エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

梅雨の晴れ間の懐かしいチョウ

2009-07-06 | 日々の生活
 
 田の広がる磐梯の山麓に、夕方、ゼフィルスを見に行った。怪しい雲が広がり、遠くから雷鳴が響いていた。
 黒い物体が勢いよく目の前を飛び過ぎた。懐かしいクジャクチョウが目の前に止まった。
小豆色の翅に涙の斑紋があまりに美しかった。ずいぶん会っていなかったような気がする。 遙かな時を経て、目の前に現れた青春のチョウだ。近づくと素早く飛び去り、またすぐに戻ってくる。何回もきれいな羽根を見せてくれた。

 北杜夫の「ドクトルマンボウ昆虫記」の高山蝶の項に
「クジャクチョウのラテン語の種名には、ギリシャ神話のつたえる少女イオの名がもちいられている。イオは愛ゆえに牝牛の姿にされ、ゼウスの妻がおくった嫉妬の虻に悩まされながら、遠い異国をさまよわなければならなかった。とある朝、見なれぬ国の太陽がのぼるとき、やつれはてて目ざめた彼女の膝もとから、生まれたばかりの一匹のチョウが舞いたった。少女の大粒の涙はその翅の上にこぼれた。それ以来クジャクチョウの翅には、いたいたしい涙の跡が真珠のごとく光るようになったのだという。」とある。
 久々に、棚からさがした懐かしい本を、再読した。
 学生のころ、北杜夫のチョウ遍歴の足跡を数々の著書に見いだして愛読したころが懐かしく蘇ってきた。(2009.7.5)

キアゲハの羽化  七夕飾り

2009-07-04 | 日々の生活

 羽化したばかりのキアゲハを見つけた。はっとするような美しさだった。
 この前、植木鉢の土の上で蛹化したキアゲハだ。心配していたが、無事に羽化して、きれいな姿を見せてくれた。じっとして羽根の乾きを待ち、口を伸ばしたり巻いたり、羽根を閉じたりした。夏型の♂だった。年2回の発生、この子たちの子がまた育ち、蛹で寒い冬を越すことになる。
 じっとしている間に、接写で美しい姿をカメラに収めた。孫たちとみんなでしばらく美しい姿を眺め、誕生を喜んだ。
 やがて、梅雨空に見え始めた青空に向かって緩やかに羽ばたいていった。



 
【美しし過ぎる】

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7月に入ったと思っていたら、もう七夕だ。歳月人を待たずを実感する。
お休みなので、孫たちと七夕飾りをつくることにした。朝、庭から手頃な笹竹を切ってきた。それぞれに短冊に願い事を書いた。
 武琉も萌香も落ち着いて、お利口さんに短冊を書いた。絵を描いたり、色を塗ったり、あまりに熱中して作っていたので驚いた。

私も、心を静めて願い事を整理した。いつも私の願いは同じだ。
 「健康で過ごせますように。」
 「武琉、萌香、紗英ちゃんが、元気ですくすく育ちますように。」
 「ラックが長生きしますように。」

 お茶を挟んで、笹の枝葉にみんなで短冊や飾りを下げた。
 笹の葉さらさらが、しばらく玄関を飾ってくれる。

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次々に命をつなぐ虫たち

2009-07-03 | 昆虫
          【パセリにアカスジカメムシ】

 雨上がりの朝の散歩道に、ヤマトシジミが乱舞していた。夕方の散歩にデジカメを持参し、夏を謳歌するシジミチョウを撮った。
 皆が稀な種を撮りたがるが、ごくふつうに飛び回る小さい命もすべてが美しい。

【ヤマトシジミ】

 フランネルのキアゲハの幼虫もすべて姿を消し寂しくなった。近くをじっくり探すが蛹を一度も見つけたことはない。フランネルの咲き始めた花には、変わってハチが羽音を立て始めた。庭の花を付けたパセリにはアカスジカメムシがとまっている。花も、虫も次々に命をつないでいる。
 今の時期、キクイモモドキの花に見るセスジツユムシの幼虫や桑の葉上に現れるキボシカミキリとの再会を心待ちにしている。

 昨年、一昨年のこの時期のブログを開いてみた。
昨年から熱を出さなくなったが、一昨年は、高熱を出して苦しんでいた。「もう4年になる。こんな繰り返しが一生続くのだろうか。」などの記述がある。
 このところ体調が戻り、しばしば里山を歩いている。健康の素晴らしさを実感している。


一抹の不安

2009-07-01 | 日々の生活
 今朝は、いつになく静かなときが流れている。
 久々に庭の緑を濡らしながら降る梅雨の雨を眺めている。

 目に入れても痛くない孫たちとの日々のふれあいが、この上なく嬉しい。
孫たちの純真なしぐさを見るにつけ、幸せな日々が続いて欲しいと思うが、一抹の不安がよぎる。孫たちの将来への漠然とした思いだ。どんな社会になるのだろうか、これから波乱の人生?を送らなければならない孫たちを思うと多少かわいそうにも思える。

孫たちを見つめながら、一世代前、我々が子どもであったころの父母の生活、そして老いた父母の思いを想像した。激動の大正、昭和を生き抜いた、今は亡き父や母、先人の人生を思った。 日本中が貧しかった子どものころ、そしてその後の豊かな社会、平和すぎる社会に生かされた自分を・・・。
 今の激動の世界の有様、日本の政治の現状、めまぐるしい社会の変化などに憂いを覚え、どうしようもないいらだちすら覚えることがある。

いつまでもこんなのどかな、幸せな生活が続くはずはない。間違いのない自分の老いを意識しつつ、せめてしばらくの間健康でありたいと思っている。

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