春を告げる花々を見ていると、どんなことがあっても季節は廻ってくるのだなあ…と月並みな感慨を覚えます。
こんな感じで、花見をしてきました。
映画「海角七号」で歌われている「國境之南」。この国境は、与那国島と台湾島の間に引かれているが、当然、1945年以前には存在しなかった。戦前、沖縄と台湾の交流は盛んで、先日のNHKスペシャル「アジアの”一等国”」でも、そのことに触れていた。
花蓮県の開発についても、日本人が大きな役割を果たしたことが知られている※。
切っても切れない関係にある与那国島と花蓮市がチャーター船の運行を開始し、交流が活発化しているのは、うれしいニュースだ。
与那国島の観光スポットで記念撮影をする台湾人観光客=沖縄県与那国町で |
台湾東部の花蓮市と、日本最西端の沖縄県与那国町(与那国島)を結ぶ週末直行チャーター便が二月から三月にかけて三週連続で運航した。姉妹都市でもある両市町の間柄を花蓮市の蔡啓塔市長(50)は「隣近所」と呼び、花蓮市をアジア全域と与那国をつなぐ拠点とする将来構想を描いている。 (台北・栗田秀之、写真も)
両市町間の距離は百十一キロ。与那国島と石垣島は百十七キロ、那覇に至っては五百九キロの距離がある。もともと与那国は戦前から終戦直後までは台湾との交易で繁栄した。
しかし今では「高校がない。仕事がない。自立がない」(林国源・琉球華僑総会会長)ため、町になった一九四七年には一万二千人だった人口が千六百人余に縮小。そこで町は、台湾との直接交流が可能な「国境交流特区」を申請、花蓮市に連絡事務所を置くなどし、台湾との結び付きを再び深めることによって自立と活性化を目指そうとしている。
週末直行チャーター便の運航は、こうした施策が実った結果だ。内閣府の昨年度「地方の元気再生事業」に町の提案が選ばれ、国から五千万円の予算も付いた。両市町を三往復したチャーター便で、観光客ら約三百十人が往来。与那国町は町ぐるみで台湾人観光客を出迎えた。花蓮市の側も、蔡市長は「(与那国町の)危機は転機。観光を皮切りに経済、貿易に交流を拡大し、和平文化を育てたい」と将来ビジョンを描く。
与那国町ではほとんどの物資が那覇、石垣経由で届くため物価が割高。花蓮から果物や野菜を搬入できれば、双方の利益になる。花蓮市は既に泡盛や黒糖など与那国特産品を展示販売する経済貿易館を整備した。
蔡市長は「二国二制度」の下での「一日共同生活圏」を提案する。空路を定期便にすれば、台湾全土はもとより、これまで那覇や石垣を経由していた日本、中国、東南アジアなどからの与那国訪問が花蓮を拠点として手軽になる。
構想を進めようと、今月中旬には台東や宜蘭の台湾東部海岸と、沖縄先島諸島の自治体との会議が花蓮で開かれる。蔡市長は「両市町の関係は台日交流の縮小版。点から線、線から面に拡大したい。(与那国は)辺ぴな最西端ではなく、世界とつながる最先端だ」と強調している。