NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「ディスカバー!奈良」を連載している。1月17日(木)付で掲載されたのは「義経千本桜の名場面/下市の鮨屋の段」、筆者は北葛城郡広陵町出身・在住の大山恵功(よしのり)理事だった。「義経千本桜」は良く知られている。『デジタル大辞泉』によると、
※トップ写真は「つるべすし弥助」(吉野郡下市町)
浄瑠璃。時代物。五段。竹田出雲・並木千柳(並木宗輔(そうすけ))・三好松洛(みよししょうらく)合作。延享4年(1747)大坂竹本座初演。源義経の都落ちにからめて、潜伏中の平家の武将知盛・維盛・教経の滅びのロマンを描く。知盛が壮絶な死をとげる二段目「渡海屋・大物浦(だいもつのうら)」、維盛を助けようとしていがみの権太が犠牲になる三段目「鮓屋」、鼓の皮となった親狐を慕う狐忠信を描く四段目「河連(かわつら)館」が有名。
この三段目と四段目は、私もよく講演などでお話しする。講演資料から「あらすじ」を紹介すると、
下市町のマスコットキャラクター・ごんたくん
1.鮨屋の段(三段目)
竹田出雲ほか作『義経千本桜』(延享4[1747]年初演)、三段目「鮨屋の段」にいがみの権太が登場。源平合戦のあとも、平家一族が生きていたという設定。
下市(現・吉野郡下市町)ですし屋を営む弥左衛門は、若い頃に平家の武将・平重盛に恩を受けたため、その武将の息子・平維盛を、弟子の「弥助」としてかくまっていた。
一方、弥左衛門の息子の権太は、やくざ者。金を無心しに実家に行った権太は、弥助が維盛だと知ると「褒美がほしい」と、源氏の追っ手に維盛の首を差し出し、維盛の妻子も縛って引き渡す。これに父の弥左衛門は激怒し、権太を刀で刺してしまう。
息が絶えようとする中、権太は語る…。実家で身を潜めている時、父(弥左衛門)と維盛の関係と、父の窮地を知った。自分(権太)はさんざん悪行を重ねてきたが、改心を決意した。源氏に渡した首は先に殺された別人のもので、「維盛の妻子」として差し出した母子は、実は自分(権太)の妻子だった…。
2.河連法眼(かわつらほうげん)館の段(四段目)
舞台は桜が爛漫と咲き乱れる春の吉野山。静御前と佐藤忠信(義経の家臣)が義経を訪ねる。現れた忠信は、実は狐。静の持つ初音の鼓の皮にされた母狐の子が鼓の音に惹かれ、忠信の姿に化けて現れた。
ところがそこに本物の忠信が現れ、子狐の忠信は正体を明かして泣きわびる。義経は子狐に鼓を与える。子狐は感謝し、その夜、吉野の荒法師が夜討ちを企てていることを知らせ、法師らを念力で迷わせ、ことごとく捕らえさせた。江戸町人芸術の最高傑作として大人気を博した。
では、最後に記事全文を紹介する。
いがみの権太の墓(同町)
「義経千本桜」は、人形浄瑠璃(文楽)、歌舞伎の三大名作の一つとされ、1747(延享4)年11月人形浄瑠璃として初演。源平合戦後、兄頼朝と仲が悪くなった源義経と実は生きていた平家の武将たちとの物話です。
「鮨屋(すしや)の段」の舞台は下市のつるべ鮨屋。主な登場人物は、鮨屋の極道息子の「いがみの権太(ごんた)」、鮨屋にかくまわれている「平維盛(たいらのこれもり)」です。平家の残党探しが続くなか、権太は偽の首を平維盛の首として源氏方へ差し出します。しかし、父親は権太が維盛を殺したと思い込み、権太を殺してしまいます。
この鮨屋のモデルが、現在も下市町にある「つるべすし弥助」です。また、町内には「いがみの権太の墓」もあります。関西では聞き分けのない子供のことを「ゴンタ」と言いますが、いがみの権太からきた言葉といわれています。下市町のマスコットキャラクターにも採用されています。
■メモ つるべすし弥助へは近鉄下市口駅よりバスで下市本町下車、東へすぐ。いがみの権太の墓へは近鉄越部駅より吉野川(椿橋)を渡り南東へ徒歩約15分(奈良まほろばソムリエの会理事 大山恵功)。
※トップ写真は「つるべすし弥助」(吉野郡下市町)
浄瑠璃。時代物。五段。竹田出雲・並木千柳(並木宗輔(そうすけ))・三好松洛(みよししょうらく)合作。延享4年(1747)大坂竹本座初演。源義経の都落ちにからめて、潜伏中の平家の武将知盛・維盛・教経の滅びのロマンを描く。知盛が壮絶な死をとげる二段目「渡海屋・大物浦(だいもつのうら)」、維盛を助けようとしていがみの権太が犠牲になる三段目「鮓屋」、鼓の皮となった親狐を慕う狐忠信を描く四段目「河連(かわつら)館」が有名。
この三段目と四段目は、私もよく講演などでお話しする。講演資料から「あらすじ」を紹介すると、
下市町のマスコットキャラクター・ごんたくん
1.鮨屋の段(三段目)
竹田出雲ほか作『義経千本桜』(延享4[1747]年初演)、三段目「鮨屋の段」にいがみの権太が登場。源平合戦のあとも、平家一族が生きていたという設定。
下市(現・吉野郡下市町)ですし屋を営む弥左衛門は、若い頃に平家の武将・平重盛に恩を受けたため、その武将の息子・平維盛を、弟子の「弥助」としてかくまっていた。
一方、弥左衛門の息子の権太は、やくざ者。金を無心しに実家に行った権太は、弥助が維盛だと知ると「褒美がほしい」と、源氏の追っ手に維盛の首を差し出し、維盛の妻子も縛って引き渡す。これに父の弥左衛門は激怒し、権太を刀で刺してしまう。
息が絶えようとする中、権太は語る…。実家で身を潜めている時、父(弥左衛門)と維盛の関係と、父の窮地を知った。自分(権太)はさんざん悪行を重ねてきたが、改心を決意した。源氏に渡した首は先に殺された別人のもので、「維盛の妻子」として差し出した母子は、実は自分(権太)の妻子だった…。
2.河連法眼(かわつらほうげん)館の段(四段目)
舞台は桜が爛漫と咲き乱れる春の吉野山。静御前と佐藤忠信(義経の家臣)が義経を訪ねる。現れた忠信は、実は狐。静の持つ初音の鼓の皮にされた母狐の子が鼓の音に惹かれ、忠信の姿に化けて現れた。
ところがそこに本物の忠信が現れ、子狐の忠信は正体を明かして泣きわびる。義経は子狐に鼓を与える。子狐は感謝し、その夜、吉野の荒法師が夜討ちを企てていることを知らせ、法師らを念力で迷わせ、ことごとく捕らえさせた。江戸町人芸術の最高傑作として大人気を博した。
では、最後に記事全文を紹介する。
いがみの権太の墓(同町)
「義経千本桜」は、人形浄瑠璃(文楽)、歌舞伎の三大名作の一つとされ、1747(延享4)年11月人形浄瑠璃として初演。源平合戦後、兄頼朝と仲が悪くなった源義経と実は生きていた平家の武将たちとの物話です。
「鮨屋(すしや)の段」の舞台は下市のつるべ鮨屋。主な登場人物は、鮨屋の極道息子の「いがみの権太(ごんた)」、鮨屋にかくまわれている「平維盛(たいらのこれもり)」です。平家の残党探しが続くなか、権太は偽の首を平維盛の首として源氏方へ差し出します。しかし、父親は権太が維盛を殺したと思い込み、権太を殺してしまいます。
この鮨屋のモデルが、現在も下市町にある「つるべすし弥助」です。また、町内には「いがみの権太の墓」もあります。関西では聞き分けのない子供のことを「ゴンタ」と言いますが、いがみの権太からきた言葉といわれています。下市町のマスコットキャラクターにも採用されています。
■メモ つるべすし弥助へは近鉄下市口駅よりバスで下市本町下車、東へすぐ。いがみの権太の墓へは近鉄越部駅より吉野川(椿橋)を渡り南東へ徒歩約15分(奈良まほろばソムリエの会理事 大山恵功)。
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