都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
はあ、何かって何だよ。その何かによって、対処の仕方が違うってもじゃねーのか
。
何ちゃって・・・。
失敗したら、それは学習したと思って、落胆
なんかしねーほーがいいぜ
。
だけど、「すぐに次の行動に出る」って選択はいかがなものかって感じだなー。失敗したら終わりってことは結構多いしさ。次ってことは同じ目的に向かって異なる行動をとるってことだろ?そんなこと許されるほど世の中甘くねーよ
。
だから、違う目標に切り替えるってことで、こっちだな。
したっけ。
皆さんは「ニポポ」という言葉を聞いたことがありますか?北海道を旅行したことがある方(特に網走方面)なら、きっと聞いたことがあると思います。
ニポポの語源は樺太アイヌの人たちのニィ・ポポ(小さな木の子供)から名付けられました。縦長の木に顔が彫られたもので、全体的に角張った「こけし」のようなものです。
「ニポポ」は樺太アイヌのマスコットでどんな願いもかなえて幸福をもたらしてくれると信じられています。山に狩に行く時や海に漁に出かける時などはニポポに「今日は沢山の獲物を与えてください」とお願いをして出かけ、得てきたものは食べる前に先ずニポポの口に与えて感謝をするのです。特別な願いごとをかなえてくれた時は、玉や刺繍をしたきれいなショールを首に巻いてやるといいます。
北方の地に暮らすアイヌの人たちは木製の人形を作り家の中に飾ったり持ち歩いたりして狩りでの怪我や家族の病気から身を守る“お守り”として大切にしていました。
持ち歩く小さいものは、エニシテ・ニポポといわれるそうです。
この人形の誕生は、昭和29年、朝鮮動乱後、網走刑務所の作業が少なくなって困っていた時、網走郷土博物館長の米村喜男氏の発案で、これを刑務所で製作して市と観光協会が民芸品として売り出す計画を立てました。それをゆだねられた元樺太新聞にいた高山長兵衛氏のデザインで、彫刻家の谷口百馬氏が原型を彫り、その後改良をも加えて製作されるようになったそうです。
材料は寒冷地で育つ槐(エンジュ・マメ科)で材質は硬く脂質に富んでいて、長期間保存すると表面に艶がでてきます。網走刑務所のある<msnctyst w:st="on" addresslist="01:北海道網走市;" address="網走市"> 網走市
槐(えんじゅ)のいわれは、昔、中国の『槐位(かいい)』という位を象徴する銘木といわれ、周の時代の朝廷に三公があって、それぞれの庭の三本の槐の木に面して座った事から三公の位を示す木になったものと言われます。
槐の字のいわれは、昔、お面などを槐の木で彫刻し、家の鬼門に置いた事から、木辺に鬼で、槐(えんじゅ)と書きます。 また、地方によっては、延寿と書いて、長寿や安産のお守りに使われたことがある。難産の時、この木の枝を握らせると、苦しまずに赤ちゃんが産めると言う事です。この事から槐の木は魔除け・長寿・安産・幸せの木として大変喜ばれています。
寒さに耐え成長する槐は、芯は黒く外側が白い木目のとても綺麗で美しく風情のある木で、重厚な色素の沈着が非常に美しく、量も少ない貴重な木です。
自宅の床柱は槐です。北海道ではよく使用されます。
したっけ。