年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

大正14年 景況

2006年10月05日 | 趣味としての漬物
大正14年の漬物の状況
大正14年の漬物組合員は減少した。その理由として、蔬菜の安値で乱売競争に陥った状況をどのようにするかの問題で組合は分裂した。
 13年より持ち越した漬物によって年前半期は不景気とともに需給の調節に誤り乱売となり価格の低落となり売上高の減少となった。
 下期は夏の野菜の不出来で少し持ち直したが総じて大正14年は一年を通じて不況だった。梅の実は全国的に大豊作で梅干が多量生産となり価格が暴落した。
 この年の報告書によると翌大正15年度も価格の低迷は免れず、経済の状況の回復を待つのみとなっている。
 この頃になってやっと天候や野菜の作柄の影響と世間の景気が連動して来るようになった。都市において徐々にではあるが専業のつけ物製造者が誕生し乱売となった。さらに鉄道網の整備は販路の拡大と共に他府県の漬物が東京に乱入し価格統制がきかず、不正品がはびこるようになる。また、不景気のため価格の安い物を求める購入者の要求に対応するためでもあった。東京は日本の中心で新聞によって意図的に不正品の摘発報道がなされ、特にサッカリン混入の摘発はしばしば行なわれた。大正の終わり頃から昭和の初めには砂糖の自給が出来たのである。(当時は台湾が日本領土)政府は砂糖による税収が確保と国内自給で砂糖輸入による外貨節約になった。
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