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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

言論の弾圧

2010年12月25日 | 福神漬
 為政者は政権維持のためと都合の悪い言論を様々な方法をとって弾圧する。

 明治14年の政変後、明治政府は憲法制定、国会開設に向かって、政府の意に沿わない活動を弾圧するようになって行きました。その中で明治10年に発刊された今風に言うと風刺漫画雑誌『團團珍聞』にも弾圧の手が伸びました。この團團珍聞は文久2年頃、横浜で発刊していた『ジャパン‐パンチ』という漫画風刺雑誌の影響を受けていて、編集者に『寄笑新聞』の橋爪錦造(梅亭金鴬・瓜生政和)を編集者に迎えていた。梅亭は政府の恣意的な弾圧を避けるため、驥尾団子(きびだんご)という姉妹誌を発行して、弾圧を避ける手段を取っていたが新聞条例の改正で新聞雑誌の発行禁止措置が多大な経費がかかるようになった。
 酒悦主人がこの様な時期に、醤油と砂糖で甘ショッパク味付けた漬物を缶詰入れた食品の命名を梅亭に依頼した。そしてその命名料は非常に安かったという。この当時は広告文を戯作者達が結構作成していたという。また鶯亭金升の証言によって、木版の引き札(広告文)の印刷も行っていたようである。
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