年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

築地市場 移転問題の記憶 5

2007年04月07日 | 築地市場にて
選挙がどんな結果に終わろうが徳川家康とともに関西・伊勢・三河から来た人たちの子孫が明治維新・関東大震災・先の大戦を潜り抜けて築地にいたので豊洲へ移転時までに廃業する人もあるだろう。どんな形でも老朽した築地市場は現状のままではのたれ死になって、過去の存在となってしまうだろう。
 市場のことを考え発言することはぞれぞれの人の人生観が出てくるので世間を騒がす話題となるのは止むを得ない気がする。矛盾の塊といってよい。食の安心安全と低価格物流をどう両立するか。食料自給率は現状でよいのだろうか。過疎地の農山魚村の維持と環境保護。水資源とその受益者の都市市民等々の問題がありすぎる。
 日本橋の魚河岸と京橋にあった大根河岸は明治政府の欧化政策で明治20年代から移転を迫られていたが、結局関東大震災によって、朝鮮人虐殺騒動があり、そのドサクサで戒厳令が発動され、日本橋魚河岸に立ち入りが阻止された。市場の移転は災害と強権力でなくては出来なかったのである。日本橋魚河岸が約50年かかって昭和10年に築地市場へ移転した。パリの市場でも同様に移転計画から実施されるまで年数がかかり政治問題となっていた。
 移転することは築地の人は止むを得ないと思っているが具体的な問題では反対だろう。特に水産部は東京都におされているのでこのままでは使いにくい市場になってしまう気がする。
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