今朝は朝からテレビを視聴、賢治の世界に魅了された。たまたま番組表を見たら、シリーズ「東北・文学散歩」の放送があり、きのうは「「津軽」生誕100年 太宰治と故郷」 だった。見逃して残念だった。明日は啄木「特集 詩人・啄木の夢と青春 〜生誕110年記念祭から〜」「みちのく文学散歩 石川啄木 「一握の砂」 〜岩手県・玉山村〜」だ。忘れないで見たい。
今日は賢治、1996年放送の「宮沢賢治への旅」で、《第1部 イーハートーブの光と風、 第2部 本当の幸せを求めて》 を一挙に視聴することができた。
今日は昨夜半からの静かな雨降り、窓越しに色づき始めた秋の風情をぼんやり眺めていた。
きのうは穏やかな秋の一日、ひとり秋を楽しんできた。
林に囲まれた池の端の草原では、ノシメトンボのペアが産卵を繰り返していた。
一瞬、湿地で空中から卵をばらまく打空産卵に、マダラナニワトンボかと喜んだが、少し大型、翅の先端には黒色斑だった。
しばらく観察していると、ペアは水辺の草に止まった。その瞬間離れた。その後メスが単独で産卵を始めた。
隣では、幾組ものアキアカネが連結して、こちらは打水産卵をしていた。
あとわずかのいのちを思うと、精一杯の子孫を残す営みが愛おしく感じられた。
ノシメトンボの産卵
終わりかけているカントウヨメナの花には、キタテハ、ヒメアカタテハが暖かい日差しを受けて蜜を吸っていた。
数頭のオオアオイトトンボを見かけたが、イトトンボは姿を消した。元気なオツネントンボだけが目立った。
オツネントンボ
オオアオイトトンボ♂
ひとり水辺に佇み見つめる自然は何と切ないことか。秋は何と寂しい季節だろうか。
真っ赤に染まってきたウルシやサクラの葉を眺めながら、ふと裕次郎の歌を口ずさんだ。
”秋には枯葉が小枝と別れ~”、”はかない生命はせつなくもえて~”
「粋な別れ」の一節だが、まさに、美しく色づき始めた木々の葉も、ほどなく散り急ぎ土へ帰っていく。
そして、夏の日に飛び回り燃えた小さいいのちが、いま終わろうとしている。
今年も、ずっと小さな自然を見つめてきた日々が終わる。
来年も、元気なトンボやチョウの姿が見られることを祈った。