(ハナミズキの咲く道を@花水坂~医王寺前間)
飯坂の温泉街を背に、小川の鉄橋を渡って行く「いい電」リバイバル。小川というのは抽象的な名称ではなく、川の名前が「小川」という川で、摺上川の支流に当たります。この小川と摺上川の間に湧いているのが飯坂温泉。上流の穴原温泉と並んで、奥州三名湯に数えられる東北屈指の古湯です。飯坂と言えば、昭和の時代はいわゆるお色気的歓楽要素が強く、大勢の芸者衆がお座敷にかかった温泉場。北陸の加賀・山城もそうですけど、いわゆる「男の甲斐性」的な会社の慰安旅行なんかで賑わいを見せた温泉場ってのは、団体客やツアー客狙いの大型の観光ホテルを中心にした宿泊施設が多く、そういったものが時の趨勢により段々に衰退して行きました。大箱のホテルは廃業するか中国資本に買われ、あるいは伊東園ホテルズみたいな再生屋に買われ、バイキング&大衆路線に転換して行きました。芸者遊びは「スーパーコンパニオン」という名前に形を変え、今でもそれなりに濃度の高いお遊びをすることも出来るのだそうですが、現在は個人客を中心に、昔ながらのレトロ旅館と温泉街を楽しむような「映える」楽しみ方をするのが人気があるようですね。「温泉むすめ」みたいなのも流行っているようですし・・・福島交通を始めとする地方ローカル私鉄も「鉄道むすめ」みたいなものを取り入れてますが、令和の時代らしい「萌え」と「推し」みたいなコンテンツビジネスはどのジャンルでも花盛り。ちょっと乱立し過ぎて食傷気味ではあるのですが。
花水坂から医王寺前まで歩く。医王寺はこの駅から北へ歩いて10分くらいの場所にあり、空海が開山したとされる古くからの名刹。松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも、この医王寺で詠まれた句があるそうな。医王寺と言われると私なんかは秋の福島競馬の「医王寺特別(芝2,000m)」というイメージなのですが(笑)。2000年代からは春の福島開催の芝の1,200mになってるみたいですね。相変わらず知識がアップデートされていない。というか、福島周辺を歩いているとそこらじゅうの地名が福島競馬の特別戦なのでいちいち思い出を反芻してしまう。保原駅とかどうしてもアラブのオープン特別だった「保原ステークス」を思い出してしまうしな・・・そして、医王寺前の駅は島式ホームながらかなりホームが狭い。飯坂温泉側の最後の交換駅なので、朝夕はここでも交換をするようなのだが。ちなみに、今までで一番ホームが狭いな!と思った交換駅は、有名なところでは名古屋鉄道の西枇杷島駅ですけど、個人的にはえちぜん鉄道の越前島橋駅ですね。なんか、ホームというよりは平均台に近い狭さだった。
飯坂温泉へ向かう街道沿いの線路に駅舎を作る余地はなく、駅裏は住宅街。どこに駅舎を置くか?と考えた結果、島式ホームの福島側の頂点の位置に作る事になったようだ。駅舎の横幅よりも時刻表の方が横幅が長いというとんでもないコンパクトなシロモノである。線路を歩いて裏から回らないとこの小部屋には入れないようで、ボケっと部屋から外に出てしまうと電車接近時は危険かもしれない。狭いながらも駅のホームには自動券売機があり、ICカードのカードリーダーがあればもう出札業務はいらないと思われるのだが、それでも朝夕は駅員が配置されるようだ。カードリーダーを入れたら最近は信用乗車制に舵を切る鉄道会社が多いんですけどね。