年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

印度洋の常陸丸 ①

2007年04月27日 | 福神漬
印度洋の常陸丸 
長谷川伸著によると
大正6年10月19日に常陸丸の乗組み員の家族に日本郵船から『常陸丸が行方不明』の信書を受けとっている。
 常陸丸を捜索するため日本郵船は筑前丸に捜索に必要な装備を積み11月27日に神戸を出航し12月17日にスリランカのコロンボに着いた。12月27日にコロンボを出航し16日間遭難したと思われる地域の漂流物を探した。
その結果として『東京池之端酒悦』と商標のある福神漬の木箱の発見があった。
 大正7年2月9日に筑前丸は神戸に帰港したが当日の『萬朝報』などの日刊紙には『常陸丸は敵の手に落ち,仮装巡洋艦として西太平洋で活動している』と報道されていた。
 情報は混乱していて、とても海上保険の問題でなかったことが解る。常陸丸の乗員・乗客160人の家族はどのような心境だったのだろうか。
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