大正12年の漬物業界の報告から
関東大震災前後の状況
大正11年の農作物の不作によって蔬菜が高く、前年の野菜安による漬物原料の豊富で仕入れ価格が低価格であったため相当売れ行きがよかった。
しかし、大震災の後の不振は幾分不況のせいかと思われた。年前半期は大正11年に原料野菜が安く種類によって生産過剰なものがあってゆっくりと価格が低下していたが9月1日の大地震と火災は漬物の需要を一変させた。東京市内の漬物業者の在庫品は殆ど焼失し、その量は多大で品物によっては他の地域から補充の当てもないものがあった。そのため漬物の商品の価格も暴騰した。その後日本各地から救援の漬物等が入ると需要を補った。しかし、救護の商品の配給は供給が充分になると漬物の販売不振となった。
火災を免れた同業者は罹災者の需要が集中し一時的に非常なる活況を示していた。しかし、火災の後罹災者の住宅建設が中々進まず、住民が少ないため、以前の状況に至るのはかなり難しいと思われていた。
この大震災で漬物組合員関係者353名の死者が出た。
関東大震災前後の状況
大正11年の農作物の不作によって蔬菜が高く、前年の野菜安による漬物原料の豊富で仕入れ価格が低価格であったため相当売れ行きがよかった。
しかし、大震災の後の不振は幾分不況のせいかと思われた。年前半期は大正11年に原料野菜が安く種類によって生産過剰なものがあってゆっくりと価格が低下していたが9月1日の大地震と火災は漬物の需要を一変させた。東京市内の漬物業者の在庫品は殆ど焼失し、その量は多大で品物によっては他の地域から補充の当てもないものがあった。そのため漬物の商品の価格も暴騰した。その後日本各地から救援の漬物等が入ると需要を補った。しかし、救護の商品の配給は供給が充分になると漬物の販売不振となった。
火災を免れた同業者は罹災者の需要が集中し一時的に非常なる活況を示していた。しかし、火災の後罹災者の住宅建設が中々進まず、住民が少ないため、以前の状況に至るのはかなり難しいと思われていた。
この大震災で漬物組合員関係者353名の死者が出た。