年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

九品仏と国分寺崖線(世田谷)

2022年11月13日 | 宅老のグチ
東急大井町線の九品仏へ行った。東急線田園調布駅が出発地点で、そこから先日の渋谷駅発の田園調布行きのバスコ-スを探しつつ歩いた。田園調布から環状8号線までは銀杏並木がもうじき黄葉になる。環八の交差点付近に高級婦人服の馬里邑(まりむら )があったなと思いつつ住所表示が世田谷区玉川田園調布となって自由が丘の方に下ってゆく。東急大井町線の踏切があって、左右を見ると自由が丘の駅がまじかに見えた。踏切を超え、少し行くと世田谷区の九品仏川緑道という歩道があって、その道を九品仏へ向かって歩く。どうやら歩道の下は元は川というか下水の流れる所のように感じた。家に帰って調べると自由が丘駅付近で九品仏川の管理が目黒区となり、呑川に合流し、大田区を貫通する暴れ川のようだ。緩やかな登りである程度行くと繁華街自由が丘という雰囲気から住宅街に代わって、うっそうとした木々が前方に見えた。多分九品仏だろうと思いを木々の森を一回りして九品仏に入った。正式名は九品仏浄真寺というようだ。山門を入ると緑の濃いモミジの木々があった。これが紅葉の東京での隠れた名所だった。モミジの木の本数は少ないが密度か濃い。
 九品の名前は由来は詳しく知らないが三つのお堂が上品、中品、下品とあって、それぞれ3体の阿弥陀如来像がある。見た限り8体しか見えない。修復かもしれない。九品寺(くほんじ)と呼んでいるので間違っても下品がゲヒンとは読まないし、ジョウヒンもないだろうと思いつつ境内を散策する。紅葉の見ごろは12月の中旬に近いころだろう。寺を出て九品仏駅に向かうが甘酸っぱいいい匂いがして、ふと人だかりを見つけ何か20人ほどいた。パン屋のようだ。駅で付近の地図を見つけ等々力渓谷に向かって歩く。一度訪問しているので東京都の給水施設の所に向かい、そこからあの水害の東京都市大学(武蔵工業大学)はどうなったか気になり、給水場へ向かう。そこで制服の少女たちの集団下校があって、この付近に何があるのだろうと坂を下ってゆくと田園調布雙葉学園の女子たちだった。さらに急坂を下り用水路の所に出ると、世田谷区の掲示では六郷用水という。道を間違った思いがあったがまだ第三京浜を過ぎていないと思い進む。すると目黒通りの延長工事の所に出て、川崎との間に斜長橋を架けるようだ。仮称だが等々力大橋というようだ。このあたりも武蔵小杉タワマン大水害時に水没した地域で都立園芸高校の所に立坑を造ってシ―ルド工法で排水路を新設工事しているうだ。
 さらに行くと世田谷区の掲示で国分寺崖線の説明があって世田谷の風景はここからできていると説明しているようだ。古墳も多く、古代では多摩川と富士山が見える景勝地であった。等々力渓谷に倒木があって先に行けず、環八に出るため等々力不動尊(明王院 )の階段を上った。見晴らし台があったが疲れたので富士見の気分になれず、また道路拡張の工事中の目黒通りを多摩川土手に向かう。土手の上から河原を見ると橋の土台が出来ていた。水量の少ない冬場に工事するので予定では2025年になるようだ。土手沿いに田園調布駅に向かう。もちろん当てなしなので、田園調布特別養護学校入り口というバス停で川から離れ、そこで木々のあるところを見るとどうやら地図らしきものが見え向かう。
 地図の位置から田園調布5丁目でこれから坂を上ってゆくのだが道の選択を誤ると登ったり下ったりして駅までは疲れる。とりあえず宝来公園を目指し行くが車の多い道を選択したため、多摩川駅に近くなり、線路添いに田園調布駅に行く。バス停で時間を見て駅のトイレを使う。出て駅前のクリスマスらしきかざりを見て、ふと祝長嶋茂雄 文化勲章受章というのぼりを見た。引っ越してTVと新聞が無いので初めて気が付いた。
 駅にスタバのコ-ヒ―ショップでほとんどの若者がパソコンを操作していた。そういえ下北沢、自由が丘と違って田園調布は駅がしずかだ。駅前に高層の建物が無い、パチンコ屋居酒屋も無いように見える。
 お散歩アプリで18000歩だった。

コメント
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