年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

高輪の物流博物館へ

2023年10月29日 | 築地市場にて
高輪の物流博物館が展示物の交代で閉まっていて、10月27日から汐留の駅の変遷の展示に変わった。築地にいた時は新橋駅銀座口から汐留駅の外周を回り、浜離宮の交差点で築地市場へ向かった。バス便もあるのだがずっと歩いた。最低でも15分は電車を降りてもかかる。外周の万年塀に沿って広い歩道が今でもあるがそこを歩く人は三井造船の人と築地市場へ通う人だけと思われる。従って土日はほぼ人のいない歩道となる。そこに銀座の夜に出没する磯辺焼きの屋台が放置、もしくは違法で置いてあって張り紙が違法と示している。それほど人のいない歩道でも管理する港区は年度末に自転車通行帯の工事をしていた。この先は浜離宮で人も住んでいない。
 汐留の貨物駅には一度九州大牟田駅からの荷物をプラットフォ―ムに取りに行ったことがある。近所であっても広い所で探すのは大変である時に汐留で行方不明となって探しに行った。商品は白いダンボ-ルですぐに解かったが人の少ない所ではだめだなと思い荷主にお願いしトラック便に代えてもらった。スト権ストという国鉄時代のストライキがあった。後で打撃を受けたのは貨物輸送だろう。この時から小口の遠隔地の荷物は貨車便から高いけどトラック便となった。コンテナ便は北海道の新漬沢庵が一日で最高5コンテナほど来ていて、置き場がなく苦労した。今でもよくできたなと思う時がある。バブル前の時でもある。1コンテナでも狭いし大変だった。
 汐留駅に見る貨物鉄道と通運のあゆみという企画展は昔の記憶を復活させる。汐留駅からの築地市場への引き込み線の写真もあった。あの築地市場内の踏切は横断に難儀していて、今でもバスに乗って踏切を横切る時の揺れが築地を思い出す。
 築地市場の移転直前に場内を歩いていると水産部の所がアスファルトが欠けていて、昔の線路が見えていた。汐留駅は汐サイトというビル街になって、今は電通の不祥事とによって空洞化が目立つという。栄枯盛衰は世の習い。来年には築地市場の後の計画が始まる。あれほど騒いでいた築地市場場外市場が復活のようだ。食べ歩きが黙認という不思議な世界。日本では例外というのが不思議な形で生まれる。肉を公式食べ始めたのが150年程の歴史しかない。しかし非公式の肉食は病気治療という名目で許されていた。
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