都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「阿呆」は「あほう」と読みます。勿論、「愚かであるさま。ばかなこと。」の意味ですが、本来は「阿房」と書きます。
「あほう」に由緒があるというのは、「阿房」によるものです。
秦の始皇帝が国内を統一し、渭水(いすい)の南に雄大な宮殿を建てました。未完成といわれ、遺跡は西安市の西郊にあります。
この宮殿が「阿房宮(あぼうきゅう)」と呼ばれ、東西の長さ三千尺、南北五百尺、なおメートル法に換算すると、乗数に諸説があるため東西600-800m・南北113-150mなどの幅がある。殿上には一万人以上の人が座れたと伝えられる、とてつもない建造物だったといわれています。
そこで、日夜、酒宴にふけり、国政をかえりみることがなかったために、国が滅ぶ元になったところといわれています。
この故事より出て、けた外れの馬鹿なことをすることを「阿房」というようになったそうです。後に「阿呆」の字が当てられるようになりました。「房」よりは「呆」のほうがもっともらしい気がします。
現在遺跡の付近には、阿房宮を再現した施設が作られ、一種のテーマパーク的な観光名所となっているそうです。
一方、「馬鹿」のほうは『広辞苑』には梵語 moha(慕何)、すなわち無知の意からか。古くは僧侶の隠語。「馬鹿」は当て字と載っています。
『史記』にある、秦の2代皇帝・胡亥の時代に権力をふるった宦官・趙高が、あるとき皇帝に「これは馬でございます」と言って鹿を献じた。皇帝は驚いて「これは鹿ではないか?」と尋ねたが、群臣たちは趙高の権勢を恐れてみな皇帝に鹿を指して馬だと言った「鹿をさして馬という」故事説もありますが、有力ではないようです。
「馬鹿・莫迦・馬嫁・母嫁・破家」どれも「ばか」ですが、全て当て字と考えられます。
「たわけ」については明日の「お題」とします。
したっけ。