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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

梅亭金鵞 福神漬を命名したと言われる

2007年04月11日 | 福神漬
梅亭金鵞 福神漬を命名したと言われる
ばいてい きんが
1821(文政 4年)生まれ1893年(明治26年)72歳で死す。
◇江戸後期~明治の滑稽本・人情本作者。本名は瓜生政和(ウリウ・
マサヤス)、江戸両国生れ。父は柳剛流の剣客吉田勝之丞。
 少年時代、父から修業を受け江戸若手剣客の雄とうたわれるが幕末のため役に立たず、松亭金水や戯作者と交わるうちに、自らも染まって戯作に手を出し戯作者となる。しかし明治維新とともに支援者と読者を失った。明治初めは極端な実学偏重の時代となり文学で生計を立てるには困難な時代となっていた。明治5年教部省発令の「三条の教憲」により文明開化を宣伝するため、教科書、新聞界に進出して行った。
福神漬を命名した明治18年から19年ころは団団珍聞主筆として活躍していた。
1877年(明治10年)創刊した明治40年廃刊。諷刺週刊誌。幕臣の子であったので次第に明治政府を批判していった。
「三条の教憲」とは、
一、敬神愛国ノ上旨ヲ体スベキコト
一、天理人道ヲ明ラカニスベキコト
一、皇上ヲ奉戴シ、朝旨ヲ遵守セシムベキコト
の三条。「教導職」として神官・僧侶の他、講談師、俳優、戯作者などを動員し、啓蒙活動に当たらせた。あらゆる方法をとって江戸幕府を否定し明治文明開化を宣伝した。
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