大江戸線都庁前駅のA6出口は住友ビルでそこの33階に平和祈念展示資料館がある。地下から入ると昇りのエレべ-タ-は全て駐車場行きで、1階に戻り守衛のような人に33階行きのエレべ-タ-を教えてもらった。どうやら32階までと分離されていて仕事でない人は33階行きに乘る。エレべ-タを降りるとビルの内側に三角の空間があって耐震設計ということを実感する。
総務省の委託による平和祈念展示資料館があって、ある写真家が1945年5月の沖縄の飛行場へ強行着陸する特攻隊員を撮影した写真の展示があることを知った。九段下のビルの所と違って日常の仕事をしている所にこのような施設が同居していて、行ってみて驚いた。誰もいないかと思っていたら20人ほど高齢男性がいて熱心に展示物を見ていた。
先の戦争で招集から始まる兵士の招集の仕組みが良くわかる。貧弱な服装は歴史の結果を知る身にはつらい部分もある。中国戦線で招集されてすぐに栄養失調となて病院で亡くなった親族もいる。生まれた時代が悪かった。
満蒙開拓団から先に戦争での日本人海外移住について、その過程と戦後にどうなったか、さらに今はと説いている。ウクライナ戦争でウクライナの人がその意志と関係なくロシアに拉致されているという。本当に意思確認はあったのだろうか。独ソ戦争でロシア人民が亡くなり、埋め合わせで日本人が強制労働となった。どう評価するかはまだ時期が早いが今の様子では日本人は反ロシアの気風が強い。ロシアの方法は対日本人には間違っている接近方法と思える。まだ中国の方が身体が似ているので馴染んでいる気がする。
帰りに大江戸線が国立競技場を通るので途中下車し、学徒出陣の碑を探した。国立競技場というだけで来たので、青山一丁目駅を目指し、さらに外苑の並木の色づき具合と思って歩くが、見当たらないし、競技場周辺の地図にもない。学徒出陣は平和のシンボルの場にはふさわしくないのだろうか。家に帰って調べると、新国立競技場が出来て、秩父宮ラグビ-場に一時移転していた碑が千駄ヶ谷門付近に移転している。タダ地図には載っていない。
昔築地市場が狭く、年末の大量の商材は青果は神宮の球場スタンド下、お節は晴海の展示場の所で荷捌きしていたと記憶にある。間も無く年末の商材が具体的になる。豊洲へ移って広くなったので青果の方は使わなくなったと思うが水産は膨大なのでビックサイトを倉庫として使っているかもしれない。量が少なくなったのでなく量販店やコンビニは年中無休となって。年末に買いだめする必要が無くなり、さらに飲食店も営業しているので大量のおせちが少量となったことにある。風習は変化する。記憶は薄れる。