エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

やさしさ

2007-05-15 | 教育を考える
 今朝、会津若松市内でショッキングな事件が起きた。高校生が母親を殺害した何ともやりきれない事件だ。良い話題で故郷が紹介されればいいが、残念なニュースが全国を駆け巡った。この家族に一体、何があったのだろう。彼の心の中の闇が恨めしい。

 昨今、殺人事件は日常茶飯事で、目を覆いたくなるような、考えられないほど残酷な事件は全国どこで起きても不思議はない。
 人間は理性の動物というが、根底には感情が流れている。どんな恨み、感情のもつれがあったのか分からないが、理性で押さえられないこころを持った青少年のこころが悲しく切ない。
 虫一匹殺せない、草一本むしることができない優しい心があれば、と思った。でも、バラのつぼみを食べる虫を見つけると、あるいは蚊が近づけば憎らしく、何の感情もなく排除してしまう。戦争における殺し合いも、境遇がそうさせるのか、同じ人間の悲しいこころを見る。やはり人間も動物なのか。

 また、昨日、5歳の孫は「じいちゃん、とどめを刺すって何?」と聞いた。テレビアニメやドラマにも殺し合いのシーンは頻繁だ。そうした社会に育つ子どもたちの危険な社会に不安を覚えた。
 いろいろ思いを巡らすが、家庭で、地域で、優しい心を、いのちを大切にする心を育む社会でありたい。

拙ブログ「詩人・坂村真民を知る」(5/11)に書いた詩。

二度とない人生だから
 一輪の花にも
 無限の愛を
 そそいでゆこう
 一羽の鳥の声にも
 無心の耳を
 かたむけてゆこう

 二度とない人生だから
 一匹のこおろぎでも
 ふみころさないように 
 こころしてゆこう
 どんなにか
 よろこぶことだろう   ”

五葉松の植え替え

2007-05-14 | 日々の生活

 ここ数日ですっかり夏の庭になった。
 遅くまで芽を出さなかったムラサキシキブやサルスベリの新芽がようやくふいてきた。ウメやサクランボも丸く膨らんできた。何もなかった冬の庭を思い、今の緑うっそうとした庭に驚いている。

 今日は鉢物の植え替えをした。松の盆栽は大粒の赤玉土、桐生砂を混ぜた用土で植え替えたが、一本は長男が生まれた年に実生から育てた吾妻五葉で35年ほどになる。一時は、サツキ盆栽にも凝っていたが、引っ越しの度に減ってしまったり、水やりが大変なので庭に下ろした。花びらのくっきりした日光や晃山が好きだ。庭には大盃や博多白、光琳が毎年花を咲かせてくれる。
 カトレアのキンギアナムも株分けして植え替えた。これは高芽繁殖で毎年増え、もう10鉢を越えてしまった。冬の間、家中に取り込んでいた鉢を庭の定位置に置いた。
 鉢一杯に廻った根を切りつめ、清々した鉢を並べた。何も言わない植物も毎日見ていると実に愛おしいものだ。

プランターに植えたキンギョソウ、マリーゴールドが華やかに咲いている。
庭のスズランを手折り一輪挿しに挿した。ほのかに高貴な香りが漂い、机の上が爽やかになった。

ベニシジミ

2007-05-13 | 昆虫
この春は体調もすぐれず、まだあまりチョウを見ていない。もう周囲の山野にはウツバシロチョウが飛んでいる時期だ。近い内に、あのたおやかな舞いを眺めてみたい。まごまごしていたら、庭の木々ももう夏の装いだ。

 今日、庭でベニシジミを見た。春型の新鮮な個体だ。春型は明るくてきれいだ。夏型は翅の表面が暗い。ベニシジミは後翅表の輝く空色の斑紋列と、裏面の灰色が明るくてきれいだと思う。
 結構動きが速く、近づいて写真に撮ろうとするがじっと止まってくれない。しばらくカメラを手に待っているとタンポポに止まった。無心に蜜を吸う時は、いろいろなポーズを魅せてくれた。食草はスイバやギシギシなので秋まで何回か発生して飛び回っている。

チョウをファインダーで見つめていると、昔に戻ったように夢中になってしまった。
 これから庭に訪れるチョウやトンボ、いろいろな虫たちとの対話が始まる。今年も精一杯のいのちを見つめて過ごしたいと思ってる。

詩人・坂村真民を知る

2007-05-11 | 文芸
 入院中のベットでNHK教育TV【こころの時代アーカイブ】
  『「念ずれば花ひらく」-詩人・坂村真民の世界-』を見た。
 (5/6(日) 14:00~15:00 ・1988年【こころの時代~宗教・人生】の再放送)

 氏がもの静かに語る胸を打つ言葉や、間に流れる、輝く、こころに響く詩の数々に、人生を思わざるを得なかった。
思い巡らしたこころをノートにメモしながら視聴し、これまで氏を良く知らなかったことを後悔した。
これからしばらく、氏の残した詩をじっくり読んで、もう一度 生き方を考えようと思っている。

  --- 以下は、視聴ノートのメモをもとに ---

○ 氏の信仰と実践を支えたのは一遍上人だ。
 一すじに生きる人の尊さ、一すじにに歩みたる人の尊さを知った。一遍上人に惹かれ、詩集によって念仏のこころをひろめようとした。
○ 坂村真民さんは2006.12.17 に老衰のため97歳で逝去された。
○ 再放送を見て、自己に厳しく他人に温かい仏教詩人・坂村真民を学びたいと思っている。夜中に原稿を書き、朝は3時過ぎに外出、重信川の川原で朝日に向かって祈る姿に 厳しい信仰心を感じた
○ 坂村氏の信仰は「疑うな」である。
「疑えば花開かず、信心清浄なれば、仏を見たてまつる」という言葉に出会った。
「八字十音の願い」である「念ずれば花開く」・・・建てられた、「念ずれば花開く」  の石碑は全国各地に百基を越える。
    ”念ずれば花ひらく
     八字十音の誓願を
     タンポポの種のごとく
     流布さぜんがために
     日夜心身を砕くぺし
     そのほかに
     求むぺからず
     望むべからず ”
・「悉皆有仏性」で、あらゆるもの、宇宙に優しい眼差しを向けていた。
  わが生は 一輪の花のごとく 一心であれ
わが死は 一輪の花のごとく 一切であれ
・自然と人間 一輪の花の中に宇宙がある  
・「みめいこんとん」 励ましてくれる力持ちたい
・男は何に命をかけるか 自分にできること 後からのために
・「二度とない人生だから」
    ”二度とない人生だから
     一輪の花にも
     無限の愛を
     そそいでゆこう
     一羽の鳥の声にも
     無心の耳を
     かたむけてゆこう
  
     二度とない人生だから
     一匹のこおろぎでも
     ふみころさぬように
     こころしてゆこう
     どんなにか喜ぶだろう

     二度とない人生だから
     ・・・・・・・・
     ・・・・・・・・

     二度とない人生だから
     戦争のない世の
     実現に努力し
     そういう詩を
     一篇でも多く
     作ってゆこう
     私が死んだら
     あとをついでくれる
     若い人たちのために
     この大願を
     書きつづけてゆこう
  
  -------------------

念ずれば花ひらく          I

   苦しいとき
   母がいつも口にしていた
   このことばを
   わたしもいつのころからか
   となえるようになった
   そうしてそのたび
   わたしの花がふしぎと
   ひとつひとつ
   ひらいていった

みめいこんとん

   わたしがいちにちのうちで
   いちばんすきなのは
   みめいこんとんの
   ひとときである
   わたしはそのこんとんのなかに
   みをなげこみ
   てんちとひとつになって
   あくまのこえをきき
   かみのこえをきき
   あしゅらのこえをきき
   しょぶつしょぼさつのこえをきき
   じっとすわっている
   てんがさけび
   ちがうなるのも
   このときである
   めいかいとゆうかいとの
   くべつもなく
   おとことおんなとの
   ちがいもなく
   にんげんとどうぶつとの
   さべつもない
   すべてはこんとんのなかに
   とけあい
   かなしみもなく
   くるしみもなく
   いのちにみち
   いのちにあふれている
   いちにちのうちで
   いちばんいきがいをかんずるのは
   このみめいこんとんの
   ひとときである


法用寺にサクラを見る

2007-05-09 | 街中散歩
             【法用寺 三重の塔】

2007.4.30入院前日に)

 昨日体調が戻り、3日ぶりに庭に出た。すっかり新緑の春になった。
ラックと散歩もできずに、庭に出るのも3日ぶりだった。気分転換に、娘の運転で、おわりの桜をたのしみに出かけた。美里町米沢の千歳桜から高田の法用寺にある虎の尾桜を鑑賞した。虎の尾桜は満開で、その花のもとでのどかな野点茶会がおこなわれていた。
 しばらく屋根の葺き替え中だった3重の塔も全容を表し、落ち着いた桜の花に美しく建っていた。数百年続いているのであろうこのたたずまいは、ひときは趣を感じるもので、しばらく幸せな時間が流れた。
 また、3重の塔の奥には石川啄木の歌碑があった。
     「敵として憎みし友とやや長く手をば握りきわかれといふに」
     「あらそひていたく憎みて別れたる友をなつかしく思ふ日も来ぬ」
 二人の悲しい人間関係を思った。多分この二人の諍いも悲しい啄木の心からのものもあったのだろう。啄木の境遇の辛さを切なさを思い胸が詰まった。



 小さな山門をくぐる。新しく編まれた縄の蛇が下がっている。「蛇のお年始」は有名な年中行事だ。左右の金剛力士像は色あせた大きな写真パネルが立てかけてあった。

見上げると本堂前に満開の虎の尾桜が美しかった。(虎の尾桜は何代目かの大木で、花の中から花弁が突き出した珍種。東側に低く張り出た樹幹を虎が横たわる姿にたとえたとする説と、重弁になる花からおしべが弁化して細く立つ旗弁の形を虎の尾と見立てたとする説がある。)

             【虎の尾桜】


帰路、門田飯寺の武蔵亭二丸亭で蕎麦を食べた。美味しかった。数日間食欲もなかったが、あっという間に蕎麦をざる一つすすり、妻に「食べられれよかったね。」と言われ胸が詰まってしまった。食べっぷりに安心したのだろう。元気を取り戻さななければと思った。そしてどんなに感謝しても感謝仕切れない気持ちを心に留めた。みんなありがとう。
 会津で何軒か、美味しいと思うそば屋の一軒だ。 
                    

退院しました。

2007-05-08 | 健康
              【帰宅を首を長くして待っていた 愛犬ラック】

連休中の約1週間の入院だった。久々の入院、そして今日家に戻り、あらためて取り戻した健康と、平凡な普通の生活が一番だと思っている。
 
 少しふらつきながら庭を眺めた。見るものすべてが輝いている。満開のドウダンに、クマバチが羽音を響かせホバリングしている。春のいのちの躍動を見た。しばらく見ないうちに、庭の緑はすっかり成長した。つぼみだったリュウキュウツツジが咲き始めていた。スズランやマイズルソウも明日は花開くだろう。
裏庭からケーンケーンと鳴き声が! 退院祝いに庭にキジが駆けつけてくれた。



 連休中に案の定、熱が出てしまった。この素晴らしい季節、連休中はなるべく医者にはかかりたくないと思っていたが、今回は40.8℃の高熱、薬で様子を見ていたが、不安になり病院へ行った。案の定、即入院となった。
 いつもの炎症だと思ったが、月1,2度の発熱、微熱とは違った。4月に入りほとんど毎週、頻繁に熱に悩まされて不安はつのっていた。
入院は慣れたものだが、辛いのは身体を動かせないこと、自由に庭を眺められないことと、ラックとの散歩ができないことだ。すがすがしい緑の連休を楽しみたかったが、仕方ない。3年前、復職した年の5月の連休、同じような症状で体調悪く入院してしまったことを思い出した。
 でも連休も、その意義は実は忙中の閑であればだろう。日々が連休の生活であれば、早く元気になって、またいつものように静かに庭のみどりを眺め、巡ったこの季節の1日1日を楽しむことができる。この機会にあらためて自分の位置を確かめ、日々の生活をふり返る、何をなすべきか心の整理をしようと思った。数冊の本を持参した。パソコンも。ラジオと手帳を枕元に置き、しばらくの体力回復を図りたい。ホテルでの休養くらいに考えると気分がやすらいだ。
 絶食、点滴で熱は治まった。根本的な解決は無理でも、とりあえず今回の回復を万全にしてまた再スタートしたい。あれからもう4年目に入った。また手術は嫌だなどと、これからの健康、不安を考えればキリがない。前向きに過ごしていこうと思っている。

 一足先に家に戻ったが、病室には一人身体を横たえ、辛い時間を過ごしている人がいる。皆さんの早い回復と退院をこころから祈っている。

 入院中、ブログ仲間の皆さんからお見舞いをいただき有難うございました。また、無理をしない程度にブログを書きはじめます。宜しくお願い致します。 

病床で描く

2007-05-04 | 健康
             【大根に似たカネノナルキ】


 前兆があり、案の定、連休初日に高熱を出してしまった。いつもの炎症だろうが40.8℃かつてなかった高熱、即入院、ベットで絶食、点滴の生活になってしまった。

今日、外泊許可が出て、ふらつきながら庭のすっかり変わった庭を眺めている。
明日また病院へ戻るが、もうしばらくかかりそうだ。



 毎朝、ほど近い病院のベットに、妻が庭の花を手折り持ってきてくれる。
暇をもてあましそれをスケッチした。

 今満開に咲いている紫の花「カネノナルキ」は、小判の実を付け、枯れて皮が剥けると輝く銀色の小判がざくざくとなる花だ。学名は分からない。
 スケッチしながら観察すると、紫色の花はダイコンにそっくり、葉は小さいのはサクラソウのような淡い黄緑色で、シソの葉を引っ張って細くしたようだ。茎にはイラクサを思わせる細い棘がはえている、実に個性的なきれいな花だ。

 「スズランスイセン」は図鑑にはスノーフレークとある。このガクの縁にある斑点の緑の色合いが何とも言えない。


 しばらくブログ休みます。いくつか頂いたコメント有難うございす。お返事もお許し下さい。あとから書かせて下さい。いつも訪問するブログも読めるこころの暇がなく残念です。退院後ゆっくり読ませて頂くのを楽しみにしています。