年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

べったら市 大正11年

2006年10月01日 | べったら市
大正11年10月17日都新聞
今年は浅漬がやすい
いよいよ19日は東京年中行事の一つであるべったら市である。堀留署は例により久松・新場橋署の応援を求め本部を小伝馬町の祖師堂境内に置いて警戒ことになった。名物の浅漬大根は今年は上出来で昨年は一樽25円から26円が一樽22円から23円、小売は昨年百匁35銭~36銭前後から20銭~30銭で昨年より約2割方安いが日照り続きであって大根にス入りが多いという。

大根のス入りとは大根の芯(しん)にできる空洞。空洞の周りは硬い。

大正11年10月19日都新聞
「魚を召せ」と市内大宣伝
コレラのたたりから3週間近い休業で魚河岸は墓場のよう。さすがの江戸っ子も青息吐息、魚市場500余軒の問屋と市内7000の小売店た一万人のボテ振りと河岸の小揚・軽子2000人とか日干しとなる。
 コレラも下火の今日この頃安心して魚も食えるからと市民諸君に人助けの意味で魚を食ってもらいたい。ということで大日本水産会は20日ごろ50万枚のビラを撒いて「魚を食え」との宣伝をするそうな。
江戸時代魚や干物(ひもの)を天秤棒(てんびんぼう)でかついで売りにくる人を「ぼて ふり」とよんでいました。しかし、平成の今でも築地にはボテ振りの人がいます。天秤棒の端に発泡スチロ-ルをぶら下げて運んでいます。荷傷みが少ないのでしょうか。
小揚・軽子とは魚河岸市場内の荷受作業・配送者を示す用語。
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