日本冷蔵 勝鬨工場(今のニチレイ・本社)
昭和の終わり頃まで築地市場の隣の築地6丁目・晴海通りの勝鬨橋のたもとにありました。そこには築地市場で卸す為の冷凍の魚類が保管されていました。
マイナス20度を超える冷蔵室の外に通路があります。そこはやや温度が抑えられていて、冷凍した広島菜の漬物が保管してありました。
予め電話をしておいて、少し経ってから勝鬨工場の事務所の階段を上り。古い郵便局の窓口・待合室のような所で出庫伝票を受け取りなじみの倉庫の人に渡します。エアシューターのような物で伝票が運ばれている時もありました。今から思うとのんびりしていて出庫まで雑談していました。
真夏は外気温がプラス30度・冷蔵庫の中は最低温度マイナス40度でその差70度はどんな人でも体力が持ちません。長い間勝鬨工場で働く人はいなかった気がします。時たま人手不足で中々広島菜が冷蔵庫から出庫されず,自ら冷蔵庫に入って取ってきたことがありました。『寒い』ので3分も入れられません。そこにはクリスマスケーキの台用のスポンジが保管されていました。また『文明堂』のカステラも保管されていた記憶があります。もう20年以上も前の話です。
昭和の終わり頃まで築地市場の隣の築地6丁目・晴海通りの勝鬨橋のたもとにありました。そこには築地市場で卸す為の冷凍の魚類が保管されていました。
マイナス20度を超える冷蔵室の外に通路があります。そこはやや温度が抑えられていて、冷凍した広島菜の漬物が保管してありました。
予め電話をしておいて、少し経ってから勝鬨工場の事務所の階段を上り。古い郵便局の窓口・待合室のような所で出庫伝票を受け取りなじみの倉庫の人に渡します。エアシューターのような物で伝票が運ばれている時もありました。今から思うとのんびりしていて出庫まで雑談していました。
真夏は外気温がプラス30度・冷蔵庫の中は最低温度マイナス40度でその差70度はどんな人でも体力が持ちません。長い間勝鬨工場で働く人はいなかった気がします。時たま人手不足で中々広島菜が冷蔵庫から出庫されず,自ら冷蔵庫に入って取ってきたことがありました。『寒い』ので3分も入れられません。そこにはクリスマスケーキの台用のスポンジが保管されていました。また『文明堂』のカステラも保管されていた記憶があります。もう20年以上も前の話です。