライトの中を往く6050系を切り取りました。

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