都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
一般に役小角(えんのおづの、おづぬ、しょうかく)と呼ばれ、他に役優婆塞(えんのうばそく)と呼ばれる。
霊峰葛木山の神官加茂家に生誕する。幼少よりその天才的な才能を発揮し、若くして山岳修行に入る。神の導きで飛鳥元興寺の高僧より「孔雀明王経」の教えを受け、その後密教の奥義を修めること30年、不思議の術を顕す超人として人々の前に姿を見せる。
小角は「鬼神を使役し、様々な奇跡をなした」とされ、前鬼後鬼二体の鬼神(護法)を従えた姿で表される。様々な厄を一切除き、天候すら操る小角は畏敬され、彼のまわりに宗教団体が形成されていく。それが修験道の母体組織となる。
『源平盛衰記』などによれば本名は賀茂役君小角(かものえのきみおづの)で、一応神道の名家賀茂一族の分家にあたる。(ただし父親の名字は高賀茂とも伝わる)
奈良時代に葛城山の麓に生まれ、古代から続く山岳信仰の一部を引き継ぎつつ、仏教とその一流派である大乗仏教を加えて、修験道と密教の基を興した。
一説には634年に生まれたとされているが、伝説の色が濃く、やや信頼性が薄い。
前鬼と後鬼という夫婦の鬼を使役したと言われることから、邪法を使う者として名をおとしめられることもある。
ただしこの前鬼と後鬼だが、能の『鞍馬天狗』などでは大峰山の天狗だとされている。そこから考えると、もともと彼らは役行者と同じ山岳修験者で、行者に付き従った者たちだろう。他でも、鬼のような姿をしていたがれっきとした人間だったといわれている。
行者は『今昔物語』などでは葛城山にまつられる国津神である一言主(ひとことぬし)を使役するなど、多くの不可思議な逸話を残すため、宗教家ではなく呪術者や妖術使いのようにもいわれる。
山伏はどうやら鉱山を神聖な山としてみていたようだ。修験道の護摩などの火を用いていた業は、この踏鞴(たたら) を使用している。踏鞴は本来製鉄に使用する鞴(ふいご)である。当時、鉄は、金や銀より重要なものであり、朝廷は彼らを恐れていた。
山岳信仰はクニトコタチ(国之常立神:くにのとこたちのかみ)やオオナムチ(大国主命:おおくにぬしのみこと)などを霊山にまつることがあり、実際葛城山では『古事記』の雄略記にも書かれる一言主が古くから信仰されており、一応国津神系の神道だが、彼はその信仰に大乗仏教を加えた。
そのことから、神道派や純粋な仏教派には、異端視されたのではないかと思われる。
『続日本紀』などには文武3年(西暦699年)、他の呪術師の訴えによって、伊豆に流刑に処されたと記述されている。
また『日本霊異記』では、小角の所行に怒った一言主が、人に憑いて現れ、「行者は国を傾けようと謀っている」と託宣したことが流刑の原因とされている。
数年後、罪を許され刑を解かれたようだが、そのあたりはかなり曖昧で、正確には良くわからない。
したっけ。