昭和の初めの頃の漬物の景況
大正15年12月25日で終わり昭和元年12月25日から始まりました。昭和元年は一週間ほどしかなく直ぐに昭和2年になりました。このころになると食料品商という業態が出現した。色々な食品を店頭に並べ販売する商店を「食料品商」と改称する人が現れた。
昭和2年の漬物業界は家庭において日常欠くべからざる食料品であるが故他の商品と違って不況の影響は少なかったが製造者卸売業者は金融関係で影響を受けた。漬物の原料の蔬菜は平年作で価格も低廉であったため漬物類の生産が盛んであった。梅干は夏の収穫時期は不作であったが、日本各地で梅樹の増殖が盛んになり、それによる増産によって価格が数年前の半値となってしまった。
昭和3年になると俄かに漬物にサッカリン使用が社会問題となった。
近年,沢庵に甘味料としてサッカリンを使用するものがある。ことに青物市場にはこれが甚だしく、この影響で正業者が非常な打撃を受けている。漬物組合はサッカリンを使用しないと決議し注意書を配布した。
漬物組合長は警視庁衛生課課長と面会し、サッカリン取締の方針を質した。
衛生課長の答えは
「サッカリンが有害であるか否かは未だ確実に研究されていないが法規上充分に取締ることになっている。しかし、経費予算の関係上、目下係員が不足のため徹底的に取締ることが出来ないが発見しだい厳重に取締る」と言明した。
昭和3年の商況は前年の大根の不足と夏期の野菜の不作で漬物の売れ行きは良く、世間の不景気の中で順調な年であった。
サッカリン問題の対処するため全国的な組織の作成の必要性が生じ、後に全国の業界が結集し、昭和8年大阪中央卸売市場で史上初の全国漬物大会が開催された。
大正15年12月25日で終わり昭和元年12月25日から始まりました。昭和元年は一週間ほどしかなく直ぐに昭和2年になりました。このころになると食料品商という業態が出現した。色々な食品を店頭に並べ販売する商店を「食料品商」と改称する人が現れた。
昭和2年の漬物業界は家庭において日常欠くべからざる食料品であるが故他の商品と違って不況の影響は少なかったが製造者卸売業者は金融関係で影響を受けた。漬物の原料の蔬菜は平年作で価格も低廉であったため漬物類の生産が盛んであった。梅干は夏の収穫時期は不作であったが、日本各地で梅樹の増殖が盛んになり、それによる増産によって価格が数年前の半値となってしまった。
昭和3年になると俄かに漬物にサッカリン使用が社会問題となった。
近年,沢庵に甘味料としてサッカリンを使用するものがある。ことに青物市場にはこれが甚だしく、この影響で正業者が非常な打撃を受けている。漬物組合はサッカリンを使用しないと決議し注意書を配布した。
漬物組合長は警視庁衛生課課長と面会し、サッカリン取締の方針を質した。
衛生課長の答えは
「サッカリンが有害であるか否かは未だ確実に研究されていないが法規上充分に取締ることになっている。しかし、経費予算の関係上、目下係員が不足のため徹底的に取締ることが出来ないが発見しだい厳重に取締る」と言明した。
昭和3年の商況は前年の大根の不足と夏期の野菜の不作で漬物の売れ行きは良く、世間の不景気の中で順調な年であった。
サッカリン問題の対処するため全国的な組織の作成の必要性が生じ、後に全国の業界が結集し、昭和8年大阪中央卸売市場で史上初の全国漬物大会が開催された。