晴天の日に、東急線二子玉川駅から、多摩川に架かる二子橋を渡り、川崎よりの土手道をJR武蔵小杉駅方向に向かって歩いた。川崎右岸のふれあい道、命名由来は知らないがぱっと思い出したのが、中村雅俊 の『ふれあい』という歌。
川崎市の(ふれあい)で検索すると、ふれあい館、ふれあいロード(令和2年2月命名)ふれあいフリ-パス(高齢者、身体障碍者等の福祉パス)、ふれあいネット(川崎市の公共施設予約システム)などが該当するようだ。どうやら川崎のふれあい文化は在日朝鮮人との軋轢を解消し、理解するためのふれあい館から始まるように思える。川崎のふれあい館は条例で(日本人と韓国・朝鮮人を主とする在日外国人が、市民として子供からお年寄りまで相互にふれあいをすすめることを目的としています。ふれあいはお互いの歴史・文化等を理解することから始まります。基本的人権尊重の精神に基づき、差別をなくし、共に生きる地域社会を創造していくため、こども文化センターと、ふれあい館を統合施設として川崎市が設置しました。 )となっているが東京と川口のふれあい館は単なる住民の公民会館のようだ。
ちなみの東京都側の多摩川右岸の土手道は(多摩川サイクリングコース(左岸))で羽村まで続く。川崎市のサッカ-スタジアムの等々力で、ふれあいロ-ドの案内板を見た時、驚いた。東京都のサイクリングロ-ドの始まりは多摩川河口の弁天橋から始まるが川崎市は地図上はもっと先まで多摩川河口が伸びている。つまり右岸(東京)左岸(川崎)は多摩川の長さが違う気がする。東京都の感覚だと羽田空港は羽田島で海老取川に架かる弁天橋から本土となるように思える。つまり羽田空港は伊豆七島と同じ離島と思える。これも米軍の一時占拠の影響かもしれない。弁天橋の付近にある鳥居の由来が気になってきた。さらに地図では海老取川の下にJR貨物線の線路があって、何か空港敷地内に線路を通せない事情があったと思われる。
第三京浜の多摩川の橋を過ぎて間も無く目黒通りの延長となる仮称等々力大橋の建設現場を通る。ネットのニュ-スでは理解できなかったが現場を見ると川崎の方は用地買収に時間がかかりそうで、当初は川崎の土手道から等々力大橋を渡り東京に行く気がする。
さらに行くと土手道が広くなり、桜並木となる。寄付者の命名板があって2000年頃植えられたようだ。等々力土手桜並木という。東京都にも等々力という地名がある。多摩川がいかに暴れ川だったということが地名で理解できる。
丸子橋を渡りバスを探す。距離8K
川崎市の表示では二子橋付近まで河口から17Kとあった。
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