年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

戯作者と福神漬 ②

2007年04月16日 | 福神漬
福神漬創製者野田清右衛門は「酒悦」さんから貰った資料によると彼は一風代わった人で明治政府が断髪令を無視して77歳で死去するまでちょんまげを結っていた。また5代目菊五郎や山岡鉄舟とも交友がありました。
また池之端にあった松亭金水とその弟子たちとも交流があったと思われます。
鶯亭金升の「明治のおもかげ」から
松亭金水・戯作者「百将伝」で知られる。
梅亭金鵞 金水の弟子、「七偏人」妻恋坂から来ていた。
古森金浄 金水の内弟子
万亭 応賀 幼稚遊昔雛形(おさなあそびむかしのひながた)金水の客分
鶴亭秀賀 「御所桜梅松録」「金花七変化」 草双紙(合巻)の作者
杉亭金升 「権八小紫一代葉那志」
竹葉舎金瓶 「お八重幸次郎花鳥風月」
以上の作家連が金水宅に集まって騒ぎながら書いていたという。

当時下谷仲町通りの商家では、毎月茶番狂言をやっていたが何時も松亭金水宅に出入りしている連中が役者となっていた。この道楽が作家連の遊びでもあった。当然仲町通りにあった酒悦の主人は参加しいただろう。60歳台になっても梅亭金鵞は茶番道楽をやっていた。福神漬の命名も彼の茶番の一つだったかもしれない。

梅亭金鵞 明治26年に死す 72歳

コメント
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