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伝統的酒造りが、ユネスコ無形文化遺産に登録! 陰の立役者は国菌「こうじ菌」

2024年12月09日 | 奈良にこだわる
「伝統的酒造り 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術」が、ユネスコの無形文化遺産に登録されることになった、おめでとうございます!この話は、12月6~7日付の朝刊各紙で報道されたが、毎日新聞は「こうじ菌」について、詳しく紹介していた。
※トップ写真と下の写真は、奈良新聞(12/7付)の記事サイトから拝借



こうじ菌(ニホンコウジカビ)は、学名「アスペルギルス・オリゼ」。日本にしか存在しない菌(カビ)で、「国菌」に認定(2006年)されている。こうじ菌に関する毎日新聞記事の全文(12/6付)を抜粋すると、

こうじ菌 独自発展の「生物資源」 日本の酒醸造の黒衣 全国需要8社が担う
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に、日本の「伝統的酒造り」が登録されることが決まった。酒造りのカギを握るのは、「国菌」とも称されるカビの一種「こうじ菌」で、先人たちが発展させてきた。普段は意識されない独自性とともに、日本の酒が世界で普及した場合の海外流出の可能性も気になるところだ。歴史と今後について専門家に尋ねた。

酒造りを支える「種こうじ屋」
「菌は世界に10万種類くらいある。その中でたった一つのこうじ菌を日本人が選び出したのは、驚がくすべき事だ」。秋田県大仙市の「秋田今野商店」の今野宏社長は語る。


秋田今野商店の今野宏社長=本人提供。毎日新聞の記事サイトから拝借した

秋田今野商店は、こうじ菌の供給を専門とする「種こうじ屋」だ。こうじ菌が蒸したコメなどに繁殖すると「こうじ」となり、酵母菌のアルコール発酵に必要な糖分を提供する役割を果たす。種こうじ屋は醸造に適した菌を育み、用途に応じた菌を供給してきた。

 「全国種麴(こうじ)組合」の理事長も務める今野社長によると、種こうじ屋は、みそやしょうゆ向けのこうじ菌を扱う業者を入れても全国で十数社。酒造向けのこうじ菌を手掛けるとなると8社しかない。これで酒造会社約1600社の需要をまかなっているという。

少数で多数の顧客を抱えているからといって、安定産業というわけではない。室町時代創業の種こうじメーカー「糀屋三左衛門」(愛知県豊橋市)の村井裕一郎社長は「言うほどもうからない」と明かす。

例えば、200グラム数千円の種こうじ1袋で一升瓶(1・8リットル)数千本分の日本酒が製造できるため、大きな需要にならないからだ。菌の品質維持にコストがかかる一方、酒の消費も減り、種こうじ屋も姿を消す現状がある。

それだけに、無形文化遺産登録でこうじ菌に焦点が当たった意義は大きい。村井社長は「種こうじ屋は表には知られない黒衣の仕事だが、安定した酒造りを支えるインフラとしてやってきた。それが報われた思いだ」と歓迎する。こうじを用いた発酵の魅力の発信やその文化的価値を高める活動を通じてPRに力を入れるつもりだ。

こうじ菌は日本独自?


こうじ菌の入った瓶を手に取る独立行政法人「酒類総合研究所」の
織田健・主任研究員。写真は、毎日新聞の記事サイトから拝借


こうじを用いる酒は、温暖多湿でカビの生育に適したアジア諸国で造られている。日本以外では生の穀物を材料にクモノスカビなどが主に利用され、日本人は蒸したコメとこうじ菌の組み合わせで、酒造りを発展させてきた。

日本の酒造りが他国と違う発展をした背景の一つに、食文化の違いが考えられる。古来、日本では蒸したコメが主食で、中国大陸などではコメだけでなく生の粉から作る麺など粉食も盛んだからだ。一方、近年はこうじ菌が世界各地で発見されている。元々存在したのか、交通の発達で日本から伝わったのかは解明されていない。

独立行政法人「酒類総合研究所」(東広島市)の織田健・主任研究員は「こうじ菌のゲノム(遺伝子)の解析自体は進んでいる」と説明するが、ほぼ日本でしか研究されていないため、こうじ菌自体の独自性は現時点で不明だ。

しかし、織田主任研究員は「日本ではこうじ菌を使った産業が連綿と続けられてきたという他国にはない優位性がある」と指摘。歴史・文化上の観点から日本で独自に発展した菌であることは間違いないという。

海外流出懸念も
今回の登録をきっかけに日本の酒が広まる場合、懸念されるのがこうじ菌や関連技術の流出だ。植物ではブドウやイチゴの日本産品種が無断で海外に持ち出され普及した例がある。

秋田今野商店の今野社長は「培養は誰でもできるが、重要なのは安定した品質を保つ再現性だ。それを維持することは簡単ではない」と断言する。植物の種に比べ、微生物である菌は変異しやすい。品質を維持する技術や施設資金も必要なため、まねをするのは難しいという。

糀屋三左衛門の村井社長は「身も蓋(ふた)もない話をすると、中小企業が多いので買収した方が早い」と話す。ただ何らかの対応は必要と感じており「こうじ菌をどうするのか国家として戦略を立ててほしい」と注文する。

将来の事態に備えた下地が無いわけではない。酒類総合研究所では約300株保有するこうじ菌のうち100株以上のゲノムを解析し、データベース化を進めている。微生物には植物の種を保護する種苗法のような法はないが、織田主任研究員は「多くの国が締結している生物多様性条約では、自国の生物資源の主権的権利が認められている。菌のゲノムを明確にしておくことは重要だ」と話した。【植田憲尚】


いかがだろう。「こうじ菌」の有り難さをお分かりいただけただろうか。では、最後に無形遺産登録についての毎日新聞の記事(12/6付)の全文を紹介しておく。

「伝統的酒造り」無形遺産 業界活発化に期待
パラグアイで開かれている国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会は4日(日本時間5日)、「伝統的酒造り 日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術」を無形文化遺産に登録することを決めた。国内の無形文化遺産は23件になる。



酒米に種こうじを振りかける杜氏。写真は、毎日新聞の記事サイトから拝借

ユネスコの評価機関が11月、登録するよう勧告していた。日本の無形文化遺産登録は、2022年の「風流踊(ふりゅうおどり)」以来2年ぶり。日本の食文化関係では13年の「和食」以来の登録となる。

伝統的酒造りは、カビの一種である「こうじ菌」の力を借り、コメなどの原料を発酵させる技術。その技術で造られた酒は、祭事や婚礼など日本の文化上、不可欠な役割を果たしており、杜氏(とうじ)や蔵人らが、知識や技術を継承してきた点が評価された。

ワインや缶チューハイなど酒類の多様化や若者のアルコール離れで、日本酒や焼酎などは国内消費が減少し続けている。日本酒は23年の国内出荷量が約39万キロリットルで、ピーク(1973年)の4分の1以下になった。

技術を受け継いできた関係者らは、登録をきっかけにした業界活発化に向けて意気込み、今後の継承を見据えた課題を指摘する。国内の消費は減っているが、和食への関心の高まりなどから日本酒の海外輸出量は10年前の約4倍の400億円台に拡大している。

海外のソムリエを日本に招き、酒造りの現場を見てもらうなどしてきた日本酒造組合中央会の宇都宮仁理事は「日本酒でも世界での知名度はまだ高いとは言えず、焼酎や泡盛はほぼ知られていない。今後日本独特のこうじを使う酒としておいしさや文化をPRしていきたい」と話す。

日本酒造杜氏組合連合会の石川達也会長は「中小零細企業が多い個々の酒造会社の中だけで各世代の人材をそろえ、次の世代が安定的に入るサイクルを作ることは難しい。酒造会社間で人材を融通し合うシステムも考えていかないといけない」と訴えた。【植田憲尚】


毎日新聞(2024.12.6付)


奈良新聞(2024.12.7付)
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川上村は、地方創生のパイオニア!

2024年12月04日 | 奈良にこだわる
毎日新聞夕刊(2024年11月29日付)に〈「期間限定」支援、もったいない 地方創生のパイオニア、奈良県川上村 交付金や職員配置「国は息長く」〉という記事が出ていた。川上村(奈良県吉野郡)は、移住者の増加など村の活性化に力を入れていて、着実に成果を上げている。そこに記者が注目したようだ。川上村さん、おめでとうございます! 以下に全文を紹介する。
※トップ写真は、毎日新聞の記事サイトから拝借した
(義務教育学校の校庭で開かれたモルック大会=2024年6月16日)

スーパーも鉄道の駅もない過疎の村が、人口流出と少子化に歯止めをかけようと挑戦を続け、全国から注目を集めている。10月に就任した石破茂首相は「地方創生2・0」を始動させるとして自治体向けの交付金を倍増する方針を表明。「新しい地方経済・生活環境創生本部」を創設するなど地方創生に力を入れる。移住者の増加など着実に地方創生の成果を上げてきた村に、国の政策はどう映るのか。

奈良県南東部の吉野川源流に位置する川上村。村の95%を山林が占め、高級材「吉野杉」の産地として知られている。1955年の人口は約8000人だったが、大型ダム建設に伴う立ち退きや林業の衰退で住民が流出した。「自治体消滅」への危機感を抱いた村はこの10年間、買い物支援など村民が住み続けられる環境を整え、子育て世代への手厚い支援を展開するなど移住者を呼び込む対策に力を入れてきた。

その結果、改善の兆しが見られるようになってきた。2024年3月末時点では1202人と村全体の人口は減少が続くが、子育て世代を中心に移住者は増加し、0~14歳の人口は75人と14年に比べて41%増えた。国立社会保障・人口問題研究所が18年に公表した将来推計人口は、45年に「270人」になると予測されたが、23年公表の推計では「505人」に改められるなど人口減少のスピードは緩やかになっている。

全国の過疎地が地方創生に向けて妙案を見いだせない中、村の取り組みには全国の自治体関係者や議員らの視察も多い。奈良市の中心部から車で約2時間かけて訪ねた。

集会施設「ふれあいセンター」に着くと、村民の生活を支援する一般社団法人「かわかみらいふ」の事務局長、三宅正記さん(47)が迎えてくれた。16年に村などが出資して立ち上げた法人で、移動スーパーの運用や食品の宅配を活動の柱にしている。

買い物と見守り両立
スーパーのない村では、買い物弱者となった高齢者が村外に移り住むことも課題になっていた。移動スーパーのトラックには野菜や魚などの生鮮食品や洗剤などの日用品、菓子などを積み、週5日、村内の集落を巡っている。「あそこの住民は豚肉なら肩ロースが好き」と、回るコースによって積む商品をきめ細かく変更。看護師や歯科衛生士を帯同して、健康相談にも応じている。

「買い物支援はツールで、見守りが目的になっている」と三宅さん。利用者との会話の中で認知症の疑いに気付けば、役場や社会福祉協議会と情報を共有している。25人ほどいる職員は全員が村内在住で、古くからの住民と移住者が協力して支援に取り組み、雇用の創出にもつながっている。三宅さんは「村民が主体となっていることの意味が大きい」と強調していた。

17年に村唯一のガソリンスタンドが廃業した際には運営を引き継ぎ、家庭への灯油の配達も担っている。大阪から移住した50代女性は「10月初めに県道が崩れて孤立世帯が出たが、食料や生活用品は何とかして運んでもらえる安心感がある」と話していた。

移動スーパーの車両購入や事務所の整備には、地方創生交付金を充てたという。14年から初代・地方創生担当相を務めた石破首相の地方創生への思い入れは強く、10月の所信表明演説で、当初予算ベースで地方創生交付金を倍増する方針を打ち出した。地方創生交付金は16年度から当初予算で毎年1000億円が計上され、補正予算と合わせると約1・3兆円が国から自治体に配られた。

交付金について三宅さんは「事業の初期投資には使い勝手がいい」と一定の評価をしつつも、多くの場合、交付が5年程度に限られている点を踏まえて、注文を加える。「交付金を利用して事業が立ち上がっても、過疎地において自力で継続していくことは難しい。事業の内容が適切か評価した上で、交付終了後も、人件費などランニングコストの一部でも支援してもらえる仕組みがあれば助かる」と話す。

現在、職員には国から財政支援を受けられる「地域おこし協力隊員」や「地域活性化起業人」も配置している。どちらも最長3年の任期があり、三宅さんは「良い制度だが、期限が切れて終わりではもったいない」とも感じている。村では、外からの移住を促す施策にも力を入れてきた。13年から移住定住施策「川上ing作戦」に取り組み、村営住宅やシェアハウスなど住居の紹介や仕事の相談などに応じている。これまでの移住実績は129人になる。

修学旅行も無料に
子育て支援も手厚く、児童手当を高校生まで拡充した国の動きに先駆けて、15年から高校生へ月5000円の手当を支給してきた(児童手当の拡充に伴い廃止)。保育料や高校生までの医療費、小中学校では修学旅行を含めた教材費も無料になり、習い事の費用の助成もある。

4月には保育所と小中一貫の義務教育学校を同じ敷地に開設し、保健師ら専門職が常駐する子育て支援施設「こども家庭センター」を併設している。休日には校庭を「公園」として利用でき、6月に開かれた、年齢や障害の有無に関わらず楽しめるスポーツ「モルック」の大会では3歳から90代まで多世代の村民約110人が交流を楽しんだ。学校周辺には村内初のコンビニもオープンした。

三宅さん自身も三重県から移り住み、妻潤子さん(44)と共に「かわかみらいふ」で働きながら、中学3年と小学3年の姉妹を育てている。子育て支援の充実も実感する三宅さんは「村が良い方向に進んでいくには、子育てと高齢者支援の両輪を回していることが大切」と話し、「地方の活性化は、すぐに結果が出るものではない。お金のバラまきではなく、活動に対する息の長い支援にも力を入れてもらえればありがたい」と期待を語った。【塩路佳子】


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これはうまい!天日干し「龍(たつ)ひかり」by 龍田古道景観保全プロジェクト

2024年11月30日 | 奈良にこだわる
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員で、龍田古道景観保全プロジェクト代表を務める垣本麻希(かきもと・まき)さんは、龍田古道沿いの田んぼを買い受け、お仲間と田植え・収穫した米「龍ひかり」(品種はヒノヒカリ)を、近鉄百貨店橿原店1Fの「プラグス マーケット」(11/27~12/3)や、垣本さんの「ギャラリーカワリ」(0745・51・8001)で販売中。
※お米とご飯の写真は私が撮影。他の5点は垣本さんのFBから拝借





早速昨日(2024.11.29)、近鉄百貨店に買いに行った。すべて2kg詰めで(販売者=株式会社カキモト)、天日干しが@2,484円(税込み)、協力農家さんのお米が@1,944円(同)。私は天日干しを1袋購入。早速、今朝(11/30)の朝ご飯にいただいた。シッカリと米粒が立ち、自然な甘みがあって、とてもおいしいお米だ。おかずがいらないくらいだった。





「龍ひかり」の墨書の揮毫は、書家で前今井町町並み保存会会長の若林梅香(稔)さん、デザインは墨アーティストのイマタニタカコさん。しかもお米は減農薬米、という凝りようである。







垣本さん、プロジェクトのご成功、おめでとうございます。これからも、龍田古道の景観保全にお努めください!

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飛鳥宮跡の北側に、大型の建物跡が出土!

2024年11月29日 | 奈良にこだわる
昨日(2024.11.28)の新聞各紙に、飛鳥宮跡の北側で大型の建物跡が見つかったと報じていた。毎日新聞奈良版〈内裏? なぜ「内郭」の外 飛鳥宮跡北側に大型の建物〉によると、
※トップ写真と地図は、毎日新聞の記事サイトから拝借した

明日香村の飛鳥宮跡北側の7世紀後半の遺構が、東西35.4メートル、南北15メートルと宮最大の建物跡であることが確認された。27日発表した県立橿原考古学研究所(橿考研)は「天武、持統両天皇の住まい『内裏(だいり)』と考えられる」とするが、宮殿中枢「内郭」外側に位置しており、なぜ塀の外に重要建物があるのか謎は深まっている。【皆木成実】

遺構は2009年度に見つかり、22年度にも関連遺構を発見。今回の発掘で建物南東角部分の柱穴計14カ所が見つかり、推定だった建物規模が確定した。柱列は二重にあることから寺院建築などにみられる四面庇(ひさし)付き建物とみられる。東西の端だけ柱間が中間部より広いという平城宮内裏と同じ特徴もあり、南向きに建てられている構造や規模を考えても、内裏の可能性が高いという。



飛鳥宮の内郭外には南東側にも「エビノコ郭」と呼ばれる区画がある。中央の建物跡は東西29・2メートル、南北15・3メートルと今回の建物に次ぐ規模で、国家儀礼の場「大極殿」とみられている。飛鳥宮内郭には天皇の御殿「内安殿(うちのあんどの)」、臣下が控える「外安殿(とのあんどの)」、酒宴の場「大安殿(おおあんどの)」とみられる建物跡があるが、いずれも今回の大型建物より規模は小さい。

藤原宮以降は内裏や大極殿は内郭内の中央部に配置された。また宮のモデルとなった古代中国の都城は異民族の侵入に備え、高い城壁で中枢部を守る厳重な構造だった。鶴見泰寿・名古屋大教授(考古学)は「藤原京遷都を控えた仮の内裏だったため、内郭の外の空いた場所に建てたと考えられる。今後の調査による解明が期待される」と話している。現地説明会は11月30日と12月1日の午前10時~午後3時。問い合わせは橿考研(0744・24・1101、平日のみ)へ。


「藤原京遷都を控えた仮の内裏だったため、内郭の外の空いた場所に建てた」という説には、説得力があるように思う。皆さんは、ドー思いますか?

毎日新聞奈良版(2024.11.28 付)


奈良新聞(同)
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奈良好きによる奈良好きのためのマニアックツアー(by 毎日新聞奈良版「支局長からの手紙」)

2024年08月14日 | 奈良にこだわる
一昨日(2024.8.12)の「支局長からの手紙」(毎日新聞奈良版)のタイトルは、「酷暑より熱きもの」だった。奈良支局長の井上大作さんが、「ホテルアジール・奈良」と、「なら・観光ボランティア団体ガイドの会 朱雀」が共催する4時間半のウォーキング・ツアーに参加され、レポートされていた。記事には、

きっかけは1枚の報道資料です。「奈良好きによる奈良好きのためのマニアックツアー」。ならまち周辺を半日歩き、奈良漬けとしょうゆの製造現場を訪問。日本酒を飲み比べる「醸(かも)してめぐる奈良」とあります。発信元は、奈良市の「ホテルアジール・奈良」。昔から工場見学や職人さんの仕事場を見るのが大好きです。しかも資料からむんむんとした熱量が伝わってきます。早速、同行取材をお願いしました。

地元の人は「うまいものなし」発言をどう捉えているのでしょうか。同行していたホテル支配人の井場眞粧美さんに聞くと、「奈良には歴史があり、おいしいものはたくさんある。SDGs(持続可能な開発目標)やガストロノミーにも取り組んでおり、発言はとても悔しい」。奈良に来る前、私は同僚から初めて発言を聞きました。でも実際に住んでみると、垂涎(すいぜん)の地場逸品にあふれています。

記事内容は、画像をご覧いただきたい。ツアーの全貌が、「Narakko」のサイトに出ていた。奈良屋本店「奈良漬」→井上本店「イゲタ醤油」→今西清兵衛商店「春鹿」→巡ってきた食品を味わい尽くす特別献立「和食ランチ@ホテルアジール・奈良」というコースだ。

このようなツアーをきっかけに、「奈良のうまいもの」を知り、口コミなどで広げていただきたいものだ。井上支局長、良いレポート、ありがとうございました!
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