(野岩の拠点・野岩の要衝@新藤原駅)
野岩鉄道、秋の臨電が新藤原のホームに憩う。一往復目の中三依温泉への行路が終了した61102Fが、今度は会津高原尾瀬口行きの二往復目の出発待ち。閑散としたホームに人影はなく、たまに起動するコンプレッサーの音だけが、昼下がりの駅に響いています。そうそう、そもそも野岩鉄道の車両って今までは野岩・会津持ちの6050系をひっくるめて東武の新栃木検車区でメンテの面倒を見てたはずなんだが、今後はどうするのだろう?日常の検査は新藤原でやって、重要部検査だけは新栃木とか南栗橋まで行ってやるのだろうか。もともと、野岩鉄道は運行や車両整備については東武と一心同体の会社なので、そこら辺の機能をほとんどアウトソースしてしまっているんですよね。
駅舎に近い行き止まりのホームと、上下線がそれぞれの方向に出発可能な島式ホームが1面の変則2面3線の配線。新藤原は、東武鬼怒川線の終点でもありますが、野岩鉄道にとっても本社だったり検修庫があったりする運転上の要衝です。平成の大合併にて現在は日光市に属していますが、藤原町と言えば、元々は鬼怒川・川治の両温泉を含む地域を中心とした自治体でした。駅は「しんふじわら」なんですけど、町名は「ふじはら」町でしたね・・・。そもそも、新藤原駅があって、藤原駅はないの?って思ったりもするのだが、かつてこの地までレールを伸ばした下野軌道には「藤原駅」があったらしい。その跡地がどこらへんなのかを探した記事があるかと思って探してみたのだが、あまり情報がなかった。結構鉄道廃線系の話って探せばなんか知ら情報出てくるもんなんだけどね。
下野軌道は、東武日光線よりもはるか昔の大正年間に今市~藤原間に開通した鉄道で、鬼怒川沿いの電源開発や林野業のために作られた軽規格の産業路線。下野軌道は昭和になると東武鉄道に買収され同社の東武鬼怒川線となりますが、鬼怒川線が日光線の極めてストレートなルート取りと違って実にクネクネと曲がりくねった隘路を進むのは、もちろん地形の違いもありますが、建設時期による土木技術の違いもありそうです。かつての会津快速も、下今市で東武日光行きの車両を落とし、新藤原までえっちらおっちらとカーブを走って来て新藤原でさらに2両を落とし、野岩鉄道に入ると身軽になった体で高規格のレールの上を実にのびのびと走り始めたのを思い出しますね。
会津高原尾瀬口に向けて、藤原の町を出発していく61102F。藤原の町の民家の軒先に、たわわに実った柚子の果実。
ほんのり漂う爽やかな香りを風に乗せて、颯爽と走り抜けて行きました。