「毎日新聞」に台湾映画「悲情城市」(悲しみの街)にまつわるエッセイが載っている。
映画の舞台になった「九份」を訪れ、「二・二八事件」「一青窈」などにも触れたこの記事は、とても印象深い。
「悲情城市」が作られたのは、もう20年も前になるのか…。この映画の侯孝賢監督は、「海角七号」(魏徳聖監督 2008年)を「僕にとって10数年来で最高の台湾映画。見に行かなければ、絶対後悔します」と賛辞を寄せたそうだ。
両方とも、台湾現代史を理解するための必携アイテムだ。
訪ねたい:銀幕有情 悲情城市(台湾・九份)
◇鉱山の街の懐かしさ
鉱山とは縁が深かった。教師だった父親は北海道の旧産炭地の学校で教壇に立ち、私は近くの町で育った。記者になってからは、北海道空知地方の旧産炭地にある通信部で勤務したこともある。初めて「生きている」炭鉱を見たのは、北海道釧路市にあった国内最後の坑内掘り炭鉱、太平洋炭礦だった。だが、それも02年1月には閉山してしまった。
かつての産炭地に共通するのは、現在の街の規模とは不釣り合いな映画館などの娯楽施設や歓楽街があることだ。石炭が「黒いダイヤ」ともてはやされ、多くの人が押し寄せた往時をしのばせる。「悲情城市」の撮影が行われた台湾北部、台北県瑞芳鎮(ずいほうちん)の九份(きゅうふん)もどこか懐かしさを感じさせる。
九份という地名はもともと、ここに9戸しか住んでいなかったことに由来する。だが、19世紀末、金鉱が発見されたことで、小さな集落は一変する。ゴールドラッシュに沸き、最盛期には4万世帯にまで膨れ上がった。独特の地形の斜面にへばりつくように映画館や飲食店、遊郭などが建ち並んだ。
「どうぞ、どうぞ」。流暢(りゅうちょう)な日本語で自宅に招き入れてくれたのは、地元の簡楊鉛さん(75)だ。近くの産炭地、同県平渓郷の炭鉱労働者の家で生まれ、九份に嫁いで来た。「炭鉱よりも金鉱の方が華やかな感じがするでしょう。でもね、実際はあまり変わらなかったのよ」と笑った。緩やかに曲がる自宅前の舗装された道路は、金鉱があった当時、金鉱石を運ぶ小さなトロッコの線路が走っていた。亡くなった夫も金鉱で働いていた。
金鉱を経営していたのは「台陽公司」。初代オーナーの顔雲年氏は金鉱で資産を築き、顔家は日本統治時代から続く、台湾の名家となった。その3代目となったのが顔恵民氏。「もらい泣き」や「ハナミズキ」のヒットで知られる歌手の一青窈さんの実父だ。だが、その金鉱も70年代には閉山。街は急速にさびれていった。
九份が再び脚光を浴びたのは「悲情城市」のロケに使われたことだった。90年代初頭に映画を見た人々がそのノスタルジックな雰囲気に魅せられ押し寄せるようになった。レトロ調の喫茶店、中国茶を楽しむ茶芸館などが建ち並び、週末には台北市などから、若者を中心に多くの観光客が訪れ、日本からのツアー客の定番コースにもなっている。
だが、観光コースを一歩外れると、ふだんと変わらない庶民の生活があった。旧トロッコ線の脇にある理容室「美麗代」は、大きな鏡のある昔ながらの「床屋さん」だ。経営者の楊美代さん(66)は、「悲情城市」の撮影時には、出演者の散髪をしたこともある。観光ブームに沸く九份を、楊さんは「にぎやかにはなった。でもね、昔の方がずっとにぎやかだった気がするの」と、淡々と話した。
「悲情城市」の中で主人公らは、日本人が去った後、中国大陸から渡ってきた人々に運命を翻弄(ほんろう)される。現実の九份の街も日本人や金鉱労働者、観光客など外から来た人々によって姿を変えている。だが、住民はどんなにもてはやされても一時的なものとすでに知っている。
日本でも台湾でも閉山を味わった地域で暮らす住民に共通する感情かもしれない。楊さんの言葉を聞き、そう思った。【庄司哲也】
◇「千と千尋」モデル?の店も
九份の観光地の中心地。石畳の階段の脇には、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の風景のモデルになったと言われる茶芸館「阿妹茶酒館」がある。宮崎監督本人が言及していないため、真偽のほどは定かではないが、地元では広く信じられ、同じように紹介する日本のガイドブックもある。
この店で出される高山で採れた凍頂烏龍茶は600台湾ドル(約1800円)と値段は張るが、その香りの高さに納得する。
「芋円」というイモ団子は九份の名物。「紅豆湯」と呼ばれるあっさりとした小豆お汁粉に入っている。
◇激動の現代史 家族の生と死描く--90年公開
第二次世界大戦直後の台湾で、林家の家族の生と死、愛と悲しみをつづった一大叙事詩。日本の敗戦から蒋介石の国民党政府が台北を臨時首都と定めるまでの激動の4年間を描いた。静けさをたたえた映像から、平穏な日々を打ち砕かれた人々への慈しみが漂う。ベネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)を受賞。侯孝賢(ホウシャオシェン)監督はアジアを代表する監督の一人に名を連ねた。キネマ旬報1位。
林家の長男文雄は玉音放送が流れる中、愛人の出産に立ち会う。次男は南方戦線で行方不明になり、三男は事件に巻き込まれ発狂。写真館を営む四男の文清(トニー・レオン)は耳が聞こえず口もきけないが、親友の妹の看護師と愛し合うようになる。やがて大陸を追われた国民党が台湾人を抑圧。多くの犠牲者を出した2・28事件である。抵抗する友人らを持つ文清も追われ、消息を絶つ。
侯孝賢監督はロングショットを多用し、物語や登場人物との間に一定の距離感を保つ。観客の感情移入を拒否することで、家族の心情を浮き彫りにした。文清が筆談するシーンの穏やかな光の美しさも印象的だ。2時間39分。89年作品。紀伊国屋書店からDVD(税込み5040円)発売中。【鈴木隆】
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