年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

旧築地市場水産部の案内地図と田園調布の地図が似ている

2022年11月17日 | 築地市場にて
大田区田園調布の住宅地図が旧築地市場水産部の店舗位置地図と似ていて、田園調布の駅から阿弥陀様の後光のような放射状の道が多摩川に向けて通っている。2019年台風19号 の武蔵小杉の大水害時に田園調布付近も水没し、どのような復旧の様子となったかその年の11月くらいに見に行った記憶がある。水没地区の古家は上げ底で最近建てた家は平らで被害のような筋が見えた。
阿弥陀くじ歩き
二点間の最短距離は直線で普通に歩くことで最短距離を選択する。しかし通勤時は歩行者同士の衝突を避けるため階段前などを分離している。
 今は体力維持のために歩いているので目的地まで行くのはボケ防止とか感覚維持(方向の)同じ道を行き帰りに選択するのを避けている。歩数確保と急いで家に帰る理由がない時はバス等の込み具合で感染を恐れ歩く。ワザワザの丘超えの選択もある。タダ雨天の時は一択で用が終わればすぐに帰る。
 歩道と車道が分離していない道は考えながら下向いて歩いているので、車の量の少ない道を選択する。転居して間も無く半年となるが地域の空間位置が判ってきた。考えながら歩いているので時々信号に気が付かない時もある。
阿弥陀(あみだ)の背後に描かれている後光のように放射線状に線を引き、その線の端に金額を書き、それを隠してくじを引いたことから阿弥陀くじという言葉の由来だが今は垂直に線を当たりの数だけ引き横棒を適当に引いてくじを造る。

 旧築地市場水産部は貨車の引き込み線プラットフォームが湾曲していて、さらに買い出し人の荷物預かり所との位置関係で碁盤の目のような通路で無かった。放射状の通路を後光のような通路がくし刺ししていた。買い出し人はどの様な歩き方をしていたか書いている築地本は無かった記憶がある。店舗移動で位置が変わると繁盛店も落ち込むこともある。豊洲移転の直前の十年以上は店舗移動と再建の経費が掛かるため店舗移動決議は無かった。築地市場の現地再建でも豊洲移転でも経費は掛かる。それなのに築地と豊洲を生かすという小池知事の口車に簡単に移転反対派が乗ってしまうとは今でも驚く。とても今でも豊洲から築地に戻ることなない。あってももっと湾岸道路の向こう側だろう。
 次の豊洲市場の問題は千住市場の吸収問題と予想する。魚商が減り、千住市場の整備問題から再編成の問題が生じる。跡地は多分どこかの量販店の物流センタ-だろう。

 リニアの新幹線の開通が遅れているが完成した時には品川駅の隣という感覚距離の芝浦食肉市場の移転問題が表面化するだろう。その時に豊洲市場周辺に移動させるか、さらに遠い埋立地になるかは揉めるはず。日本の近未来を表示するリニアの駅の隣で生きた牛が殺され肉となる市場の存在を許すとは思えない。明治の欧化政策時に当時の繁華街の銀座の隣に日本橋の魚河岸があって、不衛生とかで移転話が出ていた。明治10年代からである。
 大都市の市場の移転は大きな問題を引き起こす。コロナの最初の発生地の疑いは中国武漢の市場だった。これもまだわからないし証拠も薄い。


コメント
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