年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

不正醤油事件資料②

2007年04月01日 | 福神漬
昭和初期における自家用醤油
 ヤマサ醤油の推定 ヤマサ醤油社史より
約150万人が自家醸造していると思われ、西日本が多い。長崎県などは50%の人が自家醸造の醤油を使用していたという資料もある。
全国476万石中106万石が自家用醤油と推定される。大正14年の醤油税の時には自家用醤油は153万石で営業用は350万石となっていた。昭和に入って醤油税が廃止になるとますます混乱した。
1 醤油税廃止後、昭和初期の不景気時に農村救済策として自家用醤油醸造が奨励していた。
2 産業組合が醤油醸造を行なうようになっていった。=組合存続の目的もあった。
3 農家の副業として奨励した。

昭和初期の世界恐慌時に農村経済を振興するため、醤油を初め漬物も振興していて、東京市場には各地から沢庵が列車によって入荷してきた。東京市場は安価な漬物によって市場は混乱し、不正な取引がはびこった。目方不足・生漬かり・代金の不払い等のによって乱れていた。昭和10年に築地市場が開場し、混乱を抑えようとした。しかし、間もなく戦時経済に突入しその当初の目的は果たせなかった。


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