都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
プロ野球のドラフト会議も終わり、プロ入りをする選手、交渉を続けている選手が新聞のスポーツ蘭をにぎわしています。
しかし、プロの世界で成功する人は、ほんの一握りです。甲子園を沸かせ、鳴り物入りでプロに入りながら、「鳴かず飛ばず」で終わった選手も数多くいました。
どの世界の人であっても、その多くが「鳴かず飛ばず」の苦しい下積み生活を経験したことがある人は少なくありません。
このように、「鳴かず飛ばず」といえば、成功を目指していながらも長い間何の活躍もなく目立たないという、悪いイメージがあると思います。
さらに、本来は「三年飛ばず鳴かず」が正しいのです。
しかし、本来は、次の故事にあるように前向きな良い意味の表現だったのです。
『十八史略、春秋戦国、楚』より
春秋時代の楚の荘王(そうおう/在位:紀元前614年 - 紀元前591年)は、即位して3年間、全く政治を顧みることもせず、日夜遊蕩にふけり、諫言(かんげん)する者は全て死に処すと宣言しました。
ある日、家臣の伍挙(ごきょ)が荘王に、「丘の上に、3年間飛ばず鳴かずの鳥がいます。これは何という鳥でしょうか」と謎かけをしました。荘王は「その鳥は一旦飛べば天に届き、一旦鳴けば人を驚かせるだろう。お前の言いたいことはわかった」と答えました。
しかし、その後も遊蕩にふける荘王に、今度は家臣の蘇従(そじゅう)が意を決して諫言しました。すると、荘王は、手に刀を取って、宴会で使っていた鐘や太鼓を吊るしていた紐を断ち切り、政務を執る決意を示しました。
実は、荘王は3年間、政務には全く関心がないふりをして、家臣の人物を見極めようとしていたのです。
つまり、「鳴かず飛ばず」とは本来、「三年飛ばず鳴かず」で、「将来の活躍に備えて、じっと機会を待っている」という意味だったのです。
鳴(な)かず飛ばず
将来の活躍に備えて行いを控え、機会を待っているさま。また、何の活躍もしないでいるさま。「―の下積み生活」→三年飛ばず鳴かず
大辞泉
今、まさに解散の風が吹いてきました。「三年飛ばず鳴かず」だった自民党にチャンスがまわってくるかもしれない局面になりました。
果たして、2012年9月26日自民党新総裁に選出された第25代 総裁「安倍晋三(58)」氏は党員、国会議員の人物をしっかり見極めていたのでしょうか。
したっけ。