■異質の禅寺■
「古寺ガイド」的な本を眺めていたある日、大伽藍を構える一つの禅宗寺院が目に入った。その名を「黄檗山 萬福寺(おおばくさん まんぷくじ)」という。
目に入ったには、もちろん理由がある。普通、禅寺というのは「三門があり、本堂や法堂があって、方丈や枯山水の庭があって…」といったあたりが目に浮かび、一定のルールとでも言うべきか、ある種の制約があるか中での、寺院それぞれの個性ある姿を想像してしまうのだが、ここばかりは勝手が違い、想像を超えていた。そのほとんどが異質なのだ。
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この寺の開祖である隠元禅師は、中国の明朝末期~清朝初期に福建省から渡来した禅宗の僧だ。1654年の来日以降、紆余曲折いろいろとあったが、最終的には徳川四代将軍、家綱の要請を受け入れて、故郷の中国で住職をしていた寺と同名の萬福寺と名付け、1663年、現在の京都府宇治市に開山したのが、この大伽藍の始まりだ。以来、中国由来の正統派臨済禅を唱える禅宗寺院(現在では独立分岐して黄檗宗に改められている。)として発展してきた。
で、あるから、ここの異質さの元は、開祖である隠元禅師が渡来した人だったということにあるのだ。
ちなみに、今日食材として普及している「インゲン豆」は、この隠元禅師が来日と共に日本国内に持ち込んだ物だそうだ。
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中国風を表す言葉として、唐様(からよう)という言葉がある。隠元禅師が渡来した時期は時代が違うので、明様と言うべきか、清様と言うべきなのかは判らないが、とにかくこの大伽藍のすべてに唐様という言葉が当てはまる。
また、山号の黄檗山とは、元の萬福寺に黄檗樹という柑橘系の樹木が生い茂っていたことから名付けられたのだそうだ。
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■摩訶不思議■
桜の散り始めた頃、妻と二人で黄檗山萬福寺に向かった。大駐車場に車を駐めると、一旦緩やかな坂道を下る。…しかし、ここにある総門が、いきなり不思議な形で我ら夫婦を出迎えた。そう、まるで竜宮城の入り口のような形をしているのだ。
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この不思議な門をくぐり抜けると、境内に入るのだが、「不思議」と言えば、この総門と、いくつかの建物の屋根に着いているのが、「摩伽羅(まから)」という、想像上の生き物だ。
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一見「鯱鉾(しゃちほこ)」にも見えるのだが、胸ビレの代わりに足が生えている。鯱鉾は「口から水を吹く」ということから、確か、火除け(防火)だったハズだが、この摩伽羅は魔除けだそうで、女神の乗り物としてガンジス川に棲息するワニだとも言われている。そうすると、四国香川の金比羅(こんぴら)さんに祀られているのもガンジス川に棲息するワニだそうだから、「何か関連があるのだろうか?。」とも思ったりするのだが、確証はない。
「摩訶不思議」という言葉の語源には諸説あるそうだが、この不思議な生き物である摩伽羅も、その一説だそうである。
■中心部へ■
総門から三門へと向かい、受付で拝観料¥500を払い込んで奥へと進む。
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この三門もそうだが、この伽藍内の建物の屋根は端が反り上がり、いかにも唐様であり、他の寺院とは全く趣が違う。唐様と言えば、各所に掲げられている額内の書体も日本のそれとは違う唐様だ。
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中心部に入ると唐様感は更に増す。
境内は訪れる人もまばらで、ガランとしているのだが、あまりの唐様に、そこに山吹色をしたツナギのような道着?姿の少年たちが、ヌンチャクや三節棍などを持って修行をしている姿が目に浮かび、映画その他で見た少林寺の風景(恐らく、それもこちらの勝手な想像の世界だろうけど…。)がオーバーラップしてくる。
いちいち説明してゆくと大変なので、唐様を写真で綴ると…。
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寺院なのに「なぜ七福神の布袋様が?」と思うだろう。これは、中国では布袋様が、お釈迦様の入滅後56億7千万年後の未来に姿を現して多くの人々を救済するとされる、弥勒菩薩様の化身とされているからだ。
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■拝観を終えて…■
本文でも触れたように、内部の建築物はおろか、般若経の読経までを含めたほとんどすべてが唐様で、境内は、まるで中国だった。行ったことは無いにせよ、日頃映像等で中国の寺院は見慣れている現代人?のボクであっても、その様子は十分に「驚きの世界」だった。しかも、現在の萬福寺は、経年劣化で退色しているのだから、創建から時間が経っていない時期の金箔や朱塗りも鮮やかな江戸中期頃に、ここを拝観した人々の目にはどう写ったのだろうか?。恐らく、鎖国が続き、他国の情報がほとんど届かないない時代だから、現代人が初めてディズニー・ランドに行った際の何十、何百倍も衝撃的だったことだろう。
これは、あながち間違いではないようで、江戸中~後期の女流俳人である田上菊舎尼(1753年生まれ)が、この萬福寺を訪れた際に、こんな句を残している。
己の不信心さが露呈する表現かも知れないが、まさしく「江戸期のテーマパーク」という言葉がピッタリの黄檗山萬福寺だった。
「古寺ガイド」的な本を眺めていたある日、大伽藍を構える一つの禅宗寺院が目に入った。その名を「黄檗山 萬福寺(おおばくさん まんぷくじ)」という。
目に入ったには、もちろん理由がある。普通、禅寺というのは「三門があり、本堂や法堂があって、方丈や枯山水の庭があって…」といったあたりが目に浮かび、一定のルールとでも言うべきか、ある種の制約があるか中での、寺院それぞれの個性ある姿を想像してしまうのだが、ここばかりは勝手が違い、想像を超えていた。そのほとんどが異質なのだ。
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●「黄檗山 萬福寺」の全景図~その1●
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●「黄檗山 萬福寺」の全景図~その2●
この寺の開祖である隠元禅師は、中国の明朝末期~清朝初期に福建省から渡来した禅宗の僧だ。1654年の来日以降、紆余曲折いろいろとあったが、最終的には徳川四代将軍、家綱の要請を受け入れて、故郷の中国で住職をしていた寺と同名の萬福寺と名付け、1663年、現在の京都府宇治市に開山したのが、この大伽藍の始まりだ。以来、中国由来の正統派臨済禅を唱える禅宗寺院(現在では独立分岐して黄檗宗に改められている。)として発展してきた。
で、あるから、ここの異質さの元は、開祖である隠元禅師が渡来した人だったということにあるのだ。
ちなみに、今日食材として普及している「インゲン豆」は、この隠元禅師が来日と共に日本国内に持ち込んだ物だそうだ。
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●隠元禅師像●
中国風を表す言葉として、唐様(からよう)という言葉がある。隠元禅師が渡来した時期は時代が違うので、明様と言うべきか、清様と言うべきなのかは判らないが、とにかくこの大伽藍のすべてに唐様という言葉が当てはまる。
また、山号の黄檗山とは、元の萬福寺に黄檗樹という柑橘系の樹木が生い茂っていたことから名付けられたのだそうだ。
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●境内に残る黄檗樹●
■摩訶不思議■
桜の散り始めた頃、妻と二人で黄檗山萬福寺に向かった。大駐車場に車を駐めると、一旦緩やかな坂道を下る。…しかし、ここにある総門が、いきなり不思議な形で我ら夫婦を出迎えた。そう、まるで竜宮城の入り口のような形をしているのだ。
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●総門●
この不思議な門をくぐり抜けると、境内に入るのだが、「不思議」と言えば、この総門と、いくつかの建物の屋根に着いているのが、「摩伽羅(まから)」という、想像上の生き物だ。
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●総門の屋根にある、摩伽羅●
一見「鯱鉾(しゃちほこ)」にも見えるのだが、胸ビレの代わりに足が生えている。鯱鉾は「口から水を吹く」ということから、確か、火除け(防火)だったハズだが、この摩伽羅は魔除けだそうで、女神の乗り物としてガンジス川に棲息するワニだとも言われている。そうすると、四国香川の金比羅(こんぴら)さんに祀られているのもガンジス川に棲息するワニだそうだから、「何か関連があるのだろうか?。」とも思ったりするのだが、確証はない。
「摩訶不思議」という言葉の語源には諸説あるそうだが、この不思議な生き物である摩伽羅も、その一説だそうである。
■中心部へ■
総門から三門へと向かい、受付で拝観料¥500を払い込んで奥へと進む。
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●三門●
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●三門に掲げられる「黄檗山」の額●
この三門もそうだが、この伽藍内の建物の屋根は端が反り上がり、いかにも唐様であり、他の寺院とは全く趣が違う。唐様と言えば、各所に掲げられている額内の書体も日本のそれとは違う唐様だ。
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●萬福寺の額●
中心部に入ると唐様感は更に増す。
境内は訪れる人もまばらで、ガランとしているのだが、あまりの唐様に、そこに山吹色をしたツナギのような道着?姿の少年たちが、ヌンチャクや三節棍などを持って修行をしている姿が目に浮かび、映画その他で見た少林寺の風景(恐らく、それもこちらの勝手な想像の世界だろうけど…。)がオーバーラップしてくる。
いちいち説明してゆくと大変なので、唐様を写真で綴ると…。
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●桃が、いかにも唐様だ●
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●華光菩薩●
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●布袋様を祀る「天王殿」●
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●布袋様●
寺院なのに「なぜ七福神の布袋様が?」と思うだろう。これは、中国では布袋様が、お釈迦様の入滅後56億7千万年後の未来に姿を現して多くの人々を救済するとされる、弥勒菩薩様の化身とされているからだ。
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●ご本尊の「釈迦如来様」までもが唐様●
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●木魚の原型とも言われる、開版(かいぱん=魚梆と表記することも)●
■拝観を終えて…■
本文でも触れたように、内部の建築物はおろか、般若経の読経までを含めたほとんどすべてが唐様で、境内は、まるで中国だった。行ったことは無いにせよ、日頃映像等で中国の寺院は見慣れている現代人?のボクであっても、その様子は十分に「驚きの世界」だった。しかも、現在の萬福寺は、経年劣化で退色しているのだから、創建から時間が経っていない時期の金箔や朱塗りも鮮やかな江戸中期頃に、ここを拝観した人々の目にはどう写ったのだろうか?。恐らく、鎖国が続き、他国の情報がほとんど届かないない時代だから、現代人が初めてディズニー・ランドに行った際の何十、何百倍も衝撃的だったことだろう。
これは、あながち間違いではないようで、江戸中~後期の女流俳人である田上菊舎尼(1753年生まれ)が、この萬福寺を訪れた際に、こんな句を残している。
「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄」
己の不信心さが露呈する表現かも知れないが、まさしく「江戸期のテーマパーク」という言葉がピッタリの黄檗山萬福寺だった。