賀川豊彦と農村時計という本を読むために東京から埼玉県越谷市立図書館へ行った。22日は丁度越谷市民祭りで東武線越谷駅から日本橋から数えて3番目の日光街道および奥州街道の宿場町 でイベントがあった。
郷土史の本は国会図書館にもなく,各県の横断検索で調べることが出来る。そこで賀川豊彦記念館で読んだ本が、埼玉県ではどこに所蔵しているか検索すると少し出て来るが、地元言える春日部市にはあまり出てこない。探している本が出版された1991年頃は春日部市と庄和町の統合以前の事なのだろうか。調べると平成17年・2005年に春日部市と庄和町が合併した。探している本は埼玉県立庄和高等学校の部活の本で行政から見ると所蔵する価値が薄いと思われていた気がする。横断検索で杉戸町とか越谷市が出てきた。そこで東京に近い越谷市の図書館へ行く。杉戸町の図書館へも一度行ってみたい。ここには想像だが庄和高校の人が寄贈して残ったと思う。千葉県関宿の城を見に行こうと予定し、公共交通機関では東武野田線の川間駅と東武動物公園駅からバスが出ていたが、千葉の川間駅の方はバス便が消え、いまでは東武動物公園駅で発着するバスしか関宿城に行けない。それも昼間の本数は少ない。杉戸図書館の最寄り駅は東武動物公園駅である。調べると駅名が変わるまで杉戸駅だった。杉戸から東武線を使わないで庄和高校に自転車で通うことの出来る距離だろう。ちなみに庄和高校の所から200mも離れていない春日部市庄和図書館には1冊もない。何か地元の混乱で置きたくない本と邪念する。禁書なのだろうか。それとも高校の図書室で読めるというのか。
越谷市で庄和高校地理歴史研究部の本を出してもらった。
賀川豊彦と農村時計
この本は賀川豊彦記念館に無い本だった。地暦部の本では南桜井の精工舎南桜井工場が敗戦後にすぐに全員が解雇となり、東京で再建が始まった精工舎へ機械と共に戻った人もあれば、東京では食料不足で南桜井で生活し、東京で仕事をする。引揚者、精工舎の宿舎が無事だったので多くの人が南桜井に来て、戦争前の時は9000人の人口が精工舎工場によって5000人ほどの住民があっという間に増えた。南桜井では賀川の指導で時計技術者の養成学校も作られ、卒業生は時計制作技術を伝えたが、多くは失敗したが伊那と諏訪に戻った人から龍水時計が生まれ、岡谷工業高校に技術が伝わり、諏訪の工業の基礎を造ったという。これが賀川の農村が農業と共にできるスイスの時計工業を理想としていたことから来ている。
賀川のまいた理想が南桜井から始まり、多くの失敗の記憶から地元で忘れられた。精工舎の南桜井工場では3000人ほど働いていたが、農村時計が倒産した時は80名を除いて退職となった。まだ東京は朝鮮戦争が始まった時で仕事探しが厳しい時代だった。後継のリズム時計は景気の良かった農村部の協力で生き延びた。
庄和町の江戸時代宝暦の頃から住んでいた農業の父の親族は財政の豊かな庄和町が厳しい財政の春日部市と統合は失敗と言っていたがリズム時計の本社が庄和町から去った今では統合はやむを得なかったと思われる。野田が醤油の町なら庄和町は時計の町だった。それも昭和19年から始まった時計工場の街の歴史は浅いので伝える人は少ない。