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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

どちらが正しいか

2010年12月02日 | 福神漬
西日暮里の浄光寺にある福神漬顕彰碑に揮毫した村田保のこと。
水産翁として名を残した「村田保」の経歴がWEBでふたつ出てきた。一つは幕臣徒目付浅原耕司(長男)とあり、もう一つは唐津藩士浅原耕司の長男として大坂藩邸で生まれる。10歳のときに村田家を継ぐ。1868(明治元)年より政府に出仕し、主に法律関連の要職を歴任した。
 明治の文献だからしっかりしていると思うとかなり誤植が多く、村田保の経歴は唐津出身のほうが経歴的に整合する。どちらの経歴でも水産翁と書いてあった。同一人物の出身地が違うとはどの様なことなのだろうか。まだ明治は江戸時代より近過ぎて研究者が少ないのだろうか。史料が震災、戦災にあっても文献の量が多く難儀しているのだろうか。
 
コメント
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