tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

次の総理は馬淵澄夫かもしれない

2011年08月12日 | 意見
8/10(水)、菅直人首相は退陣を明言した。毎日新聞(8/11付)1面トップの見出しは「首相 退陣を明言 民主代表選28日で調整」だった。同日の社説では「首相退陣を明言 代表選の始動を急げ」のタイトルで、《やっと、政治の歯車が回った。菅直人首相が退陣の条件として挙げていた特例公債法案など2法案が今国会で成立する見通しとなった。首相も両法案が成立すれば退陣する考えを国会で明言し、新政権移行へ局面は大きく動いている》。

《本格復興に向けた3次補正予算案編成や財源対策を乗り切るには新首相の下で与野党が協調する体制を一日も早く築く必要がある。9月の首相訪米など、日本外交も早急な立て直しを迫られている。日程上の制約があるとはいえ、「ポスト菅」を決める代表選もおざなりに終わらせていいはずがない》。

《統治能力の欠如をさらした鳩山、菅両内閣の失敗の総括はもとより政権公約見直しの具体像や税制・社会保障改革や復興財源の基本方針を決めなければならない。首相が進めた一連の原発政策見直しを継承するかどうかも大きな論点となる》。

そして、最後の一文である、《野田佳彦財務相、馬淵澄夫前国土交通相らの出馬がすでに見込まれているが、十分な反省の議論を経て新代表を選ぶ姿勢を示さなければ国民の不信は到底解消しまい。2法案の成立を待たず衆院を通過した段階で、首相は新代表選びの日程確定に応じるべきである》。

ここで奈良1区選出の馬淵澄夫氏(前国土交通相、前首相補佐官)の名前が挙がった。今日(8/12)の朝刊でも、読売は出馬が予想される7人の「増税と政権公約見直しに関するスタンスと主な発言」、毎日は同じく5人の「マニフェストなどに関する発言」が掲載されている。もちろん馬淵氏は、いずれにも含まれている(増税は△、政権公約見直しは○)。

馬淵澄夫とは、どんな人物か。Wikipediaから拾うと《馬淵 澄夫(まぶち すみお、1960年8月23日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。国土交通大臣(第14代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、内閣総理大臣補佐官(東北地方太平洋沖地震による災害及び原子力発電所事故対応担当)を歴任》《1960年8月23日、奈良県奈良市で生まれる。1980年3月、東京都立上野高等学校を卒業。1983年3月、横浜国立大学工学部土木学科を卒業。大学卒業後、三井建設社員、コンピューター関連商品製造販売会社取締役(当時、非同族としては史上最年少の上場企業取締役)・北米法人最高経営責任者、文具会社役員などを務めた》。

《2000年6月の第42回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。次の2003年の第43回衆議院議員総選挙で初当選を果たして国会議員となった。2005年当時の構造計算書偽造問題において各委員会、証人喚問などで民主党の同問題に関する代表者として追及を行った。これにともない、TBSテレビ『みのもんたの朝ズバッ!』などのテレビ番組に多数出演した。馬淵はこの活動を自身の業績としている》《私生活では子沢山で知られ、1男5女の6人の子どもがいる。精神鍛錬の意味も込めてボディビルを趣味としている》。

公式HPの「プロフィール」には「出身地 奈良市(鶴舞団地)」「家族構成 6児の父、11人家族」とある。ご自身の両親と夫人の母親と同居しているので、11人の大家族なのである。03年に当選するまでは、よく近鉄学園前駅(鶴舞団地の最寄り駅)で、辻立ちをされていた。日焼けした筋肉質の偉丈夫で、声にもハリがあり主張も明解、頼もしいタフガイといった出で立ちであった。

週刊現代(8/20-27号)は、早々とこんな記事を載せている。「永田町インサイド 次の総理は馬淵かもしれない 「歩く人災」菅直人、ようやく退場」。記事によると《「覚悟は持っている。当選3回を超えれば、ある意味、政治家としての国会内外の経験という点では、一定のレベルを超えたと判断してもらえるだろう」馬淵氏はそう語り、菅直人首相退陣後の次期総理の座に強い意欲を示す》。

《政治評論家の有馬晴海氏はこう語る。「これまで民主党は、トロイカ(鳩山、菅、小沢)や前原誠司前外相、岡田克也幹事長らで代表を回してきました。しかし、それ以外にも民主党には人材はいる。それを示すべきだという意見が、若手の中で盛り上がってきています。そこで手を挙げたのが馬淵氏です」》。

《「馬淵氏には支持グループがなく、代表選出馬のための20人の推薦人を集めるのも難しい、という意見があります。でも馬淵氏は、そこを逆手にとって、党内のすべての勢力と接触を図り、膝を交えて直談判することで彼らを口説き落とそうとしている。こういうオーソドックスで愚直なやり方は、案外、効果があると思います。国民も民主党には、自民党と違った部分に期待を寄せているのですから、もしかすると馬淵氏は、今後大化けするかもしれません」》。

もちろん、わずか当選3回の馬淵氏の代表選出馬を危惧する声もある。《政治評論家の浅川博忠氏もこう危ぶむ。「馬淵氏の長所は、かつて耐震偽装問題の追及で見せたように、問題を的確に把握して、それを整理して話をし、質問できるような能力です。この力は際立っていると思いますが、客観的には急ぎすぎているように思います。最低、当選5回くらいまでは経験を積み、そこで首相を狙うべきではないでしょうか」》。

週刊現代の記事は、こう結ばれる。《民主党が豊臣家同様、身内の論理やたいして意味のない序列、そして内紛によってまともに人材の活用ができなければ、この国の復興はさらに遅れる。それだけは、避けなくてはならない》。

第94代内閣総理大臣の菅直人まで、奈良県選出の総理大臣はいない。人口比でいえば、奈良県の人口は約1%(1,395千人÷128,056千人×100=1.1%)である。有能な人材も多い。100代に1人、総理を輩出してもおかしくないのである。8/28の代表選まで、あと2週間余り。地元選出・馬淵氏の戦いぶりに注目したい。
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三島由紀夫の「からっぽな経済大国」論

2011年07月30日 | 意見
果し得ていない約束―三島由紀夫が遺せしもの
井上豊夫
コスモの本

たまたま古書店で、井上豊夫著『果たし得ていない約束』(コスモの本)という本を手にした。著者は元「盾の会」の副班長である。本のタイトルにもなっている三島の「果たし得ていない約束」というエッセイが印象に残った。本は買わなかったが、家に帰ってネットで検索すると、「産経新聞を読んで」というブログに全文が載っていた。この文章は1970年(昭和45年)7月7日付の産経新聞夕刊に掲載された三島のエッセイだった(戦後25年を振り返るテーマ随想「私の中の25年」の第1回)。以下に全文を紹介する。

【私の中の25年】三島由紀夫 果たし得ていない約束 恐るべき戦後民主主義

 私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。

 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。

 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。

 私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。

 この二十五年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。

 なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。そうかと云って、美しいほど愚かになれるわけではない。

 この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。思想的節操を保ったために投獄されたこともなければ大怪我をしたこともないからである。又、一面から見れば、思想的に変節しないということは、幾分鈍感な意固地な頭の証明にこそなれ、鋭敏、柔軟な感受性の証明にはならぬであろう。つきつめてみれば、「男の意地」ということを多く出ないのである。それはそれでいいと内心思ってはいるけれども。

 それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。これも「男の意地」であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。

若きサムライのために (文春文庫)
三島由紀夫
文藝春秋

 ◆からっぽな経済大国に

 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。

 肉体のはかなさと文学の強靱との、又、文学のほのかさと肉体の剛毅との、極度のコントラストと無理強いの結合とは、私のむかしからの夢であり、これは多分ヨーロッパのどんな作家もかつて企てなかったことであり、もしそれが完全に成就されれば、作る者と作られる者の一致、ボードレエル流にいえば、「死刑囚たり且つ死刑執行人」たることが可能になるのだ。作る者と作られる者との乖離(かいり)に、芸術家の孤独と倒錯した矜持を発見したときに、近代がはじまったのではなかろうか。私のこの「近代」という意味は、古代についても妥当するのであり、万葉集でいえば大伴家持、ギリシア悲劇でいえばエウリピデスが、すでにこの種の「近代」を代表しているのである。

 私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る。私には寛厚という徳が欠けており、果ては上田秋成や平賀源内のようになるのがオチであろう。

 自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。

 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。(作家)          

             ◆◇◆◇◆◇◆

 みしま・ゆきお 本名・平岡公威(きみたけ)。大正14年、東京生まれ。昭和24年の「仮面の告白」で作家としての地位を確立。代表作に「金閣寺」「豊饒の海」など。戦後社会の甘えを憂い、44年の「文化防衛論」で文化天皇制の理念を示す。45年11月、「楯の会」メンバーと自衛隊市ケ谷駐屯地で自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺した。

文学的修辞にあふれた文章なので、やや面食らうが、頭を整理するために要点を抜粋すると《私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ》。三島が憎んだのは《戦後民主主義とそこから生ずる偽善》であり、それは《アメリカの占領と共に終わる》ことなく、むしろ《日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだ》。しかも《戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている》。

《もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であったかに唖然とする》《このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっている》。


三四郎 (新潮文庫)
夏目漱石
新潮社

三島由紀夫が割腹自殺をとげたのは、このエッセイが掲載された年(1970年)の11月25日だった。1970年といえば大阪万博の年で、日本は高度成長の波に乗って「東洋の奇跡」といわれる発展を続け、好景気を謳歌していた。そんなさなかに書いた「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残る」という予言は、みごとに的中した。漱石が『三四郎』で、日露戦争勝利の上げ潮ムードに湧いていた時期に、「髭の男」に言わせた「(これから日本は)滅びるね」という言葉を思い起こさせる。

震災後の復興もままならず、放射能汚染の広がりが懸念されるなかで、政治的求心力を失った首相が居座り続ける。「恐るべき戦後民主主義」の申し子といえる民主党政権は、「偽善と詐術」に満ちたものだった。

日本は「経済成長」を国策のトップに掲げ、経済発展への道をひた走りに走ってきた。しかし、そのために手を出したのが「原子力発電」という極めて危険な麻薬だった。それが「抜目がない」「からっぽな」、「極東の一角」の「或る経済的大国」の裏事情だったのである。

しかし、日本を滅ぼすわけにはいかない。子供や孫の世代が希望をもって生きていける日本にするのは、われわれ大人の仕事である。「オール原発」を「オール電化」と言いくるめるような「偽善と詐術」に騙(だま)されず、正しい判断力をもって「もはや行き着く先が見えてしまったような」現実に処していきたい。
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喜多方ラーメンを食べよう!

2011年04月23日 | 意見
被災地周辺の農産物などに対する風評被害が、深刻な問題になっている。これに対し「被災地の産品を買って、被災地の復興を支援しよう」という動きが出てきている。朝日新聞(4/22付)《「被災地産」買って復興支援 都内で企画相次ぐ》によると《都とJA全農などは21日、新宿駅西口広場で東日本大震災の被災地や関東地方の野菜や米を売る「応援キャンペーン」をした》。

《野菜240箱と米100袋を約3時間で完売した。出荷制限を受けていない農作物の安全性を消費者にアピールするのが目的。27日にも正午から午後4時まで同じ場所で開く。販売したのは、茨城県産のピーマンや福島県産の米「ひとめぼれ」など福島、群馬、栃木、茨城、埼玉、千葉の計6県で作られた農作物11種類。都やJA全農の職員ら約20人が「野菜を食べて、被災地を応援してください」と通行人に呼びかけた》。

栃木県出身の「U字工事」も、東京都内で行われた栃木の物産展で、地元産品の安全・安心をPRした。日テレNEWS24(4/22付)によると《お笑いコンビのU字工事が22日、東京・池袋のサンシャインシティ噴水広場で開催中の「がんばろう日本!とちぎの観光と農産物フェア」(23日まで)に出席した。東日本大震災や原発事故による風評被害を払拭(ふっしょく)するとともに、観光地や農産物、県産品が安心で安全であることをPRするイベント》。
 
《「とちぎ未来大使」の一員でもあるU字工事の福田薫(32)は「未来大使に任命されてから、初めての仕事らしい仕事です」とにっこり》《益子卓郎(32)は「震災後、近所のスーパーに行くと栃木の『とちおとめ』が売っていた場所に違うメーカーのいちごが売っていたりして。そういうの、やっぱり寂しいですしね。栃木のいちご、大丈夫なんで、おいしいんで食べてもらいたいし、我々こうして丈夫なのも栃木の野菜や米を食べて育ったから。感謝の気持ちを忘れずに、これからもどんどん栃木を応援していきたいですね」とふるさとを思いやった》。



こういう動きにあやかろうと、私も近くのスーパーなどで東北産品を探した。なかなか見当たらなかったが、酒類のディスカウント店で、やっと一升瓶を1本見つけた。栃木市の北関酒造の生貯蔵酒(生酒を充填直前に加熱処理したもの)「越後杜氏 山崎忠一」1,219円で、これは晩酌に少しずついだだいている。やや辛口のスッキリしたお酒である。同じ栃木県の下野市(しもつけし)には長男夫婦が住んでいて、地震発生の日はまる一日停電したという。

福島といえば、喜多方ラーメンである。しかしこちらも風評被害に悩まされている。J-CASTテレビウォッチ(4/13付)《猪苗代湖も野口英世も喜多方ラーメンも閑散!風評被害・福島》によると《野口英世記念館(23万人)も人っ気がなく、喜多方市の人気ラーメン店もがらがらだ。店主は「日に15~20人」という。いつもなら200~300人で年間188万人だ。小原庄助さんの東山温泉には、意外や人がたくさんいた。が、みんな原発周辺からの避難者だった。この時期、修学旅行が必ず訪れる白虎隊の飯盛山も閑古鳥。ある旅館は「宮城の学校から修学旅行は風評被害の福島でという話があった。うれしいです」と話す》。



《井口「原発と会津は100キロ離れてるんですよ。東京から100キロというとどこですか。静岡ですよ。何の問題もないのに、外国人も含めてキャンセルが56万人。会津若松は年間340万人だったのに」 そんななか、『東京の福島』は大繁盛だという。八重洲観光交流会のアンテナショプ 「ふくしま」は人でいっぱいだ。「通常の3、4倍の人です。福島を応援したいというお客さんです」と館長が言う》《井口、「政府が安全についてきちっと話ができるスポークスマンを立てるべき。風評被害について、ひとり1人が判断できるようにして」と力が入った。その通り》。



ラーメンは大好物なので、何かできることはないかと、楽天市場を覗いていて、株式会社河京の「会津喜多方ラーメン館」(福島県喜多方市)というお店を見つけた。で、お店の「スペシャル サービス商品」、喜多方ラーメン5袋1,500円(1袋=2食入り)を注文した。内訳は、喜多方しょうゆラーメン(縮れ太麺 6食)、喜多方塩タンメン(細麺 2食)、昔なつかし中華そば(細麺 2食)、の3種類計10食である。送料込みで2,050円なので、1食はたったの205円である。

4/18(月)に届いたラーメンには、店長さんからの添え状(カード)が入っていて、そこには「この度はご利用いただき 誠にありがとうございます。こちら喜多方も暖かくなり 春を感じられるこの頃です。桜がたのしみですね」とあった。奈良ではほとんどの桜が散っていたが、会津ではこれから咲くのだ。「向こうはそんなに寒いのか」と、胸が詰まった。


麺はこんなに太い。トッピングは冷蔵庫にあった温泉卵、ソーセージ、もやし、刻みねぎ

今日、初めて封を切った。いただいたのは、醤油ラーメンである。Wikipedia「喜多方ラーメン」には《札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられることもある》《スープは豚骨のベースと煮干しのベースを別々に作り、それをブレンドしたもので、醤油味がベースだが、店によっては塩味や味噌仕立てなど千差万別である。麺は太めの平打ち縮れ麺を使っている》とある。基本は、醤油味・平打ち縮れ太麺なのである。素朴なあっさりラーメンで、もちもちした太麺の食感も、豚と鶏のエキスが利いたスープもいい。これは飽きのこないラーメンである。

東北までボランティアに駆けつけるわけにはいかないので、義援金のほか、これといった支援策が思い浮かばなかったが、こんな「経済支援」もあるのだ。ラーメン好きの皆さん、ぜひ喜多方ラーメンを食べて、喜多方の町を応援しましょう!
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Buy 東北!東北の「食」を応援しよう

2011年04月15日 | 意見
東日本大震災の影響で、東北地方の経済的打撃は深刻である。読売新聞(4/7付)の社説「試練の1か月 行きすぎた自粛は活力を奪う」によると《春の観光シーズンを迎えたのに、個人や団体の旅行が相次いで中止され、ホテルの宿泊予約もキャンセルが続出している。特に東北地方では、直接、地震や津波の被害を受けなかった観光地や様々な産業にも、深刻な影響が及んでいる。大震災による直接の打撃に続く「二次被害」と指摘する声もあるほどだ》。

そして《菅首相のブレーンで経済学者の小野善康氏は、行き過ぎた自粛は復興の妨げになると指摘し、東北産品を積極的に購入する「バイ東北」運動を提唱している。東北地方は、海や山の幸が豊富で、コメどころだ。郷土色豊かな伝統工芸品なども多い。国民が積極的に購入すれば、かなりの経済効果が期待できよう》。

「Buy 東北」とは良いアイデアだと思い、早速奈良市内で、何軒かのスーパーの食料品売場をはしごしてみた。産経新聞奈良版(4/13付)には「東北の地酒 売れ行き好調 飲んで応援 県内でもじわり」とあったので、東北の地酒も探した。しかし、なかなか東北の物産が見つからない。日本酒も、やはり専門店でないと置いていないようだ。物流コストの問題か、少なくとも食料品に関しては、関西と東北の結びつきは弱いものだと、改めて思い知らされた。

昨日(4/14)、大阪府下にお住まいの星乃さんから、こんなメールをいただいた。《東北3県アンテナショップ「ジェンゴ」というお店が心斎橋にあるのをご存知でしょうか。今、東北のお酒や物産を買おうという支援の動きも広がっており 私も昨日、お酒と海産物、おかきを買ってきました。すると、ちょうど毎日放送の「ちちんぷいぷい」のスタッフが取材に来られており 店長さんの取材のあと、私も取材されました》。

《Q:「買い物することで震災の支援につながると思いますか」A:「色々な支援の方法があると思いますが、買い物するのもひとつの支援だと思います」 Q:「東北の方ですか」 A:「大阪の者ですが、岩手には知人もたくさんおり人間的なつながりがあります」「今後もいろいろな形で支援を続けたいと思います」 こんな調子で取材にお答えしました(放送は昨日でしたが…)》。

《買い物をしながら胸が痛みました。海産物も置いてあるのですが、これは地震前の在庫ですとの説明を受けました。海産物が元に戻るのに何年も、時には10年もかかるとお聞きしました。お酒は「八重桜」という銘柄のみで、他の岩手県の銘柄は在庫切れで、今後の入荷は厳しいそうです。しかし、買い物をすることにより少しでも経済が循環します。また、東北の仲間から「このような支援が一番嬉しい」との声もいただきました。時々、「ジェンゴ」で買い物をしたいと思います。関西から日本を元気にしたいと思います!》。

「ジェンゴ」は東急ハンズの隣である。そんな便利な場所にこんなお店があるとは、知らなかった。今度大阪へ出たら、立ち寄ってみよう。

福島といえば、喜多方ラーメンだ。奈良のスーパーで買えないならネットで取り寄せようと、楽天市場を覗いてみると、株式会社河京の「会津喜多方ラーメン館」(福島県喜多方市)というお店が見つかった。《お蔭様で河京・会津喜多方ラーメン館は被害もなく、平常通りに営業を行っております》ということだったので、喜多方ラーメンが5袋で1,500円(1袋=2食入り)という「スペシャル サービス商品」(送料別)を注文した。醤油だけでなく、味噌や塩味も選択できた。

このほか楽天市場には「東北の「食」を応援しよう!」 というサイトができていて、いろんな東北の産品が買えるようなので、次はこちらも試してみたい。皆さん、そろそろ自粛は止めて、「Buy 東北」しましょう!
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消費で日本を支えよう!

2011年04月07日 | 意見
奈良に春がやってきた。氷室神社のしだれ桜は満開だ。郡山城の桜も石上神宮の桜も7分咲きで、この週末には満開となることだろう。それなのに、奈良市のメインストリート・東向商店街を歩いていても、例年より人は少ない。
※トップ写真はtenbouさんが撮影された4/9(土)の東大寺参道。例年になく閑散としている

今朝の奈良新聞(4/7付)を見て驚いた。「東日本大震災 県内の観光客減少 外国人キャンセル多く」の見出しで、寺院や宿泊施設の惨状が紹介されていた。《東日本大震災を受け、県内でも外国や関東方面からの観光客が減っている。奈良市の東大寺では、続々と訪れていた中国、韓国の団体客の姿がめっきり減った。春の観光シーズンだけに、新たなプランで挽回を模索するホテルも。かつてない大災害は観光立県・奈良にも影響を与えている》。

東大寺大仏殿は「すでに2割はマイナスだろう」(大仏殿副院主・上野周真氏)、唐招提寺では例年400人が参加する写経会に今年は300人程度、ゲストハウス「桜舎(さくらや)」(奈良市鳴川町)では5月初旬までの予約が一時すべてキャンセルになり「ショックで頭の中が真っ白になった」(桑原佳世子代表)、ホテル日航奈良は、キャンセルが3月に約1,800室、4月には約2,000室に上るという。

同紙には、全国の様子も紹介されている(共同通信ニュース)。こちらの見出しは「訪日外国人4分の1に 観光・小売業に打撃 福島原発事故で長期化も」。《東日本大震災や原発事故の影響で、日本を訪れる外国人が急減。地震発生の3月11日から31日までに成田空港から入国した外国人数は、1日平均で約3400人と昨年3月の平均の約4分の1に落ち込んだことが6日、東京入国管理局の調べで分かった。ツアーやホテルの解約も相次ぎ、外国人客への依存を強めていた観光・小売業界は深刻な打撃を受けている》。

《各国政府が日本への渡航自粛を促していることも影響。原発事故の先行きが不透明な中、外国人の「日本離れ」が長期化すれば、消費不振に拍車がかかる恐れがあり、国や自治体も対策に頭を悩ませている。関西空港から入国した外国人数も、大阪入国管理局が緊急調査した3月18~23日は1日平均約1700人と、震災前の平均の半分以下になった。訪日外国人数は、新型インフルエンザの影響があった2009年を除き増加傾向で、10年は861万人と過去最高を記録。観光庁は11年に1100万人との目標を掲げたが、震災で「見直さざるを得ない」としている》。

《影響が特に深刻なのは、花見シーズンで稼ぎ時の観光業界。阪急交通社(大阪市)では4月末までの外国人向けツアーの9割がキャンセルされた。担当者は「原発問題に敏感な欧州の客が大半」と話す。はとバス(東京)も売り物の外国人ツアーの参加者が、震災前の1日平均約300人から10人程度に急減した。外国人客が売り上げの5~6割程度を占めるロイヤルパークホテル(東京)は、3月の予約の8割がキャンセル。京都、箱根など有名観光地のホテルや旅館も予約取り消しが増えている》。

《百貨店の大丸心斎橋店(大阪市)の外国人向け免税カウンターでは、震災後から3月末までの売上高が前年同期と比べ半減。他の大手百貨店も同様の傾向が出ている。中国からの観光客が増えていた北海道は「ホテルなどの予約がぴたっと止まった」(北海道観光振興機構)。博多港(福岡市)では中国・上海からの大型クルーズ船の寄港が4月末まで中止になるなど、影響は全国各地に広がっている》。

外国人が震災で観光を取り止めているだけではなく、国民による消費も不振を極めている。読売新聞(4/2付)に「関西の百貨店も低迷」とあった。《百貨店各社が1日に発表した3月の売上高(速報値)では、東日本大震災の被害を直接受けなかった関西の店舗でも売り上げが低迷した。増床・改装開業したばかりの店舗でも前年同月比で微増にとどまった。イベントの開催自粛に加え、深刻な被害を見た消費者に買い物を控える心理が働いたことが響いた》。

《4月19日の全面開業に向けて増床・改装工事中の大丸梅田店(大阪市北区)は3月、刷新した婦人服、紳士服売り場などを段階的にオープンし、全面開業に向けた機運を高める計画だった。タレントを招いた「一日店長」やモデルによるトークショーも企画していたが、震災以降、取りやめた。通常、改装時には記念セールやイベントの効果などで売り上げが前年を大幅に上回ることが多いが、同店の3月の売上高はわずか0・3%増だった。特に衣料品が不振で、担当者は「不要不急の買い物を避けたのでは」と分析する》。

《3月3日に増床・改装工事を終え、全面開業した高島屋大阪店(同市中央区)も目標を下回る1%増だった。全面開業前は売り場の7割しか完成しておらず、大幅な売り上げアップが期待されていた。しかし、開業直後は伸びた売り上げが3月11~24日に前年同期比6%減と一転して落ち込んだ。一方、改装などがない店舗は、阪急百貨店梅田本店(同市北区)が3・3%減と5か月ぶりに前年を下回るなど軒並み不振だった。兵庫県尼崎市の女性会社員(35)は「高いブランド品などを買うと被災者に申し訳ない気持ちになる」と話す。思い切った集客策が取りづらい中、個人消費の回復には時間がかかりそうだ》。

デパートでの買い物だけでなく、日本全国で結婚式の延期、歓送迎会の中止、花見の自粛などの「過剰自粛」が続いている。国会や各省庁では、いまだに日の丸の半旗が掲げられている。今、そんなことをしている場合なのだろうか。当ブログでそのことを指摘したら、ハンドルネーム「新ソムリエ」氏から、「不謹慎だろう」「とんでもない奴だな。ソムリエが泣くわ」というコメントが入った。誹謗中傷と判断し、即刻コメントは消去したが…。

週刊奈良日日新聞(4/8付)のコラム「悠言録」に、こんな話が紹介されていたので追記しておく。《あるテレビのニュースでは、被災の近況を流した後、桜が満開を迎えた熊本城の映像を流していた。リポーターが花見客に「全国で自粛ムードですが」とインタビュー。この意図は何だ。取材を受けた人は「こんな時だから皆で元気にやれてる喜びをわかち合ってます」と答えていたが、リポーターは「でも…」。仲間とささやかな一献が罪なのか。行き過ぎた自粛は、もはや自粛とは呼べない》。

そんな中、はたと膝を打つような社説が毎日新聞(4/3付)に載った。タイトルは「消費で日本を支えよう」だ。《戦後最悪の震災に見舞われた日本は今後どうなるのだろう。被災地復興に関連し、補正予算の規模を何兆円にすべきかとか財源をどうするかといった議論が活発化してきた。しかし、ここで確認しておきたいことがある。復興を大きく左右する重要な要素に日本経済の立ち直りがある。そして、その立ち直りのカギを握るのが、私たちの気持ちの持ちようだということである》。

《個人消費は日本経済の約6割を占める。その消費が、日本全体の過度な節約や萎縮から大幅に落ち込むようなことは、ぜひ防ぎたい。だが残念ながら、自粛ムードが広がり、花見や花火大会をはじめ、イベントが相次ぎ中止になっている。繁華街は閑散とし、計画停電の影響がない西日本でも、観光地の旅館やホテルは利用者の激減に泣いている。海外からの観光客が減った今こそ、日本人で盛り上げなければいけないというのに、である。こんな時にゴルフはぜいたく、との声もあるかもしれないが、ゴルフ場で生計を立てている人たちも含め、みんなで日本経済は成り立っている》。

《震災から3週間が経過した。気候も暖かくなってきたことから電力の暖房需要は減少する。無駄遣いをやめるのは当然のことだが、求められているのは、日常の消費や生産活動をできるだけ維持できるような賢い節電だ。消費の落ち込みが軽度ですめば、設備投資や採用を手控えていた企業も少しずつ動きだすだろう》。

締めのセンテンスが泣かせる。《何かと政府や日銀に「対策」を求めがちだが、実は今ほど、私たち一人一人の意識や行動が景気を左右する時はないのである》。その通りだ。景気を押し上げるのは、政府や日銀ではない。私たちの気持ちのあり方であり、消費行動なのである。政府だって、消費が盛り上がって税収が増えなければ、復興資金の出しようがない。これは理の当然である。

当記事を読まれたTenbouさんから、今日の読売新聞にも同趣旨の社説が出ていたとお聞きしたので、追記しておく。タイトルは「試練の1か月 行きすぎた自粛は活力を奪う」で、《東日本大震災の発生から間もなく1か月。今、日本中を覆っているのは「自粛」という名の重苦しい空気である。各種芸術活動やスポーツイベント、伝統的な祭りまでが中止や延期になっている》《国全体が元気を取り戻すには、生活のリズムを普段通りにすることが肝要だ。節電に十分配慮しながら、過度な自粛ムードは排し、予定されたイベントは普段通りに実施する。それが大震災に負けずに、日本の復興を早める近道であろう》としている。 

昨夜、元同僚のTさんから心のこもったメールをいただいた。そこに、こんなくだりがあった。《さきほど、NHKの「SONGS」というテレビ番組をみていました。番組の最後のほうで、美和明宏が「花」を歌った後で、自身が長崎出身で被爆した経験を語り、戦災や天災を何度も経験しては復興してきた日本人の底力を信じていること、一番必要なのは信じてがんばること、復興にいちばん邪魔になるのは、泣いたり、わめいたり、あきらめたり、萎縮してしまってマイナス思考に陥ることだとコメントしていました。経験者の言葉は、深く重く説得力があり、安易な反論の隙を与えるようなものではありませんね…》。

昨夜のSONGSは、NHKのHPによると《「歌にこめた祈り」と題し、東日本大震災を受けて、番組が皆さんに聴いて頂きたい歌を、竹内まりやさん、山下達郎さん、森山直太朗さん、美輪明宏さんのメッセージと共にお送りします》というものだった。Tさんが引用された「萎縮してしまってマイナス思考に陥ること」がいけない、というコメントは、全くその通りだ。震災に負けてはいけないのだ。

そんな中で、東大寺本坊で開催されている特別展が、多くの人を集めているというのは朗報である(1時間待ちがザラだという)。この展示の収益金は、義援金として被災地に送られるのである。全国のイトーヨーカ堂では、被災地の農産物や特産品を目玉にしたセールが始まった。イオングループもセールを行い、「震災復興支援ボックス」に投函されたレシートの合計金額の1%を復興支援活動に拠出するという。

「自粛」して家に閉じこもっている皆さん、復興支援のために街へ出て、もっとおカネを使いましょう!
※トップ写真は10.4.6、薬師寺西塔前で撮影
コメント (7)
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