年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福田村事件の映画評を読んで気が付いたこと

2023年10月03日 | 宅老のグチ
9月1日に日本全国に公開された福田村事件は最初の公開時は40程で今は170程に公開映画館が増えている。関東大震災物の映画を6月頃から見ていて、福田村事件の広告も見ていたが、観たい映画とは思っていなかった。
 もらった映画のパンフレットに福田村(現野田市)と書いてあって、いろいろ福神漬とか叔父の出身校が野田市にあって、急に気になって映画を観ることになった。1日は東京ではテアトル新宿で舞台挨拶があって、9月1日は予約で満員。そこで渋谷のユ―ロスぺ-スへ行った。結構朝早く行けば評判の高い人気の映画でもないので初上映を選んだ。予想外に混んでいて145席の内で空いていたのは10席もなく、長い映画上映中に左右の人とくっついているので窮屈だった。
 映画の半分以上は最後の場面の暗示となることを終映後に知り、電気がついて多くの人が出た後にやっと立って帰った。映画館のロビ-には次の上映を待つ人で混んでいて、このような映画を観る人がこんなにいるのかと思った。

福田村事件の映画公開からひと月ほど経って、映画評を見ているとやはり普通の人は心にショックを受けただけと感じる。自分の様に調べようとする人は少ないが福田村事件の本は売れているようだ。
 千葉県史と柏市史には少しは震災時に起きた虐殺事件に触れていても扱いは少ない。しかし野田市史にまだ見つからない。
 この福田村事件の起きた関東大震災の直前に第一次野田労働争議があった。大正10年頃から全国で労働争議を経験した労働運動経験者が野田市に集まってきた時期でもあった。割と景気の良かった野田市に鉄道工事などの仕事が増え、朝鮮人労働者も存在していた。朝鮮飴の話はその労働者へ売っていたのだろう。今の日本でも日系ブラジル人が働いている街にはブラジル食品の店が出来ると同じである。
 野田市は左右に利根川と江戸川に挟まれ、隣に行くには船を乗るしかない。その船の乗るところで逃亡者と勘違いされ、留め置かれた時、隣接の村からが応援が来て虐殺が始まった。後に殺されたのが日本人とわかり非差別部落の人だった。裁判が始まり、判決が出た。軽い判決で大正天皇の崩御後の恩赦で釈放されて事件は忘れ去られた。
 この映画の見方は悲劇と言うことでなく、今後もこの様なことが起きることを示している。
 ごく最近の事例ではジャにーズのセクハラ問題で、今はほぼ黙認することは人道に反する行為と認定されている。6月までは誰がこのようなことになると予想していたのだろうか。今は京都のアニメ会社の放火事件の裁判中でさらに宝塚でも事件になりそうなことが起きている。清く正しいと信じていた世界がチョットしたことから崩れる。多分黙っていれば世間は75日過ぎればと忘れると思っているがネットの世界は消えないし、それにフェイクニュ-スも消えない。
 区の図書館の福田村事件の本の蔵書数が9月初めに予約した時は4冊が今では12冊と大幅に増えて、最初の予想では来年に読めると思っていたが、何とか11月には読めそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする