団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「巫女」とは何かについて考える

2009-10-13 11:26:52 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

巫女、または神子(みこ、ふじょ)とは、主として日本(大和)の神に仕える女性のこと。

古来、神の言葉(神託)を得て他の者に伝えることが役割とされていたが、近代に入ってからは神社に於ける女性の奉仕区分として変容した。概ね朝廷の神和ぎ(かんなぎ)系巫女と民間の口寄(くちよせ)系巫女に分けられる。

Photo_2 古神道において神和ぎ(かんなぎ)という神を鎮める様々な行為がなされていた。そのなかで特に、祈祷師神職(しんしょく:神道、神社において神に奉仕し祭儀や社務をおこなう者のことである。)などの人が御霊代(依り代)となって、神を自らの身体に神を宿す、いわゆる「神卸し」や「神懸り・神憑り(かみがかり・神霊の憑依)」の儀式を巫(かんなぎ)といった。これを掌る女性が巫女の発生と考えられ、卑弥呼などがその代表的な例とされる。古語では巫(ふ・かんなぎ)と呼称され、男性でその様な祭祀に仕える者は覡(ふげき)と称される。

Himiko Himikoyakata 『古事記』・『日本書紀』に記される日本神話では、天岩戸の前で舞ったとされる天鈿女命(あPhoto_3 まのうずめ)の故事にその原型が見られ、また、『魏志倭人伝』によると、卑弥呼は鬼道(あやしい術。幻術。妖術。)で衆を惑わしていたという(卑彌呼事鬼道 能惑衆)記述があり、この鬼道や惑の正確な意味・内容については不明ではあるものの、古代に呪術的な儀式が女性の手によって行われた事が伺える。平安時代(794-1185/1192年ころ)には神祇官(じんぎかん)に「御巫(みかんなぎ)」や天鈿女命(あまのうずめ)の子孫とされた猨女君(さるめのきみ):『貞観儀式』)の官職が置かれ、神楽を舞っていたと推定されている。平安時代末期の藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著である『新猿楽記』には、巫女に必要な4要素として「占い神遊寄絃口寄」が挙げられており、彼が実際に目撃したという巫女の神遊(神楽)はまさしく神と舞い遊ぶ仙人のようだったと、記している。

Photo_4 Photo_5 Photo_6 Photo_7 中世以後各地の有力な神社では巫女による神楽の奉納が恒例となった。神楽も変容し、旧来の神降ろしに加えて、現世利益の祈願を併せて目的や、必ずしも巫女によらない舞神楽としての獅子舞大黒舞または、太神楽(だいかぐら)の曲独楽曲芸になっていったとされている。現在でも、祈祷・祈願自体を神楽、あるいは「神楽を上げる」と称する例があるのも、このことが基であると考えられる。歌舞伎の元である「かぶきおどり」を生み出したとされる出雲阿国(いずものおくに)は出雲大社の巫女1 であったという説もあり、古代の呪術的な動作が神事芸能として洗練され、一般芸能として民間に広く伝播していった経過を伺い知る例として捉えられる。

渡り巫女は、祭りや祭礼や市などの立つ場所を求め、旅をしながら禊(みそぎ)や祓い(はらKugutusi Konokoro_s い)をおこなったとされる遊女の側面を持つ巫女である。必ずしも流浪していたわけではなく、その源流は、平安時代にあった傀儡師(くぐつし)といわれる芸能集団で、猿楽の源流一つとさPhoto_9 れる。旅回りや定住せず流浪して、町々で芸を披露しながら金子(きんす)を得ていたが、後に寺社の「お抱え」となる集団もあり、男性は剣舞をし、女性は傀儡回しという唄に併せて動かす人形劇を行っていた。この傀儡を行う女を傀儡女とよび、時には客と閨(ねや)をともにしたといわれる。

Photo_8 梓巫女(あずさみこ)は梓弓(あずさゆみ)という鳴弦(めいげん)を行える祭神具であり、その梓弓によって呪術や祓いを行ったとされ、その梓弓を葛籠(つづら)にいれ持ち歩いたことから梓巫女と呼ばれた。

 巫女は、穢れ(けがれ)を払い、神を鎮める様々な行為を補佐する為、未婚(つまり処女)であり心身ともに健康な女性が求められた。本職巫女の多くは神職の娘・近親者など、その神社に縁がある人が従事する事が殆どであり、既婚女性が努める事は一部の例外を除きない。

Photo_12 近代においては一般募集の巫女も未婚女性であるが、現代女性が処女であるか否かは男女雇用均等法により募集条件と出来ないため公には条件とはされていない。

*解説*

巫女に必要な4要素占い神遊寄絃口寄

        占い:人の運勢、物事の吉凶、将来の成り行きを判断・予言すること。

        神遊(かみあそび):神前で、歌舞を奏すること。

        寄絃(よつら):古代日本の神道において、神事の際に魔除けのために梓弓の弦を打ち鳴らす行事のこと。巫女が祈祷を行うのに先んじてこれを行ったとされている。

        口寄(くちよせ):生者または死者の霊や神霊を呼び寄せ、その意思を言葉で語ること。

猿目:古代、神祇官に属し、大嘗祭(だいじょうさい)や鎮魂祭などのときに、神楽の舞などの奉仕をした女官。

梓巫女:梓弓(あずさゆみ)の弦を打ち鳴らして神霊・生き霊・死霊などを呼び寄せ、自分の身にのりうつらせて託宣をする女

傀儡師(くぐつし)

 人形遣いの古称。和訓で「くぐつ」「くぐつまわし」といい、この語源には、人形などの道具を入れて歩く久具(くぐ)という植物を編んだ籠(かご)とか、唐代語のkulutsなど外来語説などがある。古くは、曲芸や人形を操る芸などを生業とした古代日本の漂泊民をいった。すでに奈良時Photo_13 代にはこれらの人々がいたと推定されるが、10世紀中ごろの『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「久々豆(くぐつ)」の語がみえ、そのすこしあとの『散楽策問(さんがくさくもん)』にはPhoto 9世紀ごろに藤醜人(とうしゅうじん)が中国の傀儡を習って宮中で演じたと記されている。しかし、彼らについての詳細が明らかになるのは平安中期以降で、『本朝無題詩(むだいし)』『枕草子(まくらのそうし)』『傀儡子記(平安時代の後Photo_10 Photo_11 期、大江匡房(おおえの・まさふさ、1041年~1111)』などの文献にみえ、男は弓馬を使って狩猟し、刀玉のような曲芸をし、幻術をし、人形を操り、女は唱歌淫楽(いんらく)の遊女を業とした「漂泊の民」であった。官社・官寺の諸神事に参勤する義務を負わされていたことから、渡り巫女であったのかも知れない。

 旅回りを装う「間者」として敵方のようすをひそかに探る、「忍び」の役割を持っていたとも言われる。

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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