年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

村田水産翁伝 大日本水産会

2010年12月06日 | 福神漬
日暮里諏訪台の浄光寺にある福神漬顕彰碑に揮毫をした村田保は水産翁といわれていた。大日本水産会が著した『村田水産翁伝』では彼は幕臣の子として、大阪唐津藩邸で生まれた。明治になってドイツに法律調査に向かった時、かの地の法学者に日本の水産のことを尋ねられ答えに窮した。帰国後刑法の整備とかに活躍したが次第に水産業に関心を持っていった。明治期の水産関係の基本法律は彼の手になるものが多い。水産業振興の功績を認められ、小松川親王より『水産翁』という名称をいただいた。(小松川親王は上野寛永寺管主だった北白川親王の兄である。)
 大日本水産会を組織し、水産加工を振興するため缶詰業界を指導し、日露戦争後は輸出できる程の品質にし、外貨の節約をもたらした。福神漬は日露戦争時には兵食の中で重要な地位を占めていて、日露戦争後陸軍より安く払い下げられた福神漬の缶詰は一般国民へ普及していった。
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