都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
古くから我が国では10月を神無月(かんなづき)と言います。これは10月に日本中の神様が、出雲の国(現在の島根県)に集まり会議を開き、他の国には神様が居なくなってしまうことからそう呼ばれたとされてきました。
神様の集まる出雲の国では反対に10月は神在月(かみありづき)と呼ばれています。この会議は旧暦の10月11日から17日までの7日間、出雲大社で開かれ、その後、佐太神社に移動し26日まで合計16日間の会議を行います。その期間に出雲大社と佐太神社では神在祭が行われます。
この神様の会議が行われるようになったのは大国主神(おおくにぬしのみこと)が日本の国土を開発した神様で、その時自分の息子や娘を各地に配置し、その地を管理させたことに由来します。子供たちは年に1度出雲の国に戻り、父親である大国主神にその年の出来事を報告し、来年の予定を打ち合わせするようになったのです。後に大国主神系以外の天照大神(あまてらすおおみかみ)系の神様も出雲へ来るようになりました。
大国主神は天照大神に日本の支配権を譲ったとき、代わりに幽界の支配権を得たと言われています。物質的な物事については天照大神とその子孫である天皇家が管理しますが、精神的な物事については大国主神とその子孫が管理します。そこでこの会議では一般的に人の運命について話し合われます。なかでも誰と誰を結婚させるかなどと言うことをこの会議では議題に上ります。遠く離れた見知らぬ同士が知り合い結婚するようなケースはこの会議の結果からかもしれません。そのため、出雲大社は縁結びの神様としても信仰されています。
上記のように、出雲では旧暦10月を神在月(かみありづき)と称している。ここから逆に、「神のいない月」が神無月の語源であるとする説も根強いが、これは中世以降、出雲大社の御師(おし:特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のことである)が全国に広めた説であり、「神無」の宛字から生まれた附会(ふかい:無理に関係づけること)である。
日本では、旧暦10月を神無月(かんなづき、かみなしづき)と呼び、現在では新暦10月の別名としても用いる。「神無月」の語源として以下のような説があるが、いずれにしても「神無」は宛字としている。
神な月(かみなづき):「神の月」が本意とおもわれる。
他に、
醸成月(かみなんづき):新穀で新酒を醸す月
神嘗月(かんなめづき):新嘗(にいなめ)の準備をする月
などがある。
しん-じょう-さい【新嘗際】
天皇が新穀を天神地祇(ちぎ)に 供え、みずからもそれを食する祭儀。古くは陰暦11月の中の卯(う)の日、明治6年(1873)以降は11月23日と定めて祭日としたが、昭和23年(1948年)からは「勤労感謝の日」となり、国民の祝日となっている。にいなめさい。《季冬》
辞書:大辞泉
したっけ。