都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
テーブルや机の角ってどこじゃい!天板の角に小指ぶつけるほど、足長くないし~。
「テーブルや机の脚の角」って、言葉を省略するな。なんでも省略するんじゃねー。
本題に入るが、そりゃー、小指のほうが痛いに決まってるだろーっ。「スネ」とじゃあ、骨の太さが違うってモンだ。あ、そういう問題じゃないかも・・・。
でも、「足の小指」のほうが痛いよ~。
昔、「あなたか噛んだ♪小指が痛い~♪・・・」って歌があったな~。
したっけ。
田んぼの神様は「サの神」と呼ばれます。
この神様は元々私たちの先祖の魂で、普段は山の祠(ほこら)にこもり、正月には年神、春にはサの神、夏には畑の神として、里に降りてきます。
このように行き来をするのは、子供たちのことが気になっているからです。同時に、汗水流して田畑を拓き、子供をいとおしんで育ててきたご先祖様の人生を、今を生きる私たちが忘れないようにするためです。
サツキ(5月)のサ、サナエ(早苗)のサ、サオトメ(早乙女)のサはすべて稲田の神霊を指すと解されています。「田植え終い(たうえじまい)」に行う行事が、サアガリ、サノボリ、訛ってサナブリといわれるのも、田の神が田から山にあがり昇天する祭としての行事だからと考えられるのです。田植えは農事である以上に、サの神の祭を中心にした神事なのであった。
その名残としてはサクラ(桜)、サカキ(榊)、ササ(笹)、サラ(皿)、サケ(酒)、サカズキ(盃)、サカナ(肴)のように神事に関係する物(神器)は、「サ」 から始まっているのです。
そうした、田植え月である5月にきわだってあらわれる「サ」という言葉がサクラのサと通じるのです。
クラとは、古語で、神霊が依り鎮まる座を意味した座(クラ)のことなのです。イワクラ(磐座)やタカミクラ(高御座)などに残っています。
このサの神への供え物がサケ(酒)であり、サカズキ(盃)であり、サラ(皿)に載せたサカナ(肴)であったのです。
そのサケ(酒)を飲んで、酔っぱらうことはサの神を呼び寄せることにほかならなかったのです。
サの神を呼び寄せるもう一つの神事は男女の交合でした。田植えの後、田の中で夫婦や作男と早乙女などが性行為を行ったといいます。地方によっては大正年間まで豊作の予祝行事として残っていたそうです。
このような風習が農耕民族として古くからあったとすると、夜桜の下で、酔っぱらって大騒ぎをする「花見」は日本人の血の中に受け継がれてきたものなのでしょう。
古代、日本に伝わった米は「赤米」でした。日本の米のルーツは赤米なのです。ですから、満開に咲く桜を見て豊作を祈願するのは、極自然の流れだったのでしょう。
サの神様がくれた赤い米。ですから今でもお祝いのときに「赤飯」を炊くのです。食紅や小豆で色付けして古代米を再現しているのです。
因みに、北海道では赤飯に甘納豆を入れます。
南からやってきた赤き種(サ)が北の白き大地の座(クラ)に納まった時その証にサクラがピンク色の花を咲かせるのです。
したっけ。