ファミコンの登場は1983年ということだから、少なくとも1970年代中盤以降に生まれた人は、TVゲームと共に育った世代だ。そしてこの世代の、多くの人達の遊びの中心がTVゲーム(携帯型、パソコン用を含む)になっているのは誰もが知っていることだろう。
その影響か、横浜で開催された「国際フィッシングショーー」の入場者の内、中学生以下の入場者が5%減ったそうだ。
そのゲーム内容は日々進化し、多種多様になっているが、中でもロールプレイング系という分野を覗いてみるとオモシロいことに気が付く。
ロールプレイング・ゲーム中で一番多いのは、ファンタジーを題材にし、架空世界を舞台としてモンスター等との戦いで経験値を取得することでキャラクターが成長し、成長することで探索・行動範囲を広げるというパターンのものだ。そして、そのゲーム内で繰り広げられる冒険やバトルで使用するためのアイテムが登場する。
そのアイテムと釣り道具とを対比させてみよう。
まず、メインの武器である剣等が竿(+リール)だとすれば、盾等の防具が玉網(釣って手前まで引き寄せた魚をすくい取る網)と考えられる。これらはゲーム内であれば経験値等が上がったり、お金が貯まったりすると、より強力なモノが手に入るようになるが、釣りの場合でも、上級者になるほど高性能&高級なモノを「買える、買えない」は別として必要になるので、その点でも共通している。
そして、有用なサブ・アイテム類が、道糸、ハリス、ウキ、ハリといった小物類だろう。これらのサブアイテムは、敵キャラ(=魚)の種類や性質、またはこちらの戦法によって装着し直さなければ相手を倒す(=釣る)ことが出来ないことからして、イメージが共通している。
ゲーム内には倒すべき相手として、様々な敵が登場してくる。沢山出てくるのはザコ敵だが、これらは釣りでいうと差詰めエサ取り達だ。ザコ的の中でも結構強くて倒すのに手こずってしまうヤツがいるが、それらは外道(目的外=他種の魚)と考えられる。そして小ボスが本命でも小型、中ボスは良型、そしてラスボスが本命の大型魚といったところか?。
フィールド内にプログラムされている神殿やダンジョンなどは、魚が潜むポイントと考えればイイだろう。
こうやって対比してみると、ゲームというバーチャルな空間内に、ボクらが釣りをしているときに感じる「道具を手に入れ、使いこなす喜び」や、「未知との遭遇」と、それに伴う「ワクワク感」、勘を働かしての「読み」、そして、釣果を得た=ゲームでは相手を倒した時の「達成感」などの”喜び”が一通り揃っていることが解る。更には「一人でプレイして楽しい」という点でも共通している。
ボクらの子供の頃は幸い(?)にもTVゲームが無かったお陰で、釣りを通じて”喜び”を覚えることが出来たが、若い世代(~現在の小学生)は小学校の低学年からゲーム内で上記した各種の”喜び”を経験しているワケで、早い段階でゲームによって芽を摘まれてしまうと、他の遊びに接するするチャンスや意欲が減るのは当然のことだ。勿論全ての若年層(~小学生)に当てはまるワケではないし、ゲームだけが全ての原因ではないことは理解しているが、少なくとも釣りを始め、他の遊びや趣味の人口が減っている要因ではあるように思える。
こんな世の流れに対して一石を投じるために、オジサンとしてはここで、芥川賞受賞作家の故、開高健さんが、自身の釣り紀行である「オーパ」
の中で記している、中国に伝わる古いことわざを紹介したい。
それは、
一時間、幸わせになりたかったら
酒を飲みなさい 。
三日間、幸わせになりたかったら
結婚しなさい 。
八日間、幸わせになりたかったら
豚を殺して食べなさい 。
永遠に、幸わせになりたかったら
釣りを覚えなさい。
(幸わせ→幸せ=原文ママ)
というモノだ。
ボクはゲーム世代に問いたい。果たしてゲームの世界=他人によって、あらかじめプログラムされたバーチャルな空間で「永遠に、幸せになれるのだろうか?」と…。(一部には存在するみたいだから、それには恐れ入ってしまうけど…)
常にプログラムは無限の規模でランダムに書き換えられ、大いなる自然によってリセットされているから、釣りにはあらゆる可能性があり、様々な魚との出会いがあるのだ。また、行動することによって多くの仲間との出会いが待っているかも知れない。そして「漁をする」という行為は人間の心の底に眠っている”野生の本能”を呼び覚ますのだ!。役立つ場面は一生に一度有るか無いかは判らないけど、その本能を鍛錬していれば、もしもの時に貴方のピンチを救う力になるかも知れないのだ!。
と、オジサンがこんな所で拳を上げてはみても実際問題として、届きはしないんだろうナ…。
「ただし」と、先輩としては忠告をしておく。もし仮に釣りの世界へ入ってきたのなら、深入りのし過ぎは禁物だ。釣りを覚えて「永遠に、幸せになった人」は多いが、中には「幸せな結婚」生活が”三日”とは言わないまでも、かなり短くなった人も居るからだ。
その影響か、横浜で開催された「国際フィッシングショーー」の入場者の内、中学生以下の入場者が5%減ったそうだ。
そのゲーム内容は日々進化し、多種多様になっているが、中でもロールプレイング系という分野を覗いてみるとオモシロいことに気が付く。
ロールプレイング・ゲーム中で一番多いのは、ファンタジーを題材にし、架空世界を舞台としてモンスター等との戦いで経験値を取得することでキャラクターが成長し、成長することで探索・行動範囲を広げるというパターンのものだ。そして、そのゲーム内で繰り広げられる冒険やバトルで使用するためのアイテムが登場する。
そのアイテムと釣り道具とを対比させてみよう。
まず、メインの武器である剣等が竿(+リール)だとすれば、盾等の防具が玉網(釣って手前まで引き寄せた魚をすくい取る網)と考えられる。これらはゲーム内であれば経験値等が上がったり、お金が貯まったりすると、より強力なモノが手に入るようになるが、釣りの場合でも、上級者になるほど高性能&高級なモノを「買える、買えない」は別として必要になるので、その点でも共通している。
そして、有用なサブ・アイテム類が、道糸、ハリス、ウキ、ハリといった小物類だろう。これらのサブアイテムは、敵キャラ(=魚)の種類や性質、またはこちらの戦法によって装着し直さなければ相手を倒す(=釣る)ことが出来ないことからして、イメージが共通している。
ゲーム内には倒すべき相手として、様々な敵が登場してくる。沢山出てくるのはザコ敵だが、これらは釣りでいうと差詰めエサ取り達だ。ザコ的の中でも結構強くて倒すのに手こずってしまうヤツがいるが、それらは外道(目的外=他種の魚)と考えられる。そして小ボスが本命でも小型、中ボスは良型、そしてラスボスが本命の大型魚といったところか?。
フィールド内にプログラムされている神殿やダンジョンなどは、魚が潜むポイントと考えればイイだろう。
こうやって対比してみると、ゲームというバーチャルな空間内に、ボクらが釣りをしているときに感じる「道具を手に入れ、使いこなす喜び」や、「未知との遭遇」と、それに伴う「ワクワク感」、勘を働かしての「読み」、そして、釣果を得た=ゲームでは相手を倒した時の「達成感」などの”喜び”が一通り揃っていることが解る。更には「一人でプレイして楽しい」という点でも共通している。
ボクらの子供の頃は幸い(?)にもTVゲームが無かったお陰で、釣りを通じて”喜び”を覚えることが出来たが、若い世代(~現在の小学生)は小学校の低学年からゲーム内で上記した各種の”喜び”を経験しているワケで、早い段階でゲームによって芽を摘まれてしまうと、他の遊びに接するするチャンスや意欲が減るのは当然のことだ。勿論全ての若年層(~小学生)に当てはまるワケではないし、ゲームだけが全ての原因ではないことは理解しているが、少なくとも釣りを始め、他の遊びや趣味の人口が減っている要因ではあるように思える。
こんな世の流れに対して一石を投じるために、オジサンとしてはここで、芥川賞受賞作家の故、開高健さんが、自身の釣り紀行である「オーパ」
の中で記している、中国に伝わる古いことわざを紹介したい。
それは、
一時間、幸わせになりたかったら
酒を飲みなさい 。
三日間、幸わせになりたかったら
結婚しなさい 。
八日間、幸わせになりたかったら
豚を殺して食べなさい 。
永遠に、幸わせになりたかったら
釣りを覚えなさい。
(幸わせ→幸せ=原文ママ)
というモノだ。
ボクはゲーム世代に問いたい。果たしてゲームの世界=他人によって、あらかじめプログラムされたバーチャルな空間で「永遠に、幸せになれるのだろうか?」と…。(一部には存在するみたいだから、それには恐れ入ってしまうけど…)
常にプログラムは無限の規模でランダムに書き換えられ、大いなる自然によってリセットされているから、釣りにはあらゆる可能性があり、様々な魚との出会いがあるのだ。また、行動することによって多くの仲間との出会いが待っているかも知れない。そして「漁をする」という行為は人間の心の底に眠っている”野生の本能”を呼び覚ますのだ!。役立つ場面は一生に一度有るか無いかは判らないけど、その本能を鍛錬していれば、もしもの時に貴方のピンチを救う力になるかも知れないのだ!。
と、オジサンがこんな所で拳を上げてはみても実際問題として、届きはしないんだろうナ…。
「ただし」と、先輩としては忠告をしておく。もし仮に釣りの世界へ入ってきたのなら、深入りのし過ぎは禁物だ。釣りを覚えて「永遠に、幸せになった人」は多いが、中には「幸せな結婚」生活が”三日”とは言わないまでも、かなり短くなった人も居るからだ。