年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

悲劇の常陸丸

2007年04月24日 | 福神漬
日本郵船歴史博物館にて
カレーに関する色々な本に日本で福神漬と関係が出来たのは明治の35~36年頃、日本郵船のカレー食事に出されていたという。
 グーグルの検索を利用して、「常陸丸・福神漬」と入力して検索すると大正6年にインド洋で遭難した常陸丸殉難事件が出てきます。
明治28年、日本郵船会社は欧州航路用大型船6隻を英国に発注する計画であったがその中の1隻を日本で造り常陸丸と名付けた。この船は三菱重工長崎造船所が最初に作った客船である。初代常陸丸は日露戦争で陸軍御用船となり、明治37年6月、玄海灘でロシア艦隊の攻撃をうけて沈没。1000名以上の死者が出ていて靖国神社にその殉難碑があります。
初代常陸丸もそうですが、戦争時に物資の輸送を行なう徴用船は海軍の護衛のないときの被害は大きく、日本郵船歴史博物館において輸送船員の戦死者の割合が軍人より多かったのはあまり伝えられていない史実です。
2代目常陸丸、明治39年竣工、欧州航路に就航していたが、大正6年9月、第一次世界大戦下のインド洋で、ドイツの仮装巡洋艦に撃沈された。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする