青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

柚子の香ほのか、藤原の町。

2023年12月11日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(野岩の拠点・野岩の要衝@新藤原駅)

野岩鉄道、秋の臨電が新藤原のホームに憩う。一往復目の中三依温泉への行路が終了した61102Fが、今度は会津高原尾瀬口行きの二往復目の出発待ち。閑散としたホームに人影はなく、たまに起動するコンプレッサーの音だけが、昼下がりの駅に響いています。そうそう、そもそも野岩鉄道の車両って今までは野岩・会津持ちの6050系をひっくるめて東武の新栃木検車区でメンテの面倒を見てたはずなんだが、今後はどうするのだろう?日常の検査は新藤原でやって、重要部検査だけは新栃木とか南栗橋まで行ってやるのだろうか。もともと、野岩鉄道は運行や車両整備については東武と一心同体の会社なので、そこら辺の機能をほとんどアウトソースしてしまっているんですよね。

駅舎に近い行き止まりのホームと、上下線がそれぞれの方向に出発可能な島式ホームが1面の変則2面3線の配線。新藤原は、東武鬼怒川線の終点でもありますが、野岩鉄道にとっても本社だったり検修庫があったりする運転上の要衝です。平成の大合併にて現在は日光市に属していますが、藤原町と言えば、元々は鬼怒川・川治の両温泉を含む地域を中心とした自治体でした。駅は「しんふじわら」なんですけど、町名は「ふじはら」町でしたね・・・。そもそも、新藤原駅があって、藤原駅はないの?って思ったりもするのだが、かつてこの地までレールを伸ばした下野軌道には「藤原駅」があったらしい。その跡地がどこらへんなのかを探した記事があるかと思って探してみたのだが、あまり情報がなかった。結構鉄道廃線系の話って探せばなんか知ら情報出てくるもんなんだけどね。

下野軌道は、東武日光線よりもはるか昔の大正年間に今市~藤原間に開通した鉄道で、鬼怒川沿いの電源開発や林野業のために作られた軽規格の産業路線。下野軌道は昭和になると東武鉄道に買収され同社の東武鬼怒川線となりますが、鬼怒川線が日光線の極めてストレートなルート取りと違って実にクネクネと曲がりくねった隘路を進むのは、もちろん地形の違いもありますが、建設時期による土木技術の違いもありそうです。かつての会津快速も、下今市で東武日光行きの車両を落とし、新藤原までえっちらおっちらとカーブを走って来て新藤原でさらに2両を落とし、野岩鉄道に入ると身軽になった体で高規格のレールの上を実にのびのびと走り始めたのを思い出しますね。

会津高原尾瀬口に向けて、藤原の町を出発していく61102F。藤原の町の民家の軒先に、たわわに実った柚子の果実。
ほんのり漂う爽やかな香りを風に乗せて、颯爽と走り抜けて行きました。

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龍王鬼怒の流れに遊ぶ。

2023年12月09日 14時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(シャンパンゴールドの競演・・・@龍王峡駅)

秋の龍王峡にて。名もなき沢のせせらぎポイントでもう少し頑張ってみる。このせせらぎの横を通るハイキングコースは、紅葉狩りをする多くのハイカーがたくさん。沢に降りて三脚を構えている自分のことを、ちょっと興味本位で眺める人、私も撮ってみようかなんて、同じようにスマホを取り出し撮影をしていく人。お昼になって、トップライトに近づいて行く光線が明るく森を彩る。苔生す岩の間を流れる清冽な水と、小網トンネルを抜けて来た特急リバティ。どちらもシャンパンゴールドの色を成して流れて行きます。

小網トンネルからひょっこりと顔を出す野岩鉄道の6050系。先ほどせせらぎで見送った中三依温泉行きが折り返してきたようだ。国鉄の新線計画の中で開業するはずだった野岩線は、鉄建公団の建設により福島県と栃木県の第三セクターとして設立された野岩鉄道に無償で移管されたものですが、移管に伴い国鉄再建法によってキロ当たり1,000万円もの転換交付金が受けられたのだそうです。国鉄末期からJR発足までの昭和~平成にかけての時代は、国鉄再建の真っただ中で積極的な投資は理解を得にくかったこともあり、「国鉄で計画していた路線を鉄建公団に建設させ、地元に設立させた第三セクターへ卸す」みたいな経緯で新線開業を果たした三セク路線がたくさんありましたよね。

ただ、国鉄分割民営化から約40年が経過し、当時設立された第三セクターも地方の過疎化により厳しい経営を強いられているところも少なくありません。ご多分に漏れず、野岩鉄道も2年前に一日の運行本数を18往復から10往復へ大きく減便したまま、未だに回復する見通しがなく・・・。日光方面は海外のインバウンド需要が順調に回復しているようですが、野岩鉄道までなかなか波及してこないのですかねえ。個人的に好きな路線なんで、何かしらの機会があったら乗車したいんですが。上三依塩原温泉口駅から塩原温泉方面へバス(那須塩原市市営バス)も出ていたりするんで、新しい回遊ルートの一つに加えてみてはいかがでしょうか・・・

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黄金の淵に水湛え。

2023年12月07日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(龍王峡・黄金のせせらぎ@龍王峡~川治温泉間)

野岩鉄道は、何度もお話させていただいている通り鉄建公団が建設した高規格路線でありますが、趣味者における鉄建公団線の問題点というのは、とにかくルート上の障害物に関してはトンネルと高架橋でなんでもクリアしてしまうので、撮影する場所が極めて限られるということにあります。とにかく踏切を極端に避ける傾向と、住宅がある場合は人工掘割か地下に潜ってしまうし、山が近づけば勾配で交わそうとせずに長いトンネルを掘ってしまうし、川や谷に関しては高い高架橋で一跨ぎ。通常の鉄道路線のような「レベルの目線」で撮影出来そうな場所がほとんどないのだ。そうなると、実際に撮影できる場所というのは非常に限られていて、自由なアングルは組みにくい。取りうる手段と言えば、駅で撮影するか、高い場所から見下ろすか、下から見上げるか、それとも谷の対岸に渡って無理矢理レベルに目線を合わせるか。なのだが、この龍王峡の中にほんの一瞬現れるレベル区間があるのを知ったのは何年か前のこと。鬼怒川に流れ込む名もなき沢筋を跨ぐほんの僅かな明かり区間。この岩陰のすぐ左は龍王峡の駅で、そして右側は2,668mの小網トンネルの坑口。

新緑の時期も素晴らしいのだが、この紅葉の時期も素晴らしい、広葉樹に包まれた沢のせせらぎ。色付いた葉を透かして差し込む秋の陽射しが、水面と辺りの岩肌を黄金色に染める。沢音に包まれてなかなか列車の接近音が聞こえにくいのだが、隣が龍王峡の駅なので時計とにらめっこしていればなんとなく列車の来るタイミングは分かる。この手の撮影地は、ボケっとしていると目の前をスウーっと列車が通過してしまったりすることがあって油断がならない。都会の電車なら撮り直しも効くが、野岩線の運行本数で一本でも撮り逃してしまったら大変なことだ。

ちなみにこの日は、朝10時に鬼怒川温泉着の後は午後3時までお休みとなる野岩鉄道車両での運用を日中に回し、鬼怒川温泉→中三依温泉→新藤原→会津高原尾瀬口→上三依塩原温泉口→鬼怒川温泉という行路で変則2往復の臨時運転を行っていました。日中に6050系が撮影出来る機会などそうもないので、ありがたくこのシチュエーションを頂戴いたします。撮り逃さぬよう耳を澄ませて、シャッターを切りました。

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土木と自然のマリアージュ。

2023年12月05日 17時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(野岩国境、天空を渡る@川治温泉~川治湯元間)

川治向トンネルを抜け、川治ダム直下部の第一鬼怒川橋梁を渡る会津田島行きの特急リバティ。鬼怒川の刻む谷にかかるT字のやじろべえのようなPCコンクリートの高架橋、谷底からの高さはいかばかりか。野岩鉄道は、新藤原から会津高原尾瀬口までに三回鬼怒川を渡りますが、橋梁の附番やトンネルの番号は会津高原側を基準に付けられています。鉄道の「上り・下り」とかもそうだけど、基本的には首都圏基準でモノを考える鉄道会社の整理の仕方としては珍しい。建設が会津側から始められたことも要因なのだろうか。野岩鉄道は、国鉄の「野岩羽線」構想を元にした計画により国鉄新線として計画され、実際に着工も始まっていましたが、国鉄再建法に基づき新線の計画が差し止められ計画が凍結。全国に同様の未成線が多数発生することとなります。そのため、地元の受け皿が出来ている場合は鉄道免許を積極的に譲渡し、栃木県と福島県が第三セクターを設立する形で鉄道免許を申請し、鉄建公団がその建設を請け負うという「付け替え」のような構図で開業に漕ぎ付けました。このような経緯で開通した第三セクターは、既存ルートのバイパス線区や都市間連絡鉄道としての性格を持つものが多く、阿武隈急行や智頭急行、北越急行など、踏切を持たず、長大高架橋や長大トンネルで地形のアンジュレーションを交わすような高速&高規格路線となっているものが多いですね。これがいわゆる鉄道マニアが言うところの「鉄建公団線規格」というものなのですが。

野岩鉄道の魅力は、勿論風光明媚な会津西街道沿いの山里の景色もそうなのだけど、峻険な山々に真っすぐ貫かれた線路や長大橋梁&長大トンネルなどの高規格な土木構造物による「土木技術と大自然のマリアージュ」みたいなところなのではないかと思っている。特に五十里湖と川治ダムを抜けて行く川治湯元~湯西川温泉~中三依温泉の間は、男鹿川沿いにレールを敷設するような平地が全く確保出来ないため、4,250mの葛老山トンネルで堂々と山体を貫き、五十里湖の上を湯西川橋梁で一気に越えて行く。鉄道黎明期ではとても真似出来ないような思い切った線形で、地図の上に定規で真っ直ぐに一本線を引いたようなルート取り。これは同じ鉄建公団線である智頭急行や北越急行もそうなのだけど。

ただし、そんな「地図の上に定規で真っ直ぐ引いたような」線形というものは、人跡未踏な・・・というか、ややもすると定住不適地だからこそなせるもの。沿線人口が少ない、ということになれば、通過需要をどこまで掴むかということなんですけど、陰陽連絡の主要ルートとなった智頭急行や、かつては首都圏から対北陸の最速ルートであった北越急行などとは異なり、南会津地域から先の会津若松・喜多方方面までの通過需要はそう多くありません。通過というよりは、1泊2日ないしは2泊3日くらいで日光鬼怒川・川治・湯西川温泉に大内宿・会津若松&喜多方と合わせた宿泊込みでの周遊ルートという感じでしょうか。東武鉄道の会津方面のフリーきっぷは4日間有効でそれなりに使いでがありそうなのですが。

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川治湯元の秋景色。

2023年12月03日 10時00分00秒 | 野岩鉄道・会津鉄道

(温泉場の駅@川治湯元駅)

野岩鉄道に唯一残る、東武6050系の忘れ形見61102編成が、まっすぐな高架橋を渡ってやって来ます。2017年まで、長年に亘り浅草~会津田島間の通称「会津快速」に充当される車両として、一都三県を跨いだ活躍を続けて来ました。東武・野岩・会津の三社を一気通貫で結んでいたため、その走行距離と輸送規模などを勘案し、東武6050系モデルを野岩が3編成・会津鉄道が1編成を持ち合い、全体としては一括の運用で使用されていました。このように、相互乗り入れにかかる車両の貸出料金を相殺するために、お互いに同一形式の車両を持ち合ったりリースしたりというのは珍しくなくて、京成-北総-住都公団とか、南海-泉北とか、相互乗り入れに絡んで色々な事例があります。野岩と会津の6050系は、それぞれが60000番台を名乗っていてインフレナンバーになっているのと、一応車体側面のナンバーの横に、かわいらしくそれぞれの会社の社紋が入っているのが特徴でもありましたね。

2017年の会津快速の特急リバティへの転換。日比谷線へ70000系が投入され、余剰となった2000系の改造車である20400系により日光線ローカルの役目からも追われ、東武本体で6050系の全廃が決定したのが2022年の3月のこと。同時に会津高原尾瀬口~会津田島間のみの電化区間しか持たない会津鉄道が同形式を廃車としたので、同形式は野岩鉄道のみに残ることとなりましたが、野岩でも3編成のうち1編成が廃車、残る2編成のうち1編成は検査切れで運用を離脱し、この61102編成だけが現在運用に就いています。野岩鉄道はコロナ禍の中で2022年3月で大規模な減便ダイヤを実施し、日中の線内列車はほぼ東武から乗り入れる特急リバティに任せている状態なので、自社車両を使用した線内列車は朝晩だけ。なかなか撮影する機会も少なくなってしまった6050系ですが、この週末は日中に紅葉臨時列車が線内を2往復すると聞いてはるばる川治までやって来たのでありました。

川治温泉は、「鬼怒川・川治」なんて一括りにされますが、鬼怒川に比べるとだいぶ小ぢんまりとした温泉街。それでも、男鹿川に沿って「一柳閣」や「隆陽館」を始めとする老舗ホテルが立ち並んでいます。お湯もね、硫黄っ気を少し含んだ熱めの湯で湯量も多いし悪くないですよ。大浴場中心で湯使いがイマイチな鬼怒川よりいいんじゃないですかね。ただ、ちょっと鬼怒川より15kmくらい奥に入るのでアクセスが・・・ってのはあるかもなあ。どうせ奥に行くなら湯西川っていう選択肢もありますんでね。駅から温泉街は10分程度ですから、温泉客の呼び込みに野岩鉄道が活用されていればいいんですが、実態はなかなか厳しいようです。

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