tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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奈良町の町家、35年で6割も減った!

2021年04月10日 | 奈良にこだわる
何とも憂鬱な記事を目にした。先月(2021.3.22付)の産経新聞奈良版の記事で、タイトルは《「奈良町家」35年で6割減 奈良まちづくりセンター調査》。35年で6割減、ということは単純計算で、あと23年で全滅するということになる、これはひどい!記事の前半部分を産経新聞のサイトから引用すると、
※トップ写真は改修前の町家(江戸時代築造)、産経新聞のサイトから拝借した

伝統的な町並みを形成する奈良市旧市街地「奈良町」の町家が、昭和60年から令和2年までの35年間で約6割が失われた実態が、公益社団法人奈良まちづくりセンターの調査事業で明らかになった。奈良町は、中世以降に発展し、近世に成立した町々の総称。現在は、近鉄奈良駅を境に、北の「きたまち」と南の「ならまち」、京終駅周辺の3つのエリアに分けられている。

昭和60年、奈良市教育委員会が旧奈良町全域で、街路に面したすべての建物の外観調査を実施したところ、3259件の町家を確認した。その後、民間や行政が同様の調査を行ったが範囲が限定的であったため、旧奈良町全域の変遷を把握できずにいた。

そこで今回、同センターになら・町家研究会が協力し、昨年7~12月に全域の変遷を調査。3259件の61%にあたる1974件が消失したことが分かった。消失した61%の内訳は、建て替え42%、駐車場化14%、更地化3%、その他2%となっている。

保存に向けた課題について、なら・町家研究会の藤岡龍介理事は「所有者に町家の価値をどう知ってもらうかが重要」と話す。高齢化で町家を維持できない所有者の増加が予測され、代わりに町家を預かり、守っていく仕組みづくりが急務との指摘もある。


重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)とする決断をした今井町(橿原市)と、その決断をしなかった(住民の反対でできなかった)奈良町、ここへきてこんなに差がつくとは…。「奈良町に来るたびに新しいお店ができて、楽しいですね」と言ってくれる人がいるが、私は苦々しく思っていた。けばけばしい看板の店舗や場違いな新築住宅、相続税対策の青空駐車場…。

今井町や宇陀松山、五條新町と奈良町が明らかに違うのは「立ち寄り(ついでに来る)観光客の多さ」だろう。東大寺・興福寺や春日大社に向かった観光客は、奈良町に立ち寄ってから近鉄・JR奈良駅に向かう。東向商店街、もちいどのセンター街から奈良町に回る観光客も多い。「わざわざ面倒な重伝建にしなくても、都市景観形成地区(奈良市都市景観条例)でお茶を濁しておけば良いだろう」という見通しの甘さがあったのではないだろうか。

1975年(昭和50年)にできた重伝建の制度は、今井町の人たちの思いで出来た制度だといっても過言ではない。それでも住民の合意を得るのに時間を要し、晴れて重伝建となったのは1993年(平成5年)。なんと、18年もかけて粘り強く住民を説得し続けたのである。その甲斐あって移住してくる住民が多く、小学生の数も増えていると言う。

記事には「高齢化で町家を維持できない所有者の増加が予測され、代わりに町家を預かり、守っていく仕組みづくりが急務」という指摘があった。奈良町は「にぎわい」づくりより、守り、受け継いでいくというスキームが肝心なのである。

コメント
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