都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
犬や猫の飼い主は、自分のペットが美人だとかハンサムだとかおっしゃいますが、彼ら自身は仲間の「容貌」をどう思っているのでしょうか。
答えは、彼らにとって相手の「美醜」はまったく問題にならないそうです。
ならば、例えばセックスの相手など誰でもいいのかといえばそうでもないらしいのです。発情期のタイミングが違えば♀に肘鉄を食らう♂もいれば、相手の体臭によっても好みが左右されることもあるそうです。
性格も大切な要素であるらしいのです。乱暴な犬や猫はやっぱり嫌われることが多く、人間同様、温厚な性格の犬や猫は、異性からだけではなく同性からも好かれるらしいのです。
そんなペットの性格は、飼い主に似ると言われていますので、彼らがもてるかもてないかは、飼い主次第かもしれません。
彼らは、「美醜」よりも「美臭」で相手を判断しています。そこにも飼い主の配慮は必要なようです。
したっけ。
「もうすっかり秋ですね。秋といえばスポーツの秋。
サッカーはザッケローニ監督のもと新生日本代表が始動し、野球はクライマックスシリーズが盛り上がっていますよね。
みなさんはサッカーと野球どちらを観るのが好きですか?」
どっちって言われたって、比べようがねえじゃないか。サッカーのJリーグの中継は放送されていない。放送されるのは交際試合だけ。
一方の野球は国内リーグ。これって北海道だけなのか?
それと、野球は試合時間が決まっていないからいつ終わるかわかんない。「試合途中ですが中継を終了させて頂きます。」って、責任持てよ、最後までって話だ。
サッカーは、試合時間がきっちり決まっていて最後まで放送される。それに日の丸背負った国際試合だ。見ないわけに行かない。たまにしかやらないってのもいいな・・・。
したっけ。
犬は飼い主の顔をよく舐めます。飼い主でなくても娘のうちの犬は、私が行くと飛びつくように顔を舐めるので閉口しています。
それを「親愛の情」として受け止め手いる人も多いと思います。しかし、犬は「親愛の情」というより「アナタに服従します」、と言う意味で顔を舐めているのだそうです。
これは、子犬のころ、母親の鼻先を舐めることで食べ物をねだると言う行為が身についてしまったためと考えられているそうです。つまり、顔を舐めることで、卑屈なまでに相手の機嫌を取り結ぼうとしているわけです。
人間の世界では「舐めるなよ。」といえば、「俺を見下すんじゃないぞ。」と言う意味ですが、犬の世界ではまったく逆のようです。
したっけ。
結論から言うと、犬の鼻がいつも濡れた状態にあるのは、嗅覚(きゅうかく)を鋭敏に保つためだそうです。
空気中には、匂いのもととなる微粒子や揮発性の物質が絶えず漂っています。これらの匂いのもとは呼吸とともに鼻の中に入ってきます。
これらの匂いを敏感にとらえるためには、極小の微粒子まで鼻孔(びこう)内の粘膜でキャッチしなければなりません。そのとき、粘膜がしっとりと濡れているほうが、匂いのもとをとらえやすくなるのです。
そのため、犬の鼻孔の内側は、絶えず粘液を分泌しつづけているのだそうです。犬の鼻が濡れているのは、この粘液のせいなのです。
もし、犬の鼻が乾いていたら、それは病気のサインなのです。たいていの場合は発熱が原因であるそうです。
人間の鼻が濡れていても、嗅覚が敏感にはなりません。たいていの場合は風邪などが原因で鼻が詰まって鈍感になります。念のため・・・。
したっけ。
天国(てんごく)は、西欧の俗信において、キリスト教の唯一神と天使、聖人ら善き死者たちが行き、在する架空の場所を指す。人間は、敬虔なる信仰心と罪を犯さない無垢の人生をもって、はじめて死後に天国へ行けるという。
英語ではヘブン 〔heaven〕。
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
新約聖書 ルカの福音書 17:20,21
パリサイびと【パリサイ人】
〔古代ユダヤ教の一派〕a Pharisee
プログレッシブ和英中辞典
「天国」とは「神の国」なのでしょうか?「神の国」は、生きている人間の心のなかにあると説いています。
「天国」と「神の国」は違うのでしょうか。天使は天国にいるのでしょうか。
てん‐ごく【天国】
神・天使などがいて清浄なものとされる天上の理想の世界。キリスト教では信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所をいう。天堂。神の国。転じて、苦難のない楽園。 地獄。
比喩的に、心配や苦しみのない理想的な世界。「子供の―」「歩行者―」
広辞苑
仏教で言う「極楽浄土」とは違うようです。
面白いジョークを紹介しましょう。
「天国って所は良いところらしいよ。」
「何故、お前にそれが判るんだい?」
「だって、今まで誰も帰ってきたやつはいないだろう。」
したっけ。
えんま【閻魔】
《(梵)Yama-raaの音写「閻魔羅社(えんまらじゃ)」の略》
えんま‐おう〔‐ワウ〕【閻魔王】
インド神話で、正法・光明の神。のち死の神と考えられ、仏教では、冥界(めいかい)の王、地獄の王として、人間の死後に善悪を裁く者とされる。閻魔。閻魔大王。閻魔羅(えんまら)。閻羅(えんら)。閻王。
大辞泉
閻魔王は、もとはヒンドゥー教の神様で、死後の世界の王様でした。王様は国全体を司るところから、地獄行、極楽行、それぞれの仕分け人となりました。つまり、地獄か天国かの行き先の「裁定権」は、「閻魔王」が握っているのです。
服装が中国風なのは、仏教がインドから中国を経由するとき、道教の影響を受けた為です。
閻魔王は恐ろしい顔をしていますが、仏教ではお地蔵さまの化身です。彼は罪人に再び罪をつくらせない為に恐ろしい顔で叱咤(しった)しているのです。
死んで地獄に行った人間は閻魔大王を含む十人の王の法廷に順繰りに引き出され、そこで生前の行いを審査され裁判されるのです。十王の五番が閻魔大王、その前に置かれた鏡には死んだ人の生涯が映し出されるということになっています。
十王(じゅうおう)とは、道教や仏教で、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格なのです。数種の『十王経』類や、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん:942~1017年)の『往生要集(おうじょうようしゅう:985年)』に、その詳細が記されています。
『往生要集』
浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなる。
人間を初めとするすべての衆生は、よほどの善人やよほどの悪人でない限り、没後に中陰(ちゅういん:人が死んでからの49日間)と呼ばれる存在となり、初七日 - 七七日(四十九日)及び百か日、一周忌、三回忌には、順次十王の裁きを受けることとなる、という信仰です。
中陰
死者が生と死・陰と陽の狭間に居るため中陰という。
生前に十王を祀れば、死して後の罪を軽減してもらえるという信仰もあり、それを「預修」と呼んでいました。
十王は死者の罪の多寡(たか)に鑑み、地獄へ送ったり、六道への輪廻を司ったりするなどの職掌(職務)を持つため、畏怖(いふ)の対象となったのです。
なお、俗に、主に閻魔に対する信仰ととられる場合もある。これは、閻魔以外の諸王の知名度が低いせいであると考えられています。
十王 |
読み |
本地 |
審理 |
秦広王 |
しんこうおう |
不動明王 |
初七日(7日目・6日後) |
初江王 |
しょこうおう |
釈迦如来 |
二七日(14日目・13日後) |
宋帝王 |
そうていおう |
文殊菩薩 |
三七日(21日目・20日後) |
五官王 |
ごかんおう |
普賢菩薩 |
四七日(28日目・27日後) |
閻魔王 |
えんまおう |
地蔵菩薩 |
五七日(35日目・34日後) |
変成王 |
へんじょうおう |
弥勒菩薩 |
六七日(42日目・41日後) |
泰山王 |
たいざんおう |
薬師如来 |
七七日(49日目・48日後) |
平等王 |
びょうどうおう |
観音菩薩 |
百か日(100日目・99日後) |
都市王 |
としおう |
勢至菩薩 |
一周忌(2年目・1年後) |
五道転輪王 |
ごどうてんりんおう |
阿弥陀如来 |
三回忌(3年目・2年後) |
日本では、嘘をついた子供を叱る際「閻魔様に舌を抜いて貰う」という俗信による民間伝承があります。みなさんも、一度や二度は言われたことがあるのじゃありませんか?
そんなことを言っても、今の子どもは信じない・・・。そうかもしれません。
したっけ。
地獄の沙汰も金次第とは、元々、「お金さえあればどんな事でもでき、鬼(幽霊)にでも「ひき臼」を回させる事が出来る」と言う意味の中国語『有銭能使鬼推磨』から来ているそうです。
【註】
有銭能使鬼推磨 you qian neng shi gui tuimo
ヨウチエン ノンシイ グイイ ツイモウ
※中国でいう「鬼」は日本とは異なり、「幽霊」または「化け物」のようです。
台湾や中国では、お盆を「中元節」といいます。中元節は、旧暦7月1日から7月30日まで。中元節の初日と最終日は、盛大に「拝拝(拝むこと)」します。家や店、地域ごとにお供え物をし、紙でできた偽札を燃やしたり爆竹を鳴らしたりします。
お供え物は、「三牲(鶏、魚、豚肉の塊)」や線香のほかに、蝋燭、生花、5種類の果物を盛った皿、白米一碗、鏡など多種多様です。しかも、果物の皿やお碗の数は6皿(碗)もしくは12皿(碗)の2種類と決まっており、またその内容物も奇数でなければいけません(今ではこだわる人も減っているようです)。お供えの場所に三角形の旗があることに気づきました。これは、好兄弟(鬼のこと)に食べ物があるということを示す目印。鬼がなるべく悪さしないために、ご馳走をここに用意してあるから好きなだけ召し上がれ、という目印です。
これらを供え、線香を立てて紙の偽札を燃やして拝みます。線香と燃やす偽札の煙で周辺は煙が立ちこめ、西暦で生活をしている私たちは、この煙で旧暦を意識させられます。 どうして偽札を燃やすのでしょうか。「地獄の沙汰も金次第」と同義の言葉が中国語にもあります(「有銭能使鬼推磨」)。お金を燃やして、あの世でも鬼にいじわるされないように、この世にいるときから準備しているのです。
生きているうちに、賄賂を贈っているというわけです。
銭は人に悪事を働く鬼だって使うことができる。「銭は鬼をも使うべし、いわんや人をや」(魯褒『銭神論』から)と、金銭にはすべてのことを可能にする魔力がある。一方には「銭は神に通ずべし」(張固『幽閑鼓吹「五二巻」』など)があって、カネの神通力を説いています。
「沙汰」は、現在では便り、知らせ、音信といった意味もあります。「ご無沙汰」などと使われます。
「沙汰」とは、そもそもは、砂金を得たり、米から砂をとったりする行為をさしていたらしい。「良い物と悪い物をふるい分ける」作業だそうです。そこから、「物事を処理する」、「是非を論じる」といった意味が生まれたらしい。
「地獄の沙汰も金次第」の「沙汰」は、さらに転化した「裁定」、「裁決」の意味だそうです。
地獄に行くかどうかを決めるのも「お金」次第と言うことです。その裁定を下すのは誰なのでしょう。
したっけ。
地獄(じごく、Skt(サンスクリット語): Naraka、音写:奈落)とは仏教における世界観の1つで最下層に位置する世界。欲界・冥界・六道、また十界の最下層である。一般的に、大いなる罪悪を犯した者が死後に生まるる世界とされる。
欲界(よくかい、skt:kaama-dhaatu )とは、仏教における世界観のなかで欲望(色欲・貪欲・財欲など)にとらわれた生物が住む世界。三界の一つで、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人(にん)・天上(神)が住む世界のこと。なお、天上界は、三界のうち上に行くほど色界と無色界があるが、それより下部にある欲界に属する天を六欲天という。
冥界(みょう‐かい)とは仏語における死後の世界。あの世。冥途(めいど)。めいかい。六道のうち、地獄・餓鬼・畜生の三悪道。特に、地獄道をさすことが多い。
六道(りくどう、ろくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻(りんね)するという、6種類の迷いある世界のこと。
・人間道(にんげんどう)
・修羅道(しゅらどう)
・畜生道(ちくしょうどう)
・餓鬼道(がきどう)
・地獄道(じごくどう)
十界(じっかい)とは、天台宗の教義において、人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、六道に声聞・縁覚・菩薩・仏の四を付加したものである。十界論、十方界あるいは十法界(じっぽうかい)とも言われる。天台教学の伝統を表した『仏祖統紀』巻50に出る。
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界に分類され、これらの総称が十界である。
地獄は一番下にあり、仏界は一番上にあります。私たちの住む人界は真ん中あたりより少し下でしょうか。
仏界と地獄界はそれこそ天と地ほどの差がありますから、「地獄で仏」などありえない話です。
地獄は、サンスクリット語で Naraka(ナラカ)といい、奈落(ならく)と音写されるが、これが後に、演劇の舞台の下の空間である「奈落」を指して言うようになった。
日本の仏教で信じられている処に拠れば、死後、人間は三途の川を渡り、7日ごとに閻魔をはじめとする十王の7回の裁きを受け、最終的に最も罪の重いものは地獄に落とされる。(7×7=49日)
地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっており、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるという。そして服役期間を終えたものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされる。
輪廻転生(りんねてんしょう)とは死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。
十六小地獄(じゅうろくしょうじごく)は、仏教の地獄に伝わる八大地獄の周囲に存在する小規模の地獄で、地獄に落ちた亡者の中でもそれぞれ設定された細かい条件(生前の悪事)に合致した者が苦しみを受ける。条件は当時の倫理観や仏教の教えに沿っているため、中には現在の倫理観や社会風俗などに合わないものも存在する。
仏教では地獄は正方形をしており、四方向(東西南北?)に四つの門があり、門一つごとに小地獄が4種類で、4×4で十六種類あるとされている。条件に合った亡者の他に、大地獄から逃げてきた亡者が迷い込むこともある。
・十六小地獄 (等活地獄) 必要がないのに生き物をむやみやたらと殺す、などの「殺生」の罪で落とされる等活地獄に付随する小地獄。「刀を使って殺生した」などの細かい条件によって十六種類の地獄が用意されている。ただし、その内9種類は、「正法念処経」においては名前のみで内容が記されていない。
・十六小地獄 (黒縄地獄) 「殺生」に加えて「盗み」の悪行が加わると落とされる黒縄地獄に付随する小地獄。ここにも十六種類の小地獄があると伝わる一方で、「正法念処経」には3種類の名前・内容しか記されていない。
・十六小地獄 (衆合地獄) 「殺生・盗み」に加えて、倒錯した性嗜好などの「邪淫」の悪行が加わると落とされる衆合地獄に付随する小地獄。「妻以外の女性と性行為を行った」などの細かい条件によって十六種類の地獄が用意されている。
・十六小地獄 (叫喚地獄) 「殺生・盗み・邪淫」に加えて、酒に関係する悪事を犯した「飲酒」の罪を犯した者が落とされる叫喚地獄に付随する小地獄。そもそも初期の仏教では、酒を飲む事それ自体が(建前上)禁止されていた。「酒に毒薬を混ぜて人に与えた」などの細かい条件によって十六種類の地獄が用意されている。
・十六小地獄 (大叫喚地獄) 「殺生・盗み・邪淫・飲酒」に加えて、嘘をついて人をだますなどの「妄語」の罪が加わった者が落とされる大叫喚地獄に付随する小地獄。「他人の田畑を奪い取るために嘘をついた者」などの細かい条件によって十八種類の小地獄が用意されている。ここのみ二種類多いことになるが、本来黒縄地獄に入れるべき物が混ざったのか、理由は明らかでない。
・十六小地獄 (焦熱地獄) 「殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語」に加えて、仏教の教えとは相容れない教義を信じ(神仏習合の例もあるように、単なる異教崇拝とは違うらしい)、その誤った考えを民衆に広めて、また実践した結果、自分も含めた多くの人の生命や財産を損じた、「邪見」の罪が加わった者が落とされる焦熱地獄に付随する小地獄。「”殺生をすることで天に転生することができる”という邪見を述べた者」などの細かい条件によって十六種類の小地獄が用意されている。
・十六小地獄 (大焦熱地獄) 「殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見」に加えて、童女や尼僧など清く聖なる者を犯した「犯持戒人」の罪が加わった者が落とされる大焦熱地獄に付随する小地獄。「仏門に入ったばかりの尼僧を犯した者」などの細かい条件によって十六種類の小地獄が用意されている。
・十六小地獄 (無間地獄) 「殺生・盗み・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人」に加えて、「父母殺害」「阿羅漢(小乗仏教における聖者)殺害」など、仏教における最も重い罪を犯した者が落とされる無間地獄に付随する小地獄。「仏像・仏塔・寺社などを破壊した者」などの細かい条件によって十六種類の小地獄が用意されている。
この他にも、どの地獄に付随するのか不明な「黒沙地獄」がある。熱で焼けた黒い砂が罪人を骨まで焼き尽くす。
≪以上参考≫ウィキペディア
じ‐ごく〔ヂ‐〕【地獄】
《(梵)naraka(那落迦)、niraya(泥黎)の訳。地下の牢獄(ろうごく)の意》
1 仏語。六道の一。この世で悪いことをした者が死後に行って苦しみを受けるという所。閻魔(えんま)大王が生前の罪業を裁き、獄卒の鬼が刑罰を加えるという。八熱地獄・八寒地獄などがある。奈落(ならく)。⇔極楽。
2 キリスト教で、神の教えに背いた者、罪を犯して悔い改めない魂が陥って永遠の苦を受け、救われないという世界。⇔天国。
3 イスラム教で、この世の終末に復活して受ける審判によって、不信仰者や不正を行った者が永劫の罰を受ける所。罪人であっても信仰者はやがて天国に入れられる。ジャハンナム。
4 非常な苦しみをもたらす状態・境遇のたとえ。「試験―」
5 火山の、絶えず噴煙が噴き出している所。また、温泉地で絶えず煙や湯気が立ち、熱湯の噴き出ている所。「温泉場の―巡り」
6 劇場の舞台の床下。奈落(ならく)。
7 下等の売春婦。私娼(ししょう)。
大辞泉
酒を飲むことが罪になるのなら、酒を造ったもの、売ったものはどうなるのでしょう。この世の飲酒をする人はことごとく地獄に落ちることになります。
しかし、これは飲酒が禁じられていた初期の仏教の話です。お酒は仏教用語で「般若湯(はんにゃとう)」といわれるくらいですから、ご安心下さい。
嘘をついた者、仏教以外の宗教を信じたものまで地獄に落とすなら、地獄に落ちないものはいなくなるでしょう。
地獄などと言うものは、自らの宗教を信じさせようとして、創造した小道具に過ぎません。
たとえ、どんな地獄に落ちようと、服役期間を終えたものは輪廻転生によって、再びこの世界に生まれ変わるとされるのですから、救済措置は残されているようです。
そんなものを信じ恐れおののいて生きるより、今を精一杯生きることが大切だと私は思います。
したっけ。
『最近はネットショッピングで何でも購入できるようになりとても便利になりましたね。お水や洗剤といったかさばるものを宅配してもらい買い物が楽になった気がします。日本人なら毎日食べるお米も持ち帰りが大変ですよね。そこでお米を買うときはどこで購入しますか。』
日本人の生命の根源を支えてきたお米を持ち帰るのが大変だ!
バカヤローッ!!なんてえことを言うんだ。罰が当たるぞ。
日本人が食して生活のエネルギーとしてきたお米だ。そのエネルギーを頂いたカスのことを米が異なると書いて恐れ多くも「糞」と言う。
パンなんてふやけたものを食ってるから、「糞」も出ねえ。パンだから「便P」てんじゃねえのか。ちょっと、いいすぎた。オレもたまにはパンも食ってる。
お百姓さんが一年かけて作ってくれたお米を重いとか、大変だとか言うんじゃねえよ。もっと感謝して、買えってんだよ。
ちゃんと、お米を食べるときは「いただきます。」と言ってるか?「いただきます。」とは神様の食料であるお米を食べさせて頂きます、という言葉なんだ。だから、食べ終わったら、「ご馳走様でした。」とお礼を言う。
だったら、楽だからってネットで注文なんて出来ねえだろう。
歳を取ったとか、身体が不自由だとかでない限り、できるだけ持って帰ろうよ。お百姓さんの苦労に比べりゃあなんてことはないと思うよ。
したっけ。