年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

依田学海の覚書

2010年12月28日 | 福神漬
依田学海の覚書
福神漬の歴史を調べてゆくうちに気になった人が現れた。幕末千葉佐倉藩の江戸詰留守居役として、明治に入って森鴎外の漢文の先生だったり、歌舞伎改良の提案をしていたり幅広い行動をしていた人の日記を読むこととなった。
 学海日録 第三巻
明治4年3月4日(旧暦)大垣戸田藩主が渡米の表を見る。3月20日戸田研堂(欽堂?)と広尾で牡丹を見る。
明治6年11月5日高島嘉右門が会議所に来る。どうもガス事業のことらしい。三井の三野村とも面識があったようだ。
明治9月7日 たぶん日本橋の魚河岸だろうか魚市場が汚いので市場関係者に申し入れたところ、合議して返答するという。

依田は幕末に佐倉藩の情報収集役をしていて、福神漬の歴史には直接出てこないが根岸の人達との交遊や晩年の住まいであった地で榎本武揚とも交遊があった。非明治政府の心情をもっていたが明治の中頃からは時代についてゆけなかったように見えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする