年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

バナナと梅干

2006年12月30日 | 趣味としての漬物
東京都中央卸売市場史によるとバナナは戦後のある時期は販売方法が問題となっていて、かなりのページを占めている。バナナの自由化によって価格下がり、バナナと交代して台湾から梅干がバナナの輸入業者によって日本に入ってきた。
野菜の輸入はこんなことから始まります。
昔が学校の教科書の逸話でオランダの話として次のような話しがあったと言う記憶があります。ある時、堤防からちょろちょろと漏水しかけていたのを少年が見つけ、その穴に自分の指を突っ込んで決壊を防いだという話しです。
 昭和30年代は外貨が不足していてなお1ドル360円の時代で海外から野菜の輸入などは全く考えらなく日本で採れない特殊な青果だけが入ってきていた。その中で塩漬梅干の輸入が始まったのは台湾バナナのおかげと言ってよい。堤防の小穴(梅干輸入)は時間が経って野菜輸入の拡大という大穴となってしまった。これには農林水産省の政策のミスで加工用の野菜促進より生鮮野菜の産地保護(単価が高い)を優先したため、加工野菜の業者が数量を確保するため海外原料に向かい、更に品質向上につれて生鮮のまま日本に入ってきた。
コメント
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